2023年8月13日日曜日

お盆

昨日、夕方近く買物に出かけると道路がぬれていました。
今朝は、風が吹いていて気持ちよかったのですが
これから台風7号が接近してくる。
2018年の台風21号のような被害がでなければいいのですが…

2018年 台風21号(大阪)」(NHKアーカイブス)
お彼岸やお盆のお供えとして

 第五章 行事と儀礼にみる和菓子
 お盆と菓子


 お盆は先祖を祀る日です。
7月13日迎え火で先祖の霊を家に迎え、15日には送り火で御霊を送ります。
京都の大文字(だいもんじ)焼はまさに送り火にあたり、五山の送り火と呼ばれています。
新暦の現在では、月遅れの8月に行う地域も多いようですが、毎年繰り返される帰省ラッシュを考えると、8月にお盆を行う地域が多いようにも感じられます。
お盆には果物など様々な食品を模した落雁を仏壇に供える地域も多いようです。
お供え用の落雁を打ち出したと思われる木型も多く残っています。
お盆といえば精進ということで、魚を供えるわけにはいかずヒラメなどの落雁木型もあります。
(『図説 和菓子の歴史』青木直己 ちくま学芸文庫 2017年)
 落雁(らくがん)

 もち米や麦などの穀物の粉に砂糖類を加えて型に入れ、打ち出した干菓子(ひがし)
毎年お彼岸の頃になると、菊や蓮形の落雁がスーパーや和菓子屋に並ぶが、なぜこの名がついたのだろうか。
(『事典 和菓子の世界 増補改訂版』中山圭子 岩波書店 2018年)
 名前の由来には諸説あり、中国の菓子「軟落甘(なんらくかん)」にちなむ(『舜水朱子談綺(しゅんすいしゅしだんき)』ほか)ともいわれるが、この菓子の実体は不明だ。
『類聚名物考(るいじゅうめいぶつこう)』(1780)には、「もと近江八景の平砂の落雁より出でし名なり 白き砕米に黒胡麻(ごま)を村々とかき入たりそのさま雁に似たればなり」とある。
絵画や詩歌の題材として知られた瀟湘八景(しょうしょうはっけい<中国の瀟水と湘水の付近にある八つの佳景)の「平沙落雁」や近江八景(先の瀟湘八景にならった近江の佳景)の「堅田(かただ)落雁」の連想で、黒胡麻を雁が列をなして降りていく様に見立てたという解釈だろう。
これに関連してか、献上された落雁を見て、後陽成(ごようぜい)天皇(在位1586~1611)が、「白山の雪より高き菓子の名は、四方(よも)の千里に落つる雁かな」と詠んだという逸話もある(『語理語源』)。
史料としては、天正9(1581)年6月16日、織田信長が徳川家康を饗応した折の献立に見えるのが古い(「御献立集」慶應義塾大学図書館蔵)。
また寛永12(1635)年、虎屋が御所に、羊羹や饅頭などと一緒に落雁を納めている。
茶会記では、『松屋会記』の正保5(1648)年3月25日に、金森宗和(かなもりそうわ)が松屋久重(ひさしげ)らを招いた茶会に見える。
 初期の落雁は丸や四角など単純な形だったと考えられるが、しだいに凝ったものが作られるようになった。
『合類日用料理抄(ごうるいにちようりょうりしょう)』(1689)の菓子類「落雁」の項に「菊扇草花(きくおうぎくさはな)生類いろいろほ(彫)りこみたる木のかた(型)へ右のさたう道明寺合たるをへらにて摺(すり)こみ木のかた(型)をうつふけてたゝけはらくがん(落雁)になり申候」とあるように、植物、調度、動物など、デザインの多様化がうかがえる。
 江戸時代後期には製造技術が向上し、贈答での使用が多くなったこともあり、豪華で立派な落雁がもてはやされた。
和歌山県の総本家駿河屋には、紀州藩の10代藩主徳川治宝(はるとみ)が大形の見事な落雁を作らせた史料などが伝えられる(現在、和歌山市立博物館蔵)。
紀州の景勝や筆・硯(すずり)をかたどった木型など、その技術の粋には圧倒される。
また、江戸幕府の御用をつとめた金沢丹後(かなざわたんご)などの菓子絵図にも、手の込んだ意匠の落雁を見ることができる。
さらに落雁は、茶会やお供(そな)え、間食用にも作られ、庶民にも親しまれた。
とくに疱瘡(ほうそう<天然痘>)見舞いには、赤い色が病を除けるとして鯛や海老などの真っ赤な落雁が好まれた。
また、滝沢馬琴(ばきん)の『馬琴日記』(1826~48記)を読むと、親戚や知人を訪ねる折の手土産にも落雁が使われていたことがわかる。
 明治~昭和にかけても、式典やお祝い、不祝儀などの折に様々な意匠の大ぶりの落雁が用いられた。
砂糖が貴重だった時代、落雁はありがたみのある食べ物だったが、現在ではお彼岸用のお供えあるいは茶席の小さな干菓子として作られるものが主流になっている。
(『事典 和菓子の世界 増補改訂版』中山圭子 岩波書店 2018年)

15日はご先祖さまを送る日なのですが、台風7号がやってきそうです。
台風7号 15日に近畿に接近 上陸おそれも 暴風に厳重警戒」(関西NHK)