2021年10月26日火曜日

雨があがって

昨日一日中降っていた雨がやんでくれました。
青空が広がっていたけど途中で西の空を黒い雲が覆ってきました。
ほんのチョッピリ降ったけど傘をささずに歩けました。
公園の金木犀の花が咲きそう。
それも一か所だけでなく(ギンモクセイも)
今年は、キンモクセイが元気がないなと思っていたら
ここ数日の寒さで元気になったのかな?

12月以降は厳しい寒さ 大雪のおそれも 気象庁3か月予報」(NHK)
秋篠宮ご夫妻と佳子さまを眞子さまを見送る姿を見ていると幸せになってほしいなと思う。
佳子さまが眞子さまにハグする姿に家族の思いがひしひしと伝わってきました。
今日からは、眞子さまでなく眞子さんになる。
アメリカに渡っても週刊誌などに追いかけられないように願います。

眞子さん 秋篠宮邸を出発 秋篠宮ご夫妻や佳子さまが見送り」(NHK)

眞子さんと小室圭さん 結婚記者会見」(NHK)
 国立公文書館のTwitterに

戊辰戦争最後の戦いとなった箱館戦争。
旧幕府軍は明治元年(1868)10月26日、無人となっていた五稜郭を占拠し防衛戦に臨みました。

#青天を衝け  #町田啓太 さんが演じた土方歳三の最期の地としても有名ですね。
画像は公文録収録の函館五稜郭開拓使ヨリ請取方伺です。
(「」つづき)

 お定の臥ていた部屋は寺田屋中で一番風通しがよかった。
まるで七年薬草の匂いの褐(あか)くしみこんだその部屋の畳を新しく取り替えて、蚊帳をつると、あらためて寺田屋は夫婦のものだった。
登勢は風呂場で水を浴びるのだった。
汗かきの登勢だったが、姑をはばかって、ついぞこれまでそんなことをしたことはなく、今は誰はばからぬ気軽さに水しぶきが白いからだに降り掛って、夢のようであった。
(『織田作之助全集 5』青山光二、伊吹武彦、瀬川健一郎、藤沢桓夫、前川和彦編纂 講談社 昭和45年)
 蚊帳へ戻ると、お光、千代の寝ている上を伊助の放った螢が飛び、青い火が川風を染めてゐいた。
あ、螢、螢と登勢は十六の娘のように蚊帳中をはねまわって子供の眼を覚ましたが、やがて子供を眠らせてしまうと、伊助はおずおずと、と、と、登勢、わい、じょ、じょ、浄瑠璃習うてもかめへんか。
酒も煙草も飲まず、ただそこらじゅう拭きまわるよりほかに何一つ道楽のなかった伊助が、横領されやしないかとひやひやして来た寺田屋がはっきり自分のものになった今、はじめて浄瑠璃を習いたいとその気持に、登勢は胸が温まり、お習いやす、お習いやす……。
 伊助の浄瑠璃は吃りの小唄ほどではなかったが、下手ではなかった。
習いはじめて一年目には土地の天狗番付に針の先で書いたような字で名前が出て、間もなく登勢が女の子を生んだ時は、お、お、お光があってお染がなかったら、の、の、野崎村になれへんさかいにと、子供の名をお染にするというくらいの凝り方で、千代のことは鶴千代と千代萩で呼び、汚い汚いといいながらも子供を可愛がった。
宇治の螢狩も浄瑠璃の文句にあるといえば、連れて行くし、今が登勢は仕合せの絶頂かも知れなかった。
 しかし、それだけにまた何か悲しいことが近い内に起るのではなかろうかと、あらかじめ諦めて置くのは、これは一体なんとしたことであろう。
  果してお染が四つの歳のことである。
登勢も名を知って彦根の城主が大老になった年の秋、西北の空に突然彗星があらわれて、はじめて二三尺の長さのものがいつか空一杯に伸びて人魂の化物のようにのたうちまわったかと思うと、地上ではコロリという疫病が流行りだして、お染がとられてしまった。
 ところが悪いことは続くもので、その年の冬、椙が八年振りにひょっくり戻って来るとお光を見るなり抱き寄せて、あ、この子や、この子や、ねえさんこの子はあての子どっせ、七年前に寺田屋の軒先へ捨子したのは今だからこそ白状するがあてどしたんえという椙の言葉に、登勢はおどろいてお光を引き寄せたが証拠はこの子の背中に……といわれるともう登勢は弱かった。
お光は背中に伊助と同じくらいのほくろがあり、そこから二本大人のような毛が抜いても抜いても生え、嫁入りまえまで癒るかと登勢の心配はそれだったのだ。
が、今はそんな心配どころかと顔を真蒼にしてきけば、五十吉のあとを追うて大阪へ下った椙は、やがて五十吉の子を産んだが、もうその頃は長町の貧乏長屋の家賃も払えなかった。
致し方なく五十吉は寄席で蠟燭の芯切りをし、椙はお茶子に雇われたが、足手まといはお光だ。
寺田屋の前へ捨てればおねえさんのこと故拾ってくれるだとろうと思ってそうしたのだが、やっぱり育ててくれて、礼を云いますと頭を下げると、椙は、さアお母ちゃんと一緒に行きまひょ。
お父ちゃんも今堅気で、お光ちゃんの夢ばっかし見てはるえ。
あっという間にお光を連れて、寺田屋の三十石に乗ってしまった。
 細々とした暮しだとうなずけるほどの椙のやつれ方だったが、そん風にしゃあしゃあと出て行く後姿を見ればやはりもとの寺田屋の娘めいて、登勢はそんな法はないと追いついてお光を連れ戻す気がふとおくれてしまった。
頼りにした伊助も、じょ、じょ、浄瑠璃にようある話やとぼそんと云うだけで、あとぽかんと見送っていた。
 おちりあんぽんたんはどうどす……と物売りが三十石へ寄って行く声をしょんぼり聴きながら、死んだ姑はさすがに虫の知らせでお光が孫であることを薄々かんづいていたのだろうと、血のつながりの不思議さをぶつぶつ呟きながら、登勢は暫らく肩で息をしていたが、あ、お光といきなり立ち上がって浜へかけつけた時は、もう八丁艪の三十石は淀川を下っていた。
暫らく佇んで戻って来ると伊助は帳場の火鉢をせっせと磨いていた。
物も云わずにぺたりとそのそばに坐り、畳の一つ所をじっと見て、やがて左手で何気なく糸屑を拾いあげたその仕草はふと伊助に似たが、急に振り向くと、キンキンした声で、あ、お越しやす。
駕籠かきが送って来た客へのこぼれるような愛嬌は、はやいつもの登勢の明るさで奉公人たちの眼にはむしろ蓮っ葉じみて、高い笑い声も腑に落ちぬくらい、ふといやらしかった。
 間もなく登勢はお良という娘を養女にした。
樽崎という京の町医者の娘だったが、樽崎の死後路頭に迷っていたのを世話をした人に連れられて風呂敷包みに五合の米入れてやった時、年はときけば、はい十二どすと答えた声がびっくりするほど美しかった。
(『織田作之助全集 5』 講談社 昭和45年)
 今朝の父の一枚です(^^)v
アトリが来てくれている♪
私の方は野鳥の撮影を諦めています(^^ゞ
午後から、注文していた本が届いたので取りに行きました。
舞妓さんちのまかないさん 1
表紙のカバーの裏にこんな言葉が

ごはんは大事。
でもわたしは、今日の献立を明日には
忘れるくらいの大事さがちょうど良いです。
ごはんは、毎日。イベントにするには頻繁すぎる。
こっそり忘れなかったごはんも
あったりするくらいが、ちょうど良いです。
                 小山愛子


初版は2017年4月に出ている(既刊、18巻)。
少年サンデーに連載されているので、少女漫画ではないんだ…
私の時代と掲載されるマンガがちがうなぁ…(いいことだと思う)。

最近、マンガを読んだことがなかったので知らなかったけど
Eテレのアニメ 「舞妓さんちのまかないさん」を見てはまってしまった(*^^*)