今朝も秋晴れです♪
明日、低気圧が発達して大荒れになるなんて信じられないくらいです。
明日、低気圧が発達して大荒れになるなんて信じられないくらいです。
ジョウビタキ♀が鳴いていました。
この鳥が元気よくヒッヒッカタカタと鳴いているのは、なわばりの宣言だ。
シベリアでの繁殖期のなわばりとは別に、日本の冬を過ごす間、
自分の食べ物を維持するためのなわばりをオスもメスも1羽ずつもつ。
春が来れば結婚するかもしれないもの同士でも、冬は互いに容赦しない。
自動車のサイドミラーに映ったわが身ですら激しくライバル視する。
(『鳥のおもしろ私生活』)
シベリアでの繁殖期のなわばりとは別に、日本の冬を過ごす間、
自分の食べ物を維持するためのなわばりをオスもメスも1羽ずつもつ。
春が来れば結婚するかもしれないもの同士でも、冬は互いに容赦しない。
自動車のサイドミラーに映ったわが身ですら激しくライバル視する。
(『鳥のおもしろ私生活』)
朝ですが(^_-)
ゆふ空から柚子のひとつもらふ
(『山頭火文庫 4巻 一草庵日記・随筆』)
(『山頭火文庫 4巻 一草庵日記・随筆』)
散る木の葉散らぬ木の葉もやがて散る
(『俳句で綴る変哲半生記』)
(『俳句で綴る変哲半生記』)
水皺(みしわ)かすかに池の面にあり銀杏樹(じゆ)のいまか崩れむ鬱金(うつこん)を盛る 葛原妙子
和泉式部集上
かぜ
かぜ
秋吹(ふ)くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらん
「見にしむ」に、しみじみと感ずる意と色が身にしみつく意をかけ、上の「色」の縁語とした。
(『和泉式部集・和泉式部続集』)
(『和泉式部集・和泉式部続集』)
百舌鳥の鳴く裏庭にもある秋の色 岩本雀踊子
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)
ムラサキシジミが翅を広げてくれました(^-^)
父の撮した画像の中に何枚かセグロセキレイが登場していました。
妹と一緒に見ながら話を聞くとセキレイが三羽いたのだけど
近づくとすぐに飛んでいって撮すのに苦労したようです。
トイレに行きたいのを我慢して撮したとか(^^ )
父がセキレイを撮したいと思ったのは…
妹と一緒に見ながら話を聞くとセキレイが三羽いたのだけど
近づくとすぐに飛んでいって撮すのに苦労したようです。
トイレに行きたいのを我慢して撮したとか(^^ )
父がセキレイを撮したいと思ったのは…
(2012年11月2日)
母は、セキレイ(右端)に出会うのを楽しみにしていました。
ハクセキレイなどがチョコチョコと動き回るのを見てニコニコ顔になっていました。
ハクセキレイなどがチョコチョコと動き回るのを見てニコニコ顔になっていました。
死して後お母さんと呼ぶをためらわずなりお袋となり損ねた母 永田 淳
■母との電話
(略)
それが、母が死んでからは「お母さん」と素直に言えるようになっている。
一昨日、帰宅しようと車に乗ったところ、母の携帯電話から電話がかかってきた。
もしかして母の声が聞こえるのかもしれない、と思ったが、父からであった。
父は沈んだ声で、今日の夜からの東京出張をキャンセルして、明日の早朝から出かける旨を伝えてきた。
帰りの道中、運転をしながら、亡くなる二日前に母が遺(のこ)した言葉を幾度も反芻(はんすう)していた。
「お父さんをひとりぼっちにしてはいけませんよ。お父さんはさみしい人なのだから。頼みましたよ」と父の頭を撫(な)でながら母は二度三度、繰り返した。
深泥池を過ぎた頃、さっきの電話はやはり母からだったのだ、とはたと思い至った。
東京のホテルに泊まらない、ということは今夜食べるものがないのだ。
家の駐車場に車を停(と)めて、母の携帯電話にかけると、いくぶん明るさを取り戻した父が出た。
「晩ごはん食べに来る?」と聞くと「おやっさんが持って来てくれたカレーがあるからそれを食べる。パックのご飯もあるから」と父は答えた。
そう言えば、父も祖父を呼ぶとき「おやっさん」といい、六十年近く前に亡くした母のことは「お母さん」と呼んでいたことに、このとき気がついた。
一昨日、帰宅しようと車に乗ったところ、母の携帯電話から電話がかかってきた。
もしかして母の声が聞こえるのかもしれない、と思ったが、父からであった。
父は沈んだ声で、今日の夜からの東京出張をキャンセルして、明日の早朝から出かける旨を伝えてきた。
帰りの道中、運転をしながら、亡くなる二日前に母が遺(のこ)した言葉を幾度も反芻(はんすう)していた。
「お父さんをひとりぼっちにしてはいけませんよ。お父さんはさみしい人なのだから。頼みましたよ」と父の頭を撫(な)でながら母は二度三度、繰り返した。
深泥池を過ぎた頃、さっきの電話はやはり母からだったのだ、とはたと思い至った。
東京のホテルに泊まらない、ということは今夜食べるものがないのだ。
家の駐車場に車を停(と)めて、母の携帯電話にかけると、いくぶん明るさを取り戻した父が出た。
「晩ごはん食べに来る?」と聞くと「おやっさんが持って来てくれたカレーがあるからそれを食べる。パックのご飯もあるから」と父は答えた。
そう言えば、父も祖父を呼ぶとき「おやっさん」といい、六十年近く前に亡くした母のことは「お母さん」と呼んでいたことに、このとき気がついた。
(22.9.11)
(『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』)
(『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』)
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