2021年10月18日月曜日

差が大きいなぁ…

昨日から気温が下がり、今朝は公園の東屋の温度計も9時前で13℃だった。
こんなに一気に気温が下がると体調不良になりやすいです。

今季一番の冷え込み 11月上旬~下旬並みの寒さに」(NHK)
 鳥飼玖美子さんのTwitterに

#選択的夫婦別姓制度 には岸田政権も逃げ腰。
当事者にどれだけ不都合や不便があるか、私自身も多く経験している。
同姓か別姓か夫婦が選択できるようにするのは、個人の尊厳と多様な社会の前提。
別姓にしたら家族が壊れるわけではない。

ロンドンの空港で、仕事で使っている名前とパスポートの氏名が違うことを問われたので、
日本では 
#夫婦別姓 が認められていない事情を説明したら、
係官が「それは不便でしょう。早く認められると良いですね」と言ってくれた。
10年ほど前のこと。
国連広報センター(UNIC)東京のTwitterに

ワクチン接種における不平等は、#COVID19の変異を進め、
暴走を許し、世界をさらなる死、そして経済停滞の長期化を決定的にしてしまいます。
協力し合い、公平な方法で取り組まない限り、
たとえ一国で感染が減少しても、それは長期的には持続しないのです。
@antonioguterres国連事務総総長
(「どんぐり」つづき)

 病気は少しずつよい。
二月の初めには風呂にも入る、髪も結うようになった。
車屋のばあさんなどは「もうスッカリ御全快だそうで」と、ひとりできめてしまって、ふっとふところから勘定書きを出して「どうもたいへんに、お早く御全快で」と言う。
医者の所へ行って聞くと、よいとも悪いとも言わず、「なにしろちょうど御妊娠中ですからね、この五月がよほどお大事ですよ」と心細い事を言う。
(『寺田寅彦随筆集 第一巻』小宮豊隆編 岩波文庫 1947年)
 それにもかかわらず少しずつよい。
月の十何日、風のない暖かい日、医者の許可を得たから植物園へ連れて行ってやると言うとたいへん喜んだ。
出かけるとなって庭へおりると、髪があんまりひどいからちょっとなでつけるまで待ってちょうだいと言う。
ふところ手をして縁へ腰かけてさびしい小庭を見回す。
去年の枯れ菊が引かれたままで、あわれに朽ちている、それに千代紙の切れか何かが引っ掛かって風のないのに、寒そうにふるえている。
手水鉢(ちょうずばち)の向いの梅の枝に二輪ばかり満開したのがある。
近づいてよく見ると作り花がくっつけてあった。
おおかた病人のいたずららしい。
茶の間の障子のガラス越しにのぞいて見ると、妻は鏡台の前へすわって解かした髪を握ってぱらりと下げ、櫛(くし)をつかっている。
ちょっとなでつけるのかなと思ったら自分で新たに巻き直すと見える。
よせばよいのに、早くしないかとせき立てておいて、座敷のほうへもどって、横になってけさ見た新聞をのぞく。
早くしないかと大声で促す。
そんなにせき立てると、なおできやしないわと言う。
黙って台所の横をまわって門へ出て見た。
往来の人がじろじろ見て通るからしかたなしに歩き出す。
半町ばかりぶらぶら歩いて振り返ってもまだ出て来ぬから、また引っ返してもと来たとおり台所の横から縁側へまわってのぞいて見ると、妻が年がいもなく泣き伏しているのを美代がなだめている。
あんまりだと言う。
一人でどこへでもいらっしゃいと言う。
まあともかくもと美代がすかしなだめて、やっと出かける事になる。
実にいい天気だ。
「人間の心が蒸発して霞(かすみ)になりそうな日だね」と言ったら、一間(けん)ばかりあとを雪駄(せった)を引きずりながら、大儀そうについて来た妻は、エゝと気のない返事をして無理に笑顔をこしらえる。
この時始めて気がついたが、なるほど腹の帯の所が人並みよりだいぶ大きい。
あるき方がよほど変だ。
それでも当人は平気でくっついて来る。
美代と二人でよこせばよかったと思いながら、無言で歩調を早める。
植物園の門をはいってまっすぐに広いたらたら坂を上って左に折れる。
穏やかな日光が広い園にいっぱいになって、花も緑も地盤はさながら眠ったようである。
温室の白塗りがキラキラするようでその前に二三人ふところ手をして窓から中をのぞく人影が見えるばかり、噴水も出ていぬ。
睡蓮(すいれん)もまだつめたい泥(どろ)の底に真夏の雲の影を持っている。
温室の中からガタガタと下駄(げた)の音を立てて、田舎(いなか)のばあさんたちが四五人、きつねにつつまれたような顔をして出て来る。
余らはこれと入れちがってはいる。
活力に満ちた、しめっぽい熱帯の空気が鼻のあなから脳を襲う。
椰子(やし)の木や琉球(りゅうきゅう)の芭蕉(ばしょう)などが、今少し延びたら、この屋根をどうするつもりだろうといつも思うのであるが、きょうもそう思う。
ジャワという国には肺病が皆無だとだれかの言った事を思い出す。
妻は濃緑に朱の斑点(はんてん)のはいった草の葉をいじっているから、「オイよせ、毒かもしれない」と言ったら、あわてて放して、いやな顔をして指先を見つめてちょっとかいでみる。
左右の回廊にはところどころ赤い花が咲いて、その中からのんきそうな人の顔もあちこちに見える。
妻はなんだか気分が悪くなったと言う。
顔色はたいして悪くもない。
急になま暖かい所へはいったためだろう。
早く外へ出たほうがよい、おれはも少し見て行くからと言ったら、ちょっとためらったが、おとなしく出て行った。
あかい花だけ見てすぐ出るつもりでいたら、人と人との間にはさまって、ちょっと出そこなって、やっと出て見ると妻はそこにはいぬ。
どこへ行ったかと見回すと、はるか向こうの東屋(あずまや)のベンチに力なさそうにもたれたまま、こっちを見て笑っていた。
(『寺田寅彦随筆集 第一巻』小宮豊隆編 岩波文庫 1947年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^^)v
マガモの夫婦を写していました。

庶民が姓名を名乗るようになったのは戸籍制度ができた明治になってから。

政府は明治3年9月、それまで平民に禁ぜられていた苗字を名のることを許し…
(『日本の歴史20 明治維新』井上清 中公文庫 2006年改版)

庶民は夫婦別姓どころか苗字などなかったけど家族が壊れるていなかったはず!

ちなみに皇族には、姓や苗字がありません。
苗字はないのですが称号と宮号(みやごう)があります。
最近の報道を見ると結婚の自由もないのではないかとさえ思う。
皇室の構成図」(宮内庁)