昨日、父の診察日で病院に妹と三人で出かけました。
車のエアコンの風が顔に当たるようにして病院に向ったのだけど
病院入口の体温測定がまたもや「38℃」になってしまった。
父の診察が終わり、帰るときに測ったら「36.6℃」。
「危険な暑さ続く 熱中症に厳重警戒を 東京都心は16日目の猛暑日」(NHK)
「台風6号 沖縄本島・奄美地方に再接近 線状降水帯発生おそれも」(NHK)
1時間ほどリハビリで歩いていても喉が渇きます。
飲んでも飲んでもすぐ汗になる
明日8月6日は、
原子爆弾
水をのみ死にゆく少女蟬の声
(『定本原民喜全集Ⅲ』 青土社 1978年)
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
死ンダハウガ マシデ
死ンダハウガ
アア
タスケテ タスケテ
水ヲ
水ヲ
ドウカ
ドナタカ
オーオーオーオー
オーオーオーオー
(『原民喜全詩集』岩波文庫 2015年)天ガ裂ケ
街ガ無クナリ
川ガ
ナガレテヰル
オーオーオーオー
オーオーオーオー夜ガクル
夜ガクル
ヒカラビタ眼ニ
タダレタ唇ニ
ヒリヒリ灼ケテ
フラフラノ
コノ メチヤクチヤノ
顔ノ
ニンゲンノウメキ
ニンゲンノ
(『原民喜全詩集』岩波文庫 2015年)
以前、紹介した詩ですが、見直すと1行「タダレタ唇ニ」が抜けていました。 「檸檬」つづき
ある朝――其頃私は甲の友達から乙の友達へといふ風に友達の下宿を転々として暮してゐたのだが――友達が学校へ出てしまつたあとの空虚(くうきよ)な空気のなかにぽつねんと一人取残(とりのこ)された。
私はまた其処から彷徨(さまよ)ひ出なければならなかつた。
何かが私を追ひたてる。
そして街から街へ先に云つたやうな裏通りを歩いたり、駄菓子屋(だぐわしや)の前で立留(たちどま)つたり、乾物屋(かんぶつや)の乾蝦(ほしえび)や棒鱈(ぼうだら)や湯葉(ゆば)を眺めたり、たうとう私は二条の方へ寺町(てらまち)を下(さが)り其処の果物屋(くだものや)で足を留めた。
此処でちよつと其の果物屋を紹介したいのだが、其の果物屋は私の知つてゐた範囲で最も好きな店であつた。
(『梶井基次郎全集 第一巻』筑摩書房 1999年)其処は決して立派な店ではなかつたのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感ぜられた。
果物は可成勾配の急な台の上に並べてあつて、その台といふのも古びた黒い漆塗(うるしぬ)りの板だつたやうに思へる。
何か華(はな)やかな美しい音楽の快速調(アツレグロ)の流れが、見る人を石に化したといふゴルゴンの鬼面――的なものを差(さ)しつけられて、あんな色彩やあんなヴオリウムに凝り固まつたといふ風に果物は並んでゐる。
青物(あをもの)もやはり奥へゆけばゆくほど堆高(うづたか)く積まれてゐる。
――実際あそこの人参葉の美しさは素晴しかつた。
それから水に漬けてある豆だとか慈姑(くわゐ)だとか。 また其処の家の美しいのは夜だつた。
寺町通は一体に賑やか通りで――と云つて感じは東京や大阪よりずつと澄んでゐるが――飾窓の光がおびただしく街路へ流れ出てゐる。
それがどうした訳(わけ)かその店頭(みせさき)の周囲だけが妙に暗いのだ。
もともと片方(かたはう)は暗い二条通に接してゐる街角になつてゐるので、暗いのは当然(たうぜん)であつたが、その隣家が寺町通りにある家にも拘(かかは)らず暗かつたのが瞭然(はつきり)しない。
然し其家が暗くなかつたらあんなにも私を誘惑(いうわく)するには至らなかつたと思ふ。もう一つは其の家の打ち出した廂(ひさし)なのだが、その廂が眼深(まぶか)に冠つた帽子の廂のやうに――これは形容といふよりも、「おや、あそこの店は帽子の廂をやけに下げてゐるぞ」と思はせるほどなので、廂の上はこれも真暗(まつくら)なのだ。
さう周囲が真暗なため、店頭(みせさき)に点けられた幾つもの電灯が驟雨のやうに浴せかける絢爛(けんらん)は、周囲の何者にも奪はれることなく、肆(ほしいまま)にも美しい眺めが照し出されてゐるのだ。
裸の電灯が細長い螺旋棒(らせんぼう)をきりきり眼の中へ刺し込んで来る往来に立つてまた近所にある鎰屋(かぎや)の二階の硝子窓をすかして眺めた此の果物店(くだものみせ)の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だつた。 その日私は何時になくその店で買物をした。
といふのはその店には珍らしい檸檬(れもん)が出てゐたのだ。
檸檬など極くありふれてゐる。
が其の店(みせ)といふのも見すぼらしくはないまでもただあたりまへの八百屋に過ぎなかつたので、それまであまり見かけたことはなかつた。
一体(たい)私はあの檸檬が好きだ。
レモンヱロウの絵具をチユーブから搾(しぼ)り出して固めたやうなあの単純な色も、それからあの丈(たけ)の詰つた紡錘形の恰好も。――結局私はそれを一つだけ買ふことにした。
それらかの私は何処(どこ)へどう歩いたのだらう。
私は長い間(あひだ)街を歩いてゐた。
始終私の心を圧(おさ)へつけてゐた不吉な塊がそれを握つた瞬間からいくらか弛(ゆる)んで来たと見えて、私は街の上で非常に幸福であつた。
あんなに執拗(しつこ)かつた憂鬱が、そんなものの一顆で紛らされる――或ひは不審(ふしん)なことが逆説的な本当であつた。
それにしても心といふ奴は何といふ不思議な奴だらう。 その檸檬の冷(つめ)たさはたとへやうもなくよかつた。
その頃私は肺尖を悪くしてゐていつも身体(からだ)に熱が出た。
事実友達の誰彼に私の熱を見せびらかす為に手の握り合ひなどして見るのだが私の掌(てのひら)が誰のよりも熱(あつ)かつた。
その熱(あつ)い故(せゐ)だつたのだらう、握(にぎ)つてゐる掌(てのひら)から身内(みうち)に浸み透つてゆくやうなその冷(つめ)たさは快(こころよ)いものだつた。 私は何度も何度もその果実を鼻に持つて行つて嗅(か)いで見た。
それの産地だといふカリフオルニヤが想像に上(のぼ)つて来る。
漢文で習つた「売柑者之言」の中に書いてあつた「鼻を撲(う)つ」といふ言葉が断(き)れぎれに浮んで来る。
そしてふかぶかと胸一杯(むねいつぱい)に匂やかな空気を吸込(すひこ)めば、ついぞ胸一杯に呼吸したことのなかつた私の身体(からだ)や顔に温い血のほとぼりが昇(のぼ)つて来て何だか身内に元気が目覚めて来たのだつた。………
実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずつと昔からこればかり探してゐたのだと云ひ度くなつたほど私にしつくりしたなんて私は不思議に思へる――それがあの頃のことなんだから。
…つづく…