時々日差しがあったので気持ちよく歩けました。 ぬばたま
…前略…
[今名]ひおうぎ(あやめ科)
[注] ヌバタマの今名はヒオウギ、漢名は射干で、花後の黒い種子を指して、そう呼ばれる。
ヌバタマのヌバは黒色を表す最も古い語とされ、「夜」「闇(やみ)」「夕」「黒」「髪」などの枕詞に使われている。
枕詞の「むば玉の」「うば玉の」とあるのも「ぬば玉」と同じである
(『古典植物辞典』松田修 講談社学術文庫 2009年) 平野啓一郎さんのTwitterに(10月21日)
それにしても、優勝者のブルース・リウについてまったく報道されず、
名前の言及さえない記事も目につきますが、どうなんでしょうか。
日本の報道の悪いところです。
その前に平野さんは
反田恭平さん、小林愛実さん、お二人とも本当に素晴らしかったです。
おめでとうございます!
〝反田恭平さん「とても幸せ。言葉が無い」 ショパンコンクール2位〟(朝日新聞)
音楽には国境がないと言われるのに日本の報道を見ると「日本人が……」というのが目立つなぁと思う。
こういう報道をしないといけないほど日本人は自信を無くしているのだろうか?
平野さんがリツイートされていたのが
高橋惠子さんのツイト
#ショパンコンクール
6位JJさん、5位アルメリーニさん、4位小林愛実ちゃん、クシュリクさん(マズルカ賞)、
3位ガルシアさん(コンチェルト賞)、2位ガジェフさん(ソナタ賞)、反田恭平君、1位ブルース・リュウさん!
おめでとうございます
入選の皆様も素晴らしかったと思います
寺田寅彦の「どんぐり」で妻の夏子は結核でなくなるのですが、
大正から昭和初期にかけて、つねに死亡率のトップを占め、国民病として恐れられていました(「結核予防会結核研究所」より)
ただ、死の恐怖があるのに新型コロナとの違いが
二 死病として恐れられた結核大正から昭和初期にかけて、つねに死亡率のトップを占め、国民病として恐れられていました(「結核予防会結核研究所」より)
ただ、死の恐怖があるのに新型コロナとの違いが
5 小説『不如帰』と結核
結核が若い俊才や美女をむしばむ、ロマンチックな病といわれたのには、文学が果たした役割が大きかった。
それは明治31年11月から「国民新聞」で始まった、徳冨蘆花の小説『不如帰』を抜きに語れない。
(『病が語る日本史』酒井シヅ 講談社学術文庫 2008年)『不如帰』のヒロイン浪子は、幸福な結婚生活を送っていたが、姑(しゅうとめ)らによって肺結核のために愛する夫との間を裂かれ、寂しく死んでいく。
主人公片岡浪子の父親は陸軍中将で子爵、夫は海軍少尉川島武男であるが、これにはれっきとしたモデルがあった。
陸軍大将大山巌(おおやまいわお)の長女信子である。
夫は三島通庸(みしまみつね<警視総監>)の長男弥太郎(やたろう)、のちに日銀総裁になった人である。
これではいやが上にも読者の興味を惹(ひ)きつける。
しかも、実話での信子は、結婚後数日で病に臥し、実家に戻り、離婚され、自邸の庭に建てられた静養室で静かに療養生活を送った後で亡くなった。
小説でも美しい、高貴な女性の薄命に、人々は上流社会を垣間見(かいまみ)ながら紅涙(こうるい)を絞ったのだった。
ところで、この時代の結核になった文学者はたくさんいた。
樋口一葉(ひぐちいちよう)、正岡子規(まさおかしき)など枚挙にいとまがない。
そのことも結核を美しい病気に仕立て上げ、農村で納屋の片隅で人目を避けて呻吟(しんぎん)している患者を忘れさせたのである。
(『病が語る日本史』酒井シヅ 講談社学術文庫 2008年)24年前の本ですが、
7 病原体の飛沫や環境汚染によるもの
2 結核
楽観から患者数が増える
第二次世界大戦後の日本では、国民のほとんどが回虫と結核菌に感染していました。
しかし、驚異的ともいえる経済復興、新しい抗生物質ストレプトマイシンによる治療とウシ型結核菌のBCG接種によって、結核による死亡率は、1918年に人口10万人あたり250.7と最高をしめしていましたが、43年には235、86年には3.4、89年には2.9と減少しました。
(『現代の感染症』相川正道、永倉貢一 岩波新書 1997年) 患者数も減少していましたが、この10年間は患者の減少率が鈍化しています。
アメリカでも同じで、減少していた患者数が1982年以降増加に転じています。
この現象には、エイズの流行や貧民層、外国からの移民問題が関連しているとされていますが、60~70年代のいきすぎた楽観論による行政・医学界の結核対策の手抜きが根本的な原因であると指摘されています。 日本では、1995年に4万2000人余りの新規発病者が確認されています。
結核患者の割合は人口10万人あたり34人であり、オランダの4倍、ドイツやフランスの2倍以上であり、先進国では飛びぬけたまんえん状態にあります。
その原因には、アメリカと同じく、結核がまれな病気となったための気のゆるみが指摘されています。
結核の大流行している国から、毎年多くの人たちが日本にやってきています。
1994年度に383万人の外国人が入国し、そのうち東南アジア・中東から約250万人が来日しました。
これらの人たちが、日本に結核をもちこんだといわれています。 再流行する結核
地球上の結核患者の95%、結核死亡者の99%をしめている開発途上国では、いままさに空前の流行に見舞われています。
開発途上国を中心に全世界では毎年300万人が、結核が原因で死亡していると推定されています。 空前の大流行の原因は、過去の結核対策の失敗または結核対策の無視、結核を発症しやすい思春期人口の増加とエイズの流行がおもなものです。
アメリカでは、結核死亡者の年齢分布に二つのピークができました。
いままでは60歳以上の老人層だけでしたが、1990年には20歳から49歳までの年齢層の死亡が増加しました。
新しい年齢層の結核死亡者のうち、エイズが主原因であった率は大幅に増加していました。
結核が、エイズにおける日和見感染症として大きな比重をもつようになったのです。 さらに、多剤耐性の結核菌が出現しています。
結核の治療に用いる化学療法剤は、以前はストレプトマイシン、現在はイソニアジットやリファンピシンですが、完全治療に要する服用期間が長く、最低六カ月の投与が必要です。
しかし、治療中断や不完全な治療がなされると、結核菌がこれら特効薬が効かない多剤耐性をしめすようになります。
このような多剤耐性結核菌による感染がひじょうに多くなったのです。
アメリカCDCによれば、多剤耐性菌による集団感染が、1992年以降12件も発生しています。
ホームレス保護施設、エイズ患者のための施設や病院で、患者は約2000人、医療従事者40人も感染しました。 WHOやCDCの結核部門責任者によれば、結核はもはや多くの地域ではコントロール不能になり、このまますすめば50年後には5億人が結核にかかると予想されています。
(『現代の感染症』相川正道、永倉貢一 岩波新書 1997年)
「結核で死亡 2005年以来初の増加に転じる 背景に新型コロナ WHO」(NHK 10月15日)今朝の父の一枚です(^^)v
初めハトだと思ったそうです。
写した時、遠くて分からなかったのですが、パソコンで見るとタカの仲間だと分かり喜んでいました。午後から心臓リハビリ。
10月から再開できました。
始まるまでに読んでいたのが『文豪と感染症』
読み始めたばかりですので後日、紹介できたらと思っています。
心臓リハビリを始める前にガラホの万歩計を見ると7586歩でした。
トレッドミルで30分歩くと11003歩になっていました。
トレッドミルで歩いた距離は1.87km。