2021年10月13日水曜日

蒸し暑いけど

今朝も歩いていると汗が出るほど蒸し暑かったです。
汗に濡れたまま自転車に乗ると肌寒さを感じるほど…
週間予報を見ていると日曜日あたりから気温が低くなるみたい…
急な気温の変化に体調不良を起こしそう…
大阪府職労のTwitterに

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コロナ禍を経験し、何よりも命を大事にする政治、社会にしたいと心から願います。

医療・コロナ対策 政党別公約評価

大阪府は、橋下知事の時代から保健所や看護師の待遇、病院の削減を加速させていました。
一方、和歌山県は保健所などの整理統合を最小限にとどめていました。

知事からのメッセージ 令和3年7月21日」(和歌山県)
130年前のワクチン接種証明書を調べてみたら…」(NHK 10月11日)

佛教大学香西豊子教授の話

明治42年に天然痘予防が法律化されると、証明書が戸籍簿に転記され、学校への入学・就職など社会活動が制限されるようになりました。
ただ、天然痘の場合はひととおり接種を済ませておけば、生涯を通じてかかることはほぼなかったので、接種を証明することには意味がありました。
接種後も感染する可能性がある新型コロナとは状況が大きく違ったのです


ワクチンに対する不安や病気、経済的な問題など、接種しない・できない理由はさまざまでした。
江戸時代に海外の医療に詳しかった医師や明治政府の役人たちは接種すると天然痘にかかって死亡する確率が下がるとデータで説明しましたが、
『肌感覚』で効果が感じられないと人々の心は動かなかったようですね


受けたくてもアナフィラキシーなどで受けられない人もいる。
ワクチンパスポートについては、疑問を感じるのだけど…

父は今朝、主治医の診察日だったので、15日にインフルエンザ予防接種の予約をしました。
インフルエンザ予防接種を受けても発病するときがある。
新型コロナワクチンも同じ。

(「畜犬談」 最終)

 翌る朝、四時に私は起きた。
目覚時計を掛けて置いたのであるが、それの鳴り出さぬうちに、眼が覚めてしまつた。
しらじらと明けてゐた。
肌寒いほどであつた。
私は竹の皮包をさげて外へ出た。
「おしまいひまで見てゐないですぐお帰りになるといいわ。」
家内は玄関の式台に立つて見送り、落ち付いてゐた。
「心得てゐる。ポチ、来い!」
(『太宰治全集 第三巻』太宰治 筑摩書房 昭和50年)
  ポチは尾を振つて縁の下から出て来た。
「来い、来い!」私は、さつさと歩き出した。
けふは、あんな、意地悪くポチの姿を見つめるやうなことはしないので、自身の醜さを忘れて、いそいそと私について来た。
霧が深い。
まちはひつそり眠つてゐる。
私は、練兵場へいそいだ。
途中、おそろしく大きな赤毛の犬が、ポチに向つて猛烈に吠えたてた。
ポチは、れいに依つて上品ぶつた態度を示し、何を騒いでゐるのかね、とでも言ひたげな蔑視をちらとその赤毛の犬にくれただけで、さつさとその面前を通過した。
赤毛は、卑劣である。
無法にもポチの背後から、風の如く襲ひかかり、ポチの寒しげな睾丸をねらつた。
ポチは、咄嗟にくるりと向き直つたが、ちよつと躊躇し、私の顔色をそつと伺つた。
「やれ!」私は大声で命令した。
「赤毛は卑怯だ! 思ふ存分やれ!」
 ゆるしが出たのでポチは、ぶるんと一つ大きく胴震ひして、弾丸の如く赤犬のふところに飛び込んだ。
たちまち、けんけんがうがう、二匹は一つの手毬みたいになつて、格闘した。
赤毛は、ポチの倍ほども大きい図体をしてゐたが、だめであつた。
ほどなく、きやんきやん悲鳴を挙げて敗退した。
おまけにポチの皮膚病までうつされたかもわからない。
ばかなやつだ。
  喧嘩が終つて、私は、ほつとした。
文字どほり手に汗して眺めてゐたのである。
一時は、二匹の犬の格闘に巻きこまれて、私も共に死ぬるやうな気さへしてゐた。
おれは嚙み殺されたつていいんだ。
ポチよ、思ふ存分、喧嘩をしろ! と異様に力(りき)んでゐたのであつた。
ポチは、逃げて行く赤毛を少し追ひかけ、立ちどまつて、私の顔色をちらと伺ひ、急にしよげて、首を垂れすごすご私のはうへ引返して来た。
「よし! 強いぞ。」ほめてやつて私は歩き出し、橋をかたかた渡つて、ここはもう練兵場である。
 むかしポチは、この練兵場に捨てられた。
だからいま、また、この練兵場へ帰つて来たのだ。
おまへのふるさとで死ぬがよい。
 私は立ちどまり、ぽとりと牛肉の大片を私の足もとへ落して、
「ポチ、食へ。」私は、ポチを見たくなかつた。
ぼんやりそこに立つたまま、「ポチ、食へ。」
 足もとで、ぺちやぺちや食べてゐる音がする。
一分(いつぷん)もたたぬうちに死ぬ筈だ。
 私は猫背になつて、のろのろ歩いた。
霧が深い。
ほんのちかくの山が、ぼんやり黒く見えるだけだ。
南アルプス連峯も、富士山も、何も見えない。
朝露で、下駄がびしよぬれである。
私は一そうひどい猫背になつて、のろのろ帰途についた。
橋を渡り、中学校のまへまで来て、振り向くとポチが、ちやんとゐた。
面目無げに、首を垂れ、私の視線をそつとそらした。
 私も、もう大人である。
いたづらな感傷は無かつた。
すぐ事態を察知した。
薬品が効かなかつたのだ。
うなづいて、もうすでに私は、白紙還元である。
家へ帰つて、
「だめだよ。薬が効かないのだ。ゆるしてやらうよ。あいつには、罪が無かつたんだぜ。芸術家は、もともと弱い者の味方だつた筈なんだ。」
私は、途中で考へて来たことをそのまま言つてみた。
「弱者の友なんだ。芸術家にとつて、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れてゐた。僕だけぢやない。みんなが、忘れてゐるんだ。僕は、ポチを東京へ連れて行かうと思ふよ。友達がもしポチの恰好を笑つたら、ぶん殴つてやる。卵あるかい?」
「ええ。」家内は、浮かぬ顔をしてゐた。
「ポチにやれ。二つ在るなら、二つやれ。おまへも我慢しろ。皮膚病なんてのは、すぐなほるよ。」
「ええ。」家内は、やはり浮かぬ顔をしてゐた。
(『太宰治全集 第三巻』太宰治 筑摩書房 昭和50年)