今朝も青空が眩しくて強烈な暑さ(;´Д`)
それでも時たま吹く風がサラッとしていてホッとします。
台風の動きが気になります。
「台風9号 先島諸島は30日以降大しけ 11号は31日以降沖縄接近か」(NHK)〝中国の水産物禁輸「全く想定していなかった」 野村農相 処理水巡り〟(毎日新聞 8月25日)
だそうですが、中国は、日本政府が台湾問題や半導体規制など
アメリカと歩調を合わせるような動きをしているので攻撃する機会を待っていたと思う。
また、日本人学校や日本国内への迷惑電話などの嫌がらせは
中国国内での不満のはけ口を日本に求めているように思えます。
中国政府は、国民のガス抜きにしようとしているのかもしれません。
確か中国や北朝鮮の漁船が大和堆(やまとたい)で違法操業を行っていた。
「日本海大和堆周辺水域等における外国等漁船への対応状況について(令和4年)」(水産庁 令和5年1月17日)
これを機に日本の漁船が安全に操業できるようになるといいですね。 「ペーパーバック版へのあとがき」つづき
気持ちが明るくなったり、おもしろおかしく感じられるような思い出もある。
ノーマン・トーケルソンは、母親のジーン・テレサ・ビューについて次のように書いている。
両親ときょうだいと一緒にドキュメンタリーテレビ番組『60ミニッツ』の第2次世界大戦特集を観たときのことである。
番組では、珊瑚海海戦と、それに先立つ暗号解読について解説されていた。
「もう、戦争中にしていたことを話してもよさそうね」と、母が唐突に言った。
父が、お母さんは秘書だったんだよと言いかけると、母が割って入った。
「いいえ、ハロルド。わたしは海軍で暗号を解読していたの。わたしたち女性が、あの戦いの暗号に挑んで破ったのよ」。
そして立ち上がり、部屋にいた全員とハイタッチを交わした。
「父さんは言葉を失っていた」とノーマンは思い返す。
(『コード・ガールズ 日独の暗号を解き明かした女性たち』ライザ・マンディ著、小野木明恵訳、みすず書房 2021年) まだ母親が存命だという幸運な読者もいて、本書がきっかけで当時の生活についての話に花が咲き、新しい絆が生まれたという報告も多数あった。
それを知ってわたしは、誰もが両親や祖父母にもっと頻繁にインタビューすべきではないかと思ったものだ。
マーガレット・ペイン・ウィットの息子、ジョン・ウィットは、本書を翌日配達で母に送った。
「母が自分の働きをとても誇りに思っていることを知っています。今なら、初めてそれを表に出すことができるでしょう」
エイダ・ネスターの息子ジョンは、クリスマスのプレゼントに本書を贈った。
エイダはオハイオ州の自宅でそれを手に取ると、「わたしたちを追い出して、一気に読みました」。
国務省職員のジョン・エリオットは、フェイスブックに母のアネット・ダイヤ・シャーマンのページを作成している。
アネットは存命で、第2次世界大戦中は夫とともに暗号解読に従事していた。 全国を回って『コード・ガールズ』について講演していると、聴衆のなかに本物のコード・ガールがいることがいくどかあった。
聴衆はみな、毎回、コード・ガールに敬意を表し感謝を伝える機会ができて喜んでいた。
ニューオリンズの講演を控えたころ、ヴァル・スペンサーという名の公務員からEメールが送られてきた。
「わたしは97歳の母、ヴァローラ(ヴァル)・スペンサーと同居しています」とメッセージにはあった。
母親のほうのヴァルは、耳が不自由だが、『ニューオリンズ・アドヴァケート』紙に掲載された講演会の広告を目に留めて、欄外にメモを書き、台所のテーブルに置いたらしい。
「わたしが戦争中にしていたのは、これ」という一文だった。
それからメモ帳に別のメモを書いた。
「講演に行って、わたしのために本にサインをもらってきてちょうだい。わたしが行けないのはわかっているけど、あなたが行って本にサインをもらってきて。作者に、わたしがコード・ガールだったと伝えて。携帯電話でその人の写真を撮ってきてちょうだい」。
それから、また別のメモも書いた。
「ヴァローラ・D――この本を一冊ください。電話をして、わたしがコード・ガールだったということと、一冊ほしいということを伝えてください」。
結局、母と娘は二人とも講演に来ることができた。
アーリントン・ホールの映像を目にした母親のほうのヴァルは、明らかにふるえていた。
聴衆は彼女に拍手喝采を送った。 さらに、コード・ガール自身からもEメールをもらい(フェイスブックのメッセージも)、感激した。
「このテーマについて深く調査してくださり感謝いたします。死刑になると言われていたので、自分からは話せないでいました」と、ジュリー・スコットは書いていた。
スミス・カレッジの最上級生のときに採用され、ワシントンに赴いてJN-25の担当となり、海軍婦人部隊の士官6人と同居していた、と教えてくれた。
「アネックスまでバスに乗っていって当直勤務しました」。
料理をした人はお皿を洗わなくてもよいというルールを決めていたという。
「当時を振り返ると、残酷な戦争のあいだに、あんな楽しい時間を過ごしていて申し訳なかったとときおり思います」
「わたしもコード・ガールで、あなたの本に出てきた女性たちのほとんどを知っています――とくにアン・ホワイト・カーツは」とジュディ・パーソンズは書いている。 暗号解読者の親戚もわたしに会いに来てくれた。
そのなかには、ほかでもない偉大なるアグネス・ドリスコールの甥の息子もいて、海軍の制服姿で訪ねてきた。
わたしは、すべてのEメールや会話を大切に思っている。
また本書が、わたしがインタビューをした女性たちだけでなく、本書が家族の物語の一部をなす何百人ものアメリカ人たちとわたしを結びつけてくれた縁を大切に思っている。
朝鮮やベトナムで同様の任務についていた男性たちからも話を聞いたが、彼らは、草分けとなった女性たちの真価を認めていた。
砂漠の嵐作戦〔湾岸戦争における多国籍軍によるイラク空爆作戦〕時にイラクで暗号関係の仕事をしていた女性たちにも面会した。
ある男性からもらった手紙には、終戦から数十年後にアーリントン・ホールに駐屯したことがあり、「わたしもドットとクロウと同じ部屋で働いていたと思いたいです」と記されていた。 うれしいことに、本書で描いた女性たちの何人かがコミュニティにおいて名誉を称えられた。
アン・シリーとルース・マースキーは地元の新聞に紹介記事が掲載され、ジュエル・エスメイチャーはブックトークを行い、聴衆の数はのべ数百名にのぼった。
それからドットのことも!
ドットは、地元隣地バーグの新聞をはじめあらゆるところで紹介され、シャーロッツビルの文学フェスティバルでわたしとともにパネリストとして参加し、拍手喝采を受けた。
ドットはブック・パーティーに出席し、二次会にも顔を出した。
さらに、介護付き住宅の壁に掲示された名誉ある人物リストに仲間入りし、写真が飾られた。
これはドットにとってもっとも重要なことだった。 わたしの暮らすバージニア州アーリントン在住の多数の人々から、ドロシー・ラメールから数学を教わったという便りがたくさん届いた。
「ミセス・ラメール(ミセスの敬称は70年代には一般的でした)はとてもとてもすばらしい先生でした。わたしは数学が大好きで、ラメール先生の授業が楽しみでした(そのころの十代の生徒にとって女性が数学を教えるのはものすごいことでした)」とクリスティーン・ペインは書いている。
ワシントンには現在では17のインテリジェンス機関があり、この地域に暮らしていると、こうした機関の職員にコード・ガールの子孫がたくさんいることがわかってきた。
じつはコード・ガールたちからは、現在活躍するインテリジェンス関係者と外交官が多数生まれており、公職につく人材が何世代にもわたって輩出されている。
国務省外務局の職員で、ジョージアはトビリシのアメリカ大使館で首席公使を務めるエリザベス・ルードから便りをもらった。
「わたしの母のメアリー・フランシス・マンチ・ルードは」コード・ガールだった、とつづられていた。
メアリーは16歳で高校を卒業し、イエール大学の修士課程で古典語を専攻しているときに戦争が勃発し、アーリントン・ホールに勤務するようになった。
その後、医師の資格を取り精神科医になった。 コード・ガールはまた、軍隊において女性が歩む道を作った。
ビル・ナイ・ザ・サイエンス・ガイには、母親のジャクリーン・ジェンキンズ=ナイが戦時中に暗号に携わっていた影響もあって、科学教育者(とスイング・ミュージックとリンディ・ホップ・ダンスの愛好家)になったと教えられた。
ビルは、母の葬儀のことをよく思い出すらしい。
海軍退役軍人のジャクリーンはアーリントン国立墓地に埋葬されたが、弔砲を撃った軍の「ライフル・マン」7名のうち3名が女性だったという。
「母はとても喜んだことでしょう」と書いている。
ジャクリーンは筋金入りのフェミニストだったからだ。
ほかの読者たちも、自身の親が生きた時代について知ることができたと喜んでくれた。
「この本は、わたしがまったく知らなかった母の世代についての物語です」とデボラ・ロスマンは書いてくれた。
母たちが召集に応じたから自分がこの世に存在しているという話もよくあった。
マーガレット・エレン・ポーターからのメッセージには、母親のマーガレット・ジェーン・ウッズは、ワシントンで暗号解読をしているときに将来の夫に出会ったと書かれていた。 わたしがいちばん好きな逸話は、バージニア州フレデリックスバーグで開かれたブックトークで聞いたものだ。
それを発言した男性の名前をきちんと聞き取れなかったのが残念だが。
その人物は、両親は二人とも戦争中に海軍にいたと話してくれた。
母はワシントン、父は太平洋で任務についていたという。
二人とも暗号解読に携わっていたのは知っているが、両親はそれ以上のことは、子どもにも夫婦間でも語ろうとはしなかった。
ある日、その男性は両親をフォート・ミードにある国立暗号博物館に連れていった。
そこには、日本人の外交官が使用していたタイプのパープル暗号機が展示してある。
母はそれを見て驚愕した。
そときまで、パープル暗号の存在と、自分たちがそれを破ったということを公表するのが許されているとは知らなかったからだ。
「わたしはこの暗号機を担当してたのよ!」と誇らしげに言った。
それにたいして父が、「きみがパープルをパープルを担当してたって? ぼくもパープルをやってたんだよ!」と応えた。
二人は、同じ暗号を解読するプロセスにかかわっていたのに、それを知らないでいたのだった。
ウェブサイト www.codegirlsstories.com をぜひのぞいてみてほしい。
コード・ガールとその家族についての私的な物語をもっとたくさん読むことができ、さらにはあなた自身の物語も分かち合うことができる。
ライザ・マンディ
2018年4月
(『コード・ガールズ 日独の暗号を解き明かした女性たち』ライザ・マンディ著、小野木明恵訳、みすず書房 2021年)今朝の父の一枚です(^^)/
モクレンの花が咲いています。
一つ二つなら時々見かけるのですが…
モクレンの花ではありませんし、
まだ裏づける根拠は見つかっていないそうですが
第5章 やさしくない太陽に抗して、生きる
花の色素は、防御物質
…前略…
この植物は、それにとどまらず、「土壌の放射能汚染を緩和する効果がある」といわれています。
1986年、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所で大事故がありました。
そのとき、放出された放射性物質によって土壌が汚染されました。
その土壌汚染の緩和に役立つことが示されています。
その理由は、ナノハナは、放射性物質であるセシウムやストロンチウムを土壌から吸収するからです。
ただ、これは、ナノハナだけの特別な性質ではありません。
ふつうの植物も、土壌からカリウムやカルシウムを養分として吸収します。
そのとき、セシウムやストロンチウムもいっしょに吸収します。
それなら、「なぜ、ナノハナだけに、土壌の放射能汚染を緩和する効果があるといわれるのか」との疑問が生まれます。
これについては、納得のいく説明はなされていません。
ナノハナは、成長が速いので、他の植物より多くの量を吸収するのかもしれません。
ですから、成長の速いヒマワリにも、同じはたらきがるといわれています。
しかし、現在では、ナノハナやヒマワリが特別の作用をもつことを裏づける根拠は見つかっていません。
…後略…
(『植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫』田中修 中公新書 2012年)
ネットで検索すると期待しすぎない方がいいようです。
セシウムやストロンチウムを吸収したのをどう処分するかの問題もあるようです。