2023年8月11日金曜日

山の日

台風6号が熱低になり去って行きました。
各地で豪雨の被害が出ているのに
大阪は、雨が降らなかったので向日葵たちがグタッとなっています。

台風7号 小笠原諸島が暴風域 来週 東・西日本大荒れのおそれ」(NHK)
今日は「山の日」なんだけど

富士登山オフィシャルサイト(8月9日)に

五合目はかなりの雨ですが、この時間から登ろうとする人がちらほらいます。
そういう登山者ほど装備が、、、
インフォメーションセンターのスタッフが必死に危険性を伝えています。
富士山でこんなビニール合羽、絶対NGです!富士山ナメたらいけません!

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夜間に軽装での弾丸登山は大変危険です。高山病や低体温症のリスクが高くなるだけでなく、登山渋滞や落石などが発生する原因になります。
夜間に五合目から登り始めることは控えていただくようお願いいたします。
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前に、一人で山を登ることが多かったと書きました。
一人で登るので事前の準備は念入りにしていました(装備やルートの確認など)。
槍ヶ岳などを登る前には、登山計画の提出と山岳保険もかけていました。
夏でも低体温症などで危険な状態になります!
特に、雨具と防寒具は高くてもいいものを求めていました。
学生時代、お金がないのでゴアテックスの雨具を買えなかった。
登山用の雨具でしたが、登っているときに雨具の中に汗がたまって
腕を伸ばすとソデにたまった汗が流れてブルブルふるえました。
途中で小休止をしようと立ち止まると寒さで長いこと休憩できなかった。
社会人になりゴアテックスの雨具を購入したときは嬉しかったです。
二 山の神 
  ――女の力――
 山の神迎え


 山の神を産神とみなす地域は、比較的東日本に多い。
秋田県の山の神を調べると、産室には、山の神の掛軸がかかっているし、山の神が来ないとお産ができないとされている。
産気づいてくると、早速トリ上ゲバアサン(産婆)に連絡し山の神迎えをするのである。
(『神の民俗誌』宮田登 岩波新書 1979年)
 秋田県川連(かわつら)の山の神迎えの事例を伊藤雅義氏の報告から紹介しよう。
 この地方では、産神は、以前から宮城県小牛田(こごた)の山の神であった。
神迎えの方法は、屋根に上って南方に向かい、「ワラシナシがはじまった、マメデナシ(安産)のように」と祈願する。
ただ山の神もすぐには来られない場合もあって、そうすると難産の様子になったりする。
産婆は、まだ山の神が来ないので、なかなか生れない、早く呼ぶようにと再三主人に告げる。
すると主人は、南方の山の神のいる方向に向かって迎え馬を出すのである。
山の神はこちらに向かって来るのであるから、途中で出会うはずであり、南に向かった馬が山の神に出会うと、その場に止って動かなくなる。
そこで「山の神さま、馬に乗ってください」と言って、元へ引き返す。
家に着いて、山の神の到着を告げると、産婦は安心して、出産できる。
もし山の神の到着が遅れ、遠方まで行ってから引き返すことがあると、難産で死んでしまうことがあるという。
こうした場合は日頃山の神信仰の薄い人だといわれており、多くの女性は、出産のことがあるため、日頃山の神への信心はきわめて厚いのである。
 こうした民間伝承は、東北の山村地帯でよく聞かれる。
五か月目のオビ祝いの時期から山の神を祀り、いよいよ臨月になると、山の神迎えをする。
わざわざ山の神の社から枕を借りてきて、産室に置くのである。
 山の神迎えに馬を使ったが、馬は神霊の乗物だった。
この場合、とくの山の神の姿が神像をもって描かれているのではなく、精霊のように考えられている点は、この神がより古い姿を保っていることを示している。
 もし馬がない場合には、岩手県遠野地方では、オビタナを持って迎えに行ったという。
オビタナは、子どもを背負う時に使う帯のことである。
このオビタナは、子どもが生まれたならば神社か、村の三叉路まで持って行き、送り返す作法をするという。
オビは、ウブと関連する言葉だとすれば、帯にのせてくる神は、まさしくウブ神なのである。
 冒頭で示した「産神問答」の昔話の中には、しばしば、馬にのってひづめをならしながらやってくるウブ神のことが記されていたが、この神が、はっきり山の神だとしている地域は、東北地方一円から、関東・中部地方にも及んでいる。
 女神の出産

 産神がなぜ山の神になっているのかは、民俗学上の一つの課題であって、まだ分かっていない。
山の神の性格は、後述するように、きわめて複雑多岐にわたっていて、その本体がつかめないために、山の神のどの部分がウブ神と関わっているのか、すっきりと説明できないのである。
山の神とウブ神とがたまたま一致して習合したとしても、両者がもし異質なものだったならば、反撥し合う点も出てくるはずだが、産神と山の神の間にはそうした違和感が生じていない。
 それは山の神の多様な属性の中で、とりわけ、山の神が女性であり、かつ出産するという説明があり、産神であって差し支えないと人々が理解する傾きが強かったためなのである。
 女神である山の神が出産する、その場面に出会った男が、その手助けをするというモチーフの民話は、広い地域に広がっている。
その場合の男は、狩人・杣(そま)・炭焼など、いわゆる山民に属する非農業民だったという特徴は見逃せない。
 柳田国男『神を助けた話』には、日光山麓の万三郎という狩の名人が、大蛇である日光権現を助けて、敵対したむかでの赤城明神を、弓矢で両眼を射て退治した。
その功によって、どこの山でも狩をしてよいという特権を得た話をのせている。
この万三郎は、功名天皇の末裔で、たまたま日光に流されており、狩の名手となっている。
日光権現は、その御礼として狩の特別の権限を、天皇家から授けさせ、かつ万三郎は神化して、狩人の祖神に祀られる。
万三郎を祖神とする狩猟民の特別の権利が、この主題となっている点は明らかであり、その内容を記した巻物は「山立由来記」ともよばれている。
 狩猟民の権利を保障した山神は、実は女神だったのであり、この女神の出産について語る興味深い話がある。
 これは佐々木喜善『東奥異聞』に収録されたものであるが、岩手県遠野地方附馬牛(つくもうし)という山里に住む万治・磐司という二人の狩人がいた。
万治の方は名人だが、磐司の方はなかなか獲物がとれない。
ある日、万治が守山に行くと、途中で美女が出産の最中で血だらけになって苦しんでいた。
女は助けを乞うたが、狩は、産穢を忌む習いなので、それを断わってしまう。
その後磐司が通りかかり、やはり女に助力を求められるが、磐司の方は拒否せず、女を介抱して、首尾よく子を生ませた。
生んだ子は十二人いた。
女人はたいそう喜んで、磐司に山の幸を授けることを約束する。
山中で「磐司」と、名前を称えたら、かならず山の幸が与えられるというのである。
それ以後は、大きな獲物をつかまえることができるようになり、磐司がそれを記念して、月の十二日を、女人の祝日とした。
後世十二月十二日は狩人の祭日となり、山中へ入ることができないことになった。
この女人は山の神であるが、一方では北上山脈の高山早池峯(はやちね)山の山神らしい。
ただし山神は、美女の時もあるし、大入道だったり、老婆だったりするが、出産のモチーフがある場合は、美女として出現している。
(『神の民俗誌』宮田登 岩波新書 1979年)

「山の日」は8月12日の案もあったようですが、
日航ジャンボ機 墜落」(NHKアーカイブス 1985年)