公園に向う途中は、ワイパーを少し動かしていたのですが
歩いている時は、傘をほとんど閉じていました。
でもこれから雨が降り続くのだろうなぁ
「台風北上 近畿地方は南部中心に大雨のおそれ 十分注意を」(関西NHK)
よくニュースなどで報道されるのが
「野生鳥獣による森林被害」(林野庁)
鹿や熊、猪などが人の住むところに降りてきたのは、人による環境破壊が要因にあげられると思います。
その中の一つに、オオカミを絶滅させたことがあると思います。
かつてはオオカミを神様としてあがめていました。
「オオカミ信仰 秩父の山の神様」(みちしる NHK)
「秩父宮記念三峰山博物館」(三峯神社) 秩父の民話ではありませんが
狼の話
むかしむかしの話です。
山里の男が、ある夜のこと、急ぎの用がでてき峠のむこうの里へいっくとこなつたのです。
月も星もない暗い夜です。
峠はとくに樹々の枝で暗いのです。
すると、おかしな音がします。
(『アルプスの民話』山田野理夫 潮文社新書 昭和37年)(きつと狸(たぬき)のいたずらだな)
と、思つたのですが、いつもとは違つています。
近寄つてみると、狼が大きな口をあけて苦しそうなのです。
里の男は
(なぜ苦しんでいるのかな)
と、よくみると、のどに大きな骨をひつかけているのです。
男はこわごわそれを除いてやりました。
狼は尾をまるめて去つていつたのです。 その四、五日あとのこと。
男は祝いごとのある里の家へ招かれてご馳走になつていました。
突然、戸外で狼のうなり声がしたのです。
その家へあつまつたひとたちは、おそろしさにふるえています。
里の男がそつとのぞいてみると、狼が大人しく足もとへよつてきたのです。
そしてそのまま去つていつたのです。
そこには一羽の雉(きじ)がおいてありました。
狼がお礼をしたという話です。
(伊那)
(『アルプスの民話』山田野理夫 潮文社新書 昭和37年) 「檸檬」つづき
私はもう往来を軽(かろ)やかな昂奮に弾(はず)んで、一種誇(ほこ)りかな気持さへ感じながら、美的装束をして街を闊歩した詩人のことなど思ひ浮べては歩いてゐた。
汚れた手拭の上へ載せて見たりマントの上へあてがつて見たりして色の反映を量(はか)つたり、またこんなことを思つたり、
――つまりは此の重さなんだな。――
その重さこそ常々私が尋(たづ)ねあぐんでゐたもので、疑ひもなくこの重さは総(すべ)ての善いもの総ての美しいものを重量に換算して来た重さであるとか、思ひあがつた諧謔心からそんな馬鹿げたことを考へて見たり――何がさて私は幸福だつたのだ。
(『梶井基次郎全集 第一巻』筑摩書房 1999年) 何処をどう歩いたのだらう、私が最後に立つたのは丸善(まるぜん)の前だつた。
平常あんなに避けてゐた丸善が其の時の私には易(やす)々と入れるやうに思へた。
「今日は一つ入(はひ)て見てやらう」そして私はづかづか入(はひ)つて行つた。 然しどうしたことだらう、私の心を充してゐた幸福な感情は段々逃げて行つた。
香水の壜にも煙管にも私の心はのしかかつてはゆかなかつた。
憂鬱が立て罩(こ)めて来る、私は歩き廻つた疲労が出て来たのだと思つた。
私は画本(ゑほん)の棚(たな)の前へ行つて見た。
画集(ぐわしふ)の重たいのを取り出すのさへ常に増して力が要(い)るな! と思つた。
然し私は一冊ずつ抜(ぬ)き出しては見る、そして開(あ)けては見るのだが、克明にはぐつてゆく気持は更に湧(わ)いて来ない。
然も呪はれたことにはまた次の一冊を引き出して来る。
それも同じことだ。
それでゐて一度バラバラとやつて見なくては気が済まないのだ。
それ以上は堪らなくなつて其処へ置いてしまふ。
以前の位置へ戻(もど)すことさへ出来ない。
私は幾度もそれを繰返(くりかへ)した。
たうとうおしまひには日頃(ひごろ)から大好きだつたアングルの橙色の重い本まで尚一層の堪(た)へ難(がた)さのために置いてしまつた。
――何といふ呪はれたことだ。
手の筋肉に疲労が残つてゐる。
私は憂鬱になつてしまつて、自分が抜いたまま積(つ)み重(かさ)ねた本の群(ぐん)を眺(なが)めてゐた。
以前にはあんなに私をひきつけた画本(ゑほん)がどうしたことだらう。
一枚一枚に眼を晒(さら)し終つて後(のち)、さてあまりに尋常な周囲を見廻すときのあの変(へん)にそぐはない気持を、私は以前には好んで味つてゐたものであつた。
………「あ、さうださうだ」その時私は袂の中の檸檬を憶ひ出した。
本の色彩をゴチヤゴチヤに積みあげて、一度この檸檬で試(ため)して見たら。
「さうだ」
私にまた先程の軽(かろ)やかな昂奮が帰つて来た。
私は手当り次第に積みあげ、また慌しく潰(くづ)し、また慌しく築きあげた。
新(あたら)しく引き抜いてつけ加(くは)へたり、取り去つたりした。
奇怪(きくわい)な幻想的(げんさうてき)な城が、その度(たび)に赤くなつたり青くなつたりした。 やつとそれは出来上つた。
そして軽(かる)く跳(をど)りあがる心を制(せい)しながら、その城壁の頂きに恐(おそ)る恐る檸檬を据ゑつけた。
そしてそれは上出来だつた。 見わたすと、その檸檬の色彩(しきさい)はガチヤガチヤした色の階調をひつそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまつて、カーンと冴(さ)えかへつてゐた。
私には埃(ほこり)つぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張してゐるやうな気がした。
私はしばらくそれを眺めてゐた。 不意に第二のアイデイアが起つた。
その奇妙なたくらみは寧ろ私をぎよつとさせた。
――それをそのままにしておいて私は、何喰はぬ顔をして外(そと)へ出る。――
私は変にくすぐつたい気持がした。
「出て行かうかなあ。さうだ出て行かう」そして私はすたすた出て行つた。 変にくすぐつたい気持が街の上の私を微笑(ほほゑ)ませた。
丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛(しかけ)て来た奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善の美術の棚を中心として大爆発をするのだつたらどんなに面白いだらう。
私はこの想像を熱心に追求した。
「さうしたらあの気詰(きづま)りな丸善も粉葉(こつぱ)みぢんだらう」
そして私は活動写真の看板画が奇体な趣で街を彩(いろど)つてゐる京極(きやうごく)を下(さが)つて行つた。
(『梶井基次郎全集 第一巻』筑摩書房 1999年)
年譜を見ると大正13(1924)年に創作「檸檬」に着手。
大正14(1925)年1月『青空』を発刊し「檸檬」を発表しています。
1923(大正12)年9月1日に関東大震災が発生しています。
「関東大震災」(中学)今朝の父の一枚です(^^)/
カワセミを写せて喜んでいました。
父の心配は、台風6号の動きが遅く、沖縄や奄美に大きな被害が出ていること。
「台風6号による県内の農林水産業被害5億5000万円超」(沖縄NHK)
島へ電話をして様子を聞きたいのですが、直撃している時にはかけられない
早く、台風が通過してくれることを願っています。
「台風6号 九州南部と奄美 8日午前にかけ線状降水帯のおそれ」(鹿児島NHK)