雨が降らなかったら吉田山を下りてくる予定でしたが
雨で滑りやすくなっているかもと諦めました。
2015年6月18日の日記を見ていて気がついていなかったのが…。
(記事を更新しました)
10年前は、道の向こうにあるのに気がつかなかったのだけど2025年5月18日、法然院を訪ねた帰りにバスの中から見えたので訪ねたくなりました。子安観音
ここは昔から白川の村の入り口に当り、東は山を越えて近江へ向い、洛中へは斜に荒神口に通じていた。
また出町から百万遍をへて浄土寺へ向う細道との交差点でもあった。
この堂々たる鎌倉期の石仏は、「拾遺都名所図会」に希代の大像として描かれている弥陀像であるが、長い歳月の間にかなりの風化がみられる。
古来子安観音として町の人々の信仰があつく、白川女は必ずここに花を供えて商いに出かけた。
行事 八月 盆供
十一月 お火焚
子安観音御詠歌
みちばたの
川にはさまれ
東むき
あさひをうける
子安観音
鴨さんが紹介していました。
北白川の路傍にて(2013年8月5日 日曜日)
京の街の北側を東西に走る今出川通り。
その道と志賀越の道が交差する
市バスの「北白川」バス停の目の前にど~んと座られているのが
「子安観音」。
銀閣寺方面に行かれる際に目にした方も多いのでは。
かつては豊臣秀吉が作った聚楽第に移されたとき
「白川に返せ!」とおっしゃったとか。
目の前の志賀越の道は
北白川から近衛中学への通学路ですが
この観音様の前では事故はないとか。
さすが、北白川の子安観音さまですね。
「北白川の石仏」(拾遺都名所図会 国際日本文化センター)北白川の路傍にて(2013年8月5日 日曜日)
京の街の北側を東西に走る今出川通り。
その道と志賀越の道が交差する
市バスの「北白川」バス停の目の前にど~んと座られているのが
「子安観音」。
銀閣寺方面に行かれる際に目にした方も多いのでは。
かつては豊臣秀吉が作った聚楽第に移されたとき
「白川に返せ!」とおっしゃったとか。
目の前の志賀越の道は
北白川から近衛中学への通学路ですが
この観音様の前では事故はないとか。
さすが、北白川の子安観音さまですね。
北白河(しらかは)の石佛は希代の大像にしていづれの代の作といふ事をしらず。
列子に孔子のたまはく、西方に聖人あり、乱ず言はずとこれらをやいふべき。
極楽も地獄もしらぬ思ひでに生まれぬさきのものとなるべし 一休
「『山州名跡志』巻五 △石地蔵」(国書データベース)
かつて豊臣秀吉が聚楽第へうつしたとき、夜な夜な白川へかえせと鳴動するので、もとの地へもどしたことが記されています。先日、橋を渡っている時に囲われている所があるなと思っていました。
たまたま読んだ本に紹介されていたのですが
移植された後でした…
「ど根性松の移植完了の報告」(京都府) 第2章 植物的な組織
出町柳の根性松
京都の下鴨神社から出町柳駅に抜ける途中、高野川のかかる河合橋の東端に松が生えている。
冬に北方に雪をかぶった北山連峰、春には高野川の東側に霞みがかった桜並木、初夏には風にそよぐ柳、秋には空に浮かぶ鰯雲を楽しむことができる。
ちなみに、もはや「地獄」という表現が生ぬるく感じるようになってしまった京都の夏は、以上のような旅行代理店の広告文句的文脈からは外しておきたい。
話を元に戻すと、じつはこの松、橋の欄干と基礎部分のわずかな隙間に根を張り、空に向かってというよりは、斜め上に向かって川の上を1メートルほど二股で伸びている「根性松」なのである。
インターネットで検索すると、この松に注目している人が多くてうれしい。
私も日々この松に、小さく弱い心を鍛えてもらっている通行人の一人である。
石の欄干に緑色の松葉の対比がなんとも鮮やかで、きれい。
根っこのしぶとさ(これは、通常、橋を歩いている者には見えない)と盆栽のような幹の形のコントラストも、水面下で必死に手足を動かしているアーティスティック・スイミングみたいで素敵だ。
とにかく、たたずまいがなんだか凜々しいのである。
(『植物考』藤原辰史 生きのびるブックス 2022年) 落ち込んでいるときには、まあ頑張ってもこんなもんだよ、と慰めてくれているようだし、うまくいっているときは、いい気になってるんじゃない、気の緩みを引き締めてくれる、そんな人生の先生でもある。
先生は、植物である、
植物なのだが、とても人間的である。
狭いところに腕を入れて抜けなくなってしまったような間抜けな形態を、堂々たる伸びやかな四肢の姿で帳消してあまりある見事さだ。
しかし、よくよく観察してみると「人間的」や「根性」という表現は褒め言葉ではないかもしれない。
おそらく、狭い隙間に落ちた種子から、芽が出て、その後、隙間より太くなったら幹を著しく扁平にすることで、その難問をクリアしている。
自分の体を脱臼させてまで小さな家に住もうと思う人間は一人もいないだろう。
だが、出町柳の根性松は、自分の体を変形させて、おそらく根を基盤の上に溜まった土壌に(どれほどの厚さなのかわからない)張り巡らせて養分を吸い取り、隙間から幹を太陽に向かって伸ばすという選択をとった。 植物学者の塚谷裕一は、「コンクリートはアスファルトの割れ目といった場所は、その周囲に他の植物が侵入してくる心配がないので、植物はそこで自由気ままに過ごすことができる」し、「普通の植物にとって最も脅威となる隣の植物やってこない分、気楽な空間」であると述べている(『森を食べる植物』)。
たしかに、先生をさえぎり、その光合成を邪魔する草や木は周囲に存在しない。
この自由自在さは、住居を狭い狭いと言いつづける人間をなにかあざ笑っているかのようである。
我が師は七難八苦を血みどろで受け止め乗り越えていると思いきや、どうやらお気楽な松ライフを送っているらしい。
狭ければ頭を使えばいいのよ、体型が変だからって気にしない、工夫しなさい、と師は私を指導してくれる。
(『植物考』藤原辰史 生きのびるブックス 2022年)下鴨神社にやってきました。
最初に訪れたのは「河合神社」
河合神社を訪れた目的は「長明の方丈」(復元)をもう一度見たいと思ったのですが
河合神社の境内にございました方丈の庵(復元)は、神宮寺旧跡の竜ヶ池のほとりに移設されました。
拝観ご希望の方は、雑太社横の「糺の森案内所」にて、「下鴨神社特別拝観券」をお求めください。
また、河合神社・鴨長明資料館は、大炊殿の左隣にあります御車舎に移設され、鴨社御車舎・鴨長明資料館として公開されています。
こちらも「下鴨神社特別拝観券」でご覧いただけます。女性の参拝者が大勢来られていました。
オッチャンが一人で来るところではないなぁ…(^_^;
2014年1月11日に訪ねた時は気がつかなかった「御白石(おしらいし)」
どんなご利益があるか検索してみてください(^_-)これも今回初めて気がつきました
隅っこにあったのが砲弾
女性守護としての信仰を集めるお社に相応しくないなぁと思って検索すると
「日露戦役褒美ノ砲弾」だそうです。
説明板を撮影しているサイトがあったので見落としたようです(^^ゞ
雨は降っていますが
参道の木々が雨を和らげてくれていましたし
街中にあっても森林浴をしているみたいで気持ちよかったです。
垂水(たるみ)女性守護としての信仰を集めるお社に相応しくないなぁと思って検索すると
「日露戦役褒美ノ砲弾」だそうです。
説明板を撮影しているサイトがあったので見落としたようです(^^ゞ
雨は降っていますが
参道の木々が雨を和らげてくれていましたし
街中にあっても森林浴をしているみたいで気持ちよかったです。
志貴皇子の御歌
いはばしる垂水の上のさ蕨の
萌え出づる春になりにけるかも
『万葉集』八、に収載されている御歌です。
岩の上を激しく流れる垂水のほとばしるところのワラビが芽ざし初めて春になったこを告げている、との意です。
糺の森の西を流れる鴨川は、流域に住む人たちにとって源流は糺の森とみられていました。
四季に移ろう糺の森の幽邃(ゆうすい)と幽玄(ゆうげん)は、神々の鎮まる聖域として信仰されてきました。
広大な神の森の滴(しずく)をいただき、岩から流れる清水を両手にうけ、身体にそそぎ御生(みあれ)をして御神威をお受けください。 「休憩処 さるや」が見えたので一休み。
店内に掲示されていたのが
出来斎京土産巻之五
下賀茂 付御手洗川(みたらしがは)
この絵は、江戸時代の『出来斎京土産』という文献にある挿絵です。
当時の下鴨神社の様子が描かれており、左上が御手洗祭の御社です。
中央では御手洗団子を焼いているのが見て取れます。
左下は御神酒所で、軒に注連縄を廻らせ、軒先には御祭神が依代(よりしろ)とされている糺の森の神杉の葉を束にして挿しています。
右下に「さるや」と看板を揚げた幄屋(あくのや)があり、申餅の作られている様子をうかがい知ることができます。
「出来斎京土産 巻之5」(5/31 筑波大学デジタルコレクション)
と、いうことで「申餅」をいただきました(^_^)v「申餅」について鴨さんが紹介しています。
下鴨神社の申餅と流し雛(2013年3月3日)
今日もまた寒い日となりました。
それでも季節は少しずつ進み
今日はひな祭りですね。
下鴨神社では流し雛の行事が行われるので
大勢の方が参拝にいらしています。
さて、お願い事がすんだら
いつものように境内の茶店「さるや」(宝泉堂)さんでひと息。
お目当てはこの「申餅」。
140年間途絶えていた下鴨神社の葵祭ゆかりのお菓子で
3年前に復活したものです。
甘さも控えめで素朴なお餅、こういうのすきだなぁ~。
そうそうお菓子だけでなくその下にも注目!
お盆は「葵盆」、お皿は杉の「折敷」です。
もちろん湯呑にも双葉葵が入っています。
こんなこだわりが見られるところが宝泉堂さんですね。
ちなみに宝泉堂さんは下鴨神社の氏子さんです。境内では、「蛍火の茶会」の準備中でした。
第一章 県主の神から王城鎮護の神へ―二つの賀茂神社
朝廷の弾圧と下鴨神社の分立
賀茂神社についての記録は、まだ都が藤原京にあった時から始まります。
『続日本紀』には、文武天皇二年(698)三月条や大宝二年(702)四月条に、山城国の賀茂の祭りの日に、群衆が集まって、武器を持ったり馬上で弓を射たりして人々が祭りに参加していたこと、それを朝廷が禁止していたことが知られます。
近隣の諸国からも、禁令を出さねばならないほどの群衆が押し寄せ、大変な賑わいだったことがしのばれます。
他国からの見物人といえば、『万葉集』(巻六)に大伴坂上郎女がこの四月に「賀茂神社」に参拝した帰途、近江の逢坂山で詠んだ歌が載っています。
高級貴族の女性までもが、この祭りを見物にきていたことがわかります。
(『京の社 神と仏の千三百年』岡田精司 ちくま学芸文庫 2022年) そして、平城遷都の翌年、和銅四年(711)には、山城国司の臨場検察の上で賀茂の祭りを挙行せよという命令まで出されます。
奈良時代の朝廷が、一地方の神社にすぎぬ賀茂神社の祭礼にこれほどこだわり続けるのは、この祭りに山城のみならず、周囲の広い地域の民衆が武器を執って集まることに、律令政府が脅威を感じていたからでしょう。
それは、この神社と川筋を一つ隔てて隣接する山城国愛宕郡出雲郷の戸籍(「正倉院文書」)に、労役などの対象となる壮年男子の大半が、「逃亡」したと記録されているように、当時の厳しい社会情勢とのかかわりが考えられます。 昔から土地の神、農業の神だった賀茂の社は、律令政府からの厳しい課税に苦しむ人々の心の支えであり、旧来の領主だった賀茂県主家は民衆の保護者とみられていたのではないでしょうか。
その問題が、賀茂の祭りに群集する人々と、律令政府の対立の背景にあったように思います。
律令政府は一応は譲歩して、天平十年(738)に、今後は祭りの禁令を撤廃するとの布告を出しますが、また別の形で賀茂神社と賀茂県主家の勢力分断を企てます。
それが賀茂神社を二つに分けることでした。 奈良時代も早い時期に成立したと考えられる「山城国風土記」には、賀茂の社はまだ上賀茂神社だけで、下鴨神社が存在した様子はうかがわれません。
ここでは細かな考証は避け、結論だけを申しますと、すでに古代史家の故井上光貞氏も指摘されていたように、下鴨神社は、奈良時代後半に朝廷の後押しで上賀茂神社から分立したものと思われます。 奈良時代後期の天平神護元年(765)に、賀茂御祖(かもみおや)神社に神戸二十戸が与えられていますので、このころまでには下鴨神社が、本社から分離していたと思われます。
藤原京の当時から、常に国家からその祭礼が禁制の対象とされてきた賀茂神社が、長岡京以後、国家の最高神として遇せられるまでには、このような経緯があったのです。
(『京の社 神と仏の千三百年』岡田精司 ちくま学芸文庫 2022年)「近畿地方 15日明け方にかけ激しい雨か 土砂災害に十分注意」(京都NHK)
時々、本降りになることはありましたが
横殴りの雨に降られることもなく歩けました。
ただ雨が降り続いていたので地図を広げることができず
いつも以上に道に迷ってしまいました。
と言うのもついつい小路に入ってしまうので(^^ゞいつもは7時頃に朝食なんですが
食事抜きで血液検査を受けているので、9時過ぎになりお腹の減り具合が中途半端
軽い食事をと三条の篠田屋さんで中華そばでも食べようと思ったのだけど
土曜日は定休日(T_T)
地上に上がる前に見えた(匂ってきた)お店でたこ焼きをいただきました。
発病前、山を歩いて帰宅途中に京阪京橋駅構内にあるたこ焼き屋さんで食べたことを思い出していました(^。^)
こんばんは~
返信削除今日は雨が上がり、蒸し暑くなりました。
ど根性松は、河合橋のたもとで成長しているんですね。
こんど出町へ行った折には、
ど根性松の元気な力に少しあやかりたいです。。(#^.^#)
>「日露戦役褒美ノ砲弾」
この春に、私も見たところでした。
こんなところにと思ったのでした。
Kazeさんもけっこう歩かれましたね。
お疲れのでませんように。。。!(^^)!
カイさんおはようございます(^^)/
削除いつもコメントありがとうございます
何度か出町柳を訪ねていながら気がつかなかったど根性松
移植後ですが見てきました。
今まで横に横に伸びていたのが上に伸びていました。
これからも無事に育ってほしいなと思います。
「日露戦役褒美ノ砲弾」に限らず、見落としているのはいくつもあって
たとえ同じ所を訪ねても新たな出会いがあるものだなと改めて思いました。
今、リハビリ散歩から帰ってきましたが30度近くになり
帰宅後、すぐにシャワーを浴びました。
これから暑さが厳しくなる予報ですね
カイさんも体調管理に気をつけて
お互いこの夏を乗り切りましょうρ(^^)q