2025年6月12日木曜日

雨が止んで

9日に梅雨入りしたと思ったら
しとしとジメジメという雨ではなく
なんかスコールみたいな雨が降り続きました。
来週は、一気に気温が上がるみたいです。

「梅雨型熱中症」とは? 脱水症状や体温上昇を防ぐ対策は〟(NHK 6月10日)
Eテレ2355 6月11日(水曜日)

今日は、「入梅」。
暦の上では梅雨の季節に入る最初の日です。
ここで一句、ご紹介します。

 あじさいや きのふのまこと けふのうそ
                      正岡子規

あじさいは七変化とも呼ばれるほどさまざまな色に変わる花。
正岡子規は雨のそぼ降る季節の中で色が移り変わっていくあじさいに
人の心の移り変わりや世のはかなさを詠みました。
雨にぬれた美しい あじさい。
皆さんも 一句詠んでみてはいかがですか?
やなせたかしさんの本を読んでいると、人生、何が幸いするかわかりませんね。
厩舎で居眠りをしたことがばれて乙幹(乙種幹部候補生)になりました。
そのおかげで生き残ることができたといえます。
と、言う私もレベルは違いますが、東京の最終面接で寝坊をしてしまい受けられませんでした。
Eテレ0655のおはようソング『きょうの選択』
東京の面接を受けていたらどんな人生を歩んでいたのかな……

 4 軍隊へ
 軍曹になる 
 

 …前略…

 気がつくと嵩は初年兵たちの人気者になっていた。
殴らなかったこともあるが、とにかく話が面白いというのだ。
会社員だったころの話をすると「班長どのが東京のデザイナーだったなんて、信じられないであります」と言われた。
初年兵の母親から「息子がお世話になりました。班長さんがいい人でよかった」という手紙をもらったこともある。

 …後略…

(『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』梯久美子 文春文庫 2025年)
朝ドラ「あんぱん」第11週「軍隊は大きらい、だけど」 (51)
コン太(今野康太)が

軍隊は天国や。
ライスカレーは うまいにゃ。


と、夢中で嵩の分までカレーを食べていました。
私からすれば地獄のような軍隊生活を「天国や」という。
コン太のように軍隊に入って初めて白米を食べたという兵士もいたのです。
第1章 明治から満州事変まで―兵士たちの「食」と体格
  2 優良な体格と脚気問題―明治・大正期


 兵士たちを魅了した白米

 ここで当時の民衆の食生活について見ておこう。
 近代になって白米が普及したと言っても、農村では、粟(あわ)・稗(ひえ)などの雑穀(ざっこく)、米に雑穀や大根・芋(いも)などを混ぜた「かて飯(めし)」が依然としてかなりの比重を占めていた。
 内務省が1921(大正10)年から27(昭和2)年にかけて、全国各地の農村で実施した調査によれば、農民の主食は、米食だけが全体の32%、米と麦の混食が58%、米・麦・雑穀・芋・かぼちゃ・大根などの混食が10%である(内務省衛生局『農村保健衛生実地調査成績』1929年)。
(『続・日本軍兵士―帝国陸海軍の現実』吉田裕 中公新書 2025年)
 米が完全に主食になるのは意外に遅く、戦後の1950年代後半のことである(『秘められた和食史』)。
そんな食生活の現実があるだけに、主食の白米は入営してきた多くの兵士にとって、大変魅力的なものだった。
軍隊に入って初めて白米を食べたという兵士もいたことに、留意する必要がある。
(『続・日本軍兵士―帝国陸海軍の現実』吉田裕 中公新書 2025年)
コン太が食べていたのがカレー!
陸軍のレシピ本、「軍隊調理法 二四、カレー汁(1937.10)」(国立国会図書館)

カレーの歴史は江戸時代に遡るそうです……

 カレー 

 …前略…

 日本初の「あんかけごはん」

 カレーが日本に伝来したのは、江戸末期のこと。
1859(安生6)年に横浜港が開港し、そこへやってきたイギリス船によってもたらされたというのが通説だ。
それから50年後の明治末期には、日本風にアレンジした自由軒のようなカレーがすでに好評を博していたのだから、その伝播力はすさまじい。
 日本でなぜ、これほどまでカレーが受け入れられたのだろうか。
第一の要因は、「米と一緒に食する西洋料理」として広まったことだろう。
(『ニッポン定番メニュー事始め』澁川祐子 彩流社 2013年)
 日本で最も古いカレーのレシピは、1872(明治5)年に刊行された、敬学堂主人が書いたとされる『西洋料理指南』と、仮名垣魯文による『西洋料理通』に登場する。
『西洋料理指南』では、ニンニクと生姜、ネギをバターで炒めてから、鶏、エビ、鯛、カキ、赤ガエルなどの具材を入れて煮て、カレー粉を加えてさらに1時間ほど煮込んだら、水溶き小麦粉を入れるとある。
一方、『西洋料理通』では魚と肉を用いた3種類のレシピが紹介されている。
注目すべきは、どちらのレシピもカレー粉で味つけし、小麦粉でとろみをつける点だ。
 この「カレー粉+小麦粉」という調理法は、本場インドのカレーには見られないものだ。
アレンジを加えたのは、日本にカレーを伝えた国、イギリスである。
  カレーのレシピがイギリスに紹介されたのは1772年。
翌73年に初代インド総督となる、ウォーレン・ヘイスティングズが持ち帰ったとされている。
当時、イギリスはベンガル地方を拠点に勢力を拡大しつつあった。
彼は、複数のスパイスを混ぜた調味料ガラムマサラや、ガラムペースト、ベンガル地方の主食である米を持ち帰った。
こうしてカレーは、ごはんと組み合わせた「カレー&ライス」の形で日本に伝わることになった。
 イギリスに渡ったカレーはその後、シチューなどの調理法を真似て、小麦粉でとろみをつけたものが定番になる。
さらに、C&B(クロス・アンド・ブラックウェル)社があらかじめスパイスを調合したものを「カレー粉」として商品化。
このカレー粉を使ったイギリス式のカレーが、日本のカレー黎明期に食されたものだったのである。
 江戸風俗研究家でエッセイストの故・杉浦日向子は、カレーライスの普及について「江戸で発見! カレーライス隆盛の秘密」と題し、興味深い指摘をしている(『別冊サライ』2000年4月16日号)。
 それによると、カレーライスが「国民食」として普及した背景には、江戸庶民が慣れ親しんだ二つの料理があるという。
一つが、ごはんに汁物をぶっかける<ぶっかけ飯>。
もう一つが、汁に小麦粉を混ぜ、それを麺をかける<あんかけ麺>。
カレーライスは、この二つの料理を組み合わせた日本初の「あんかけごはん」であり、<江戸の汁かけご飯とあんかけ麺との家庭にきた養子>なのではないかと推察している。
 いずれにせよ、日本におけるカレーの普及において、イギリスというワンクッションが果した功績は大きい。
歴史に「もし」はないというが、もしカレーが「カレー&ナン」の形でインドから直輸入されていたら、日本でこれほど定番メニューになったかどうか。
「米と一緒に食する西洋料理」として入ってきたからこそ、「新鮮でありながら親しみもある」という絶妙な距離感が生まれ、人々の関心を惹くメニューとなったのだ。
 パンチのある味だからこそカスタマイズが可能に 
 日本でカレーが普及した第二の要因。
それは、カレーという料理の特性が関係しているのではないかと私はにらんでいる。
カレーは、スパイスの集合体だけに味にパンチがあり、何と合わせてもそれとわかる味が出せる。
しかも、合わせるものによってスパイスの配合を変え、味を調整することができる。
いろいろな形にカスタマイズできる、実に応用が利く料理なのだ。
 では、明治時代以降の日本のカレー事情というと、大正時代ともなると、カレーの具材としてニンジン、じゃがいも、タマネギといった西洋野菜が定番になっていた。
さらに大正末期から昭和初期にかけては、新宿「中村屋」や銀座「資生堂パーラー」などの高級洋食店で人気メニューとなる一方、軍隊の食事に取り入れられたことによって、全国の家庭にも入っていった。
そして、この間に着々と日本流のカスタマイズが進行していたのである。
 カスタマイズの兆しは、明治時代後半におけるカレーのレシピに早くもうかがえる。
「和量折衷料理」と謳うものが増えてくるのだ。
1893(明治26)年の婦人雑誌『婦女雑誌』では、材料に鰹節の煮汁、醤油が登場する。
同じ頃のほかの婦人雑誌を見ても、薬味として、浅草海苔を散らしたり、畳鰯を添えたりとアレンジし放題だ。
 ちなみに福神漬がカレーの薬味の定番となったのは、1902~1903(明治35~36)年頃。
日本郵船の一等船客用の食堂で、カレーの薬味として出していたチャツネがなくなってしまい、急場しのぎで福神漬を添えたところ、これが評判になったのが始まりと言われている。

 …後略…

(『ニッポン定番メニュー事始め』澁川祐子 彩流社 2013年)

現在のカレーは(^_-)

海自カレー」(海上自衛隊)

「カレー」特集!〟(陸上自衛隊)
今朝の父の一枚です(^^)/
写真はアメリカデイコですが、父が「デイゴがたくさん咲く年は台風が多い」とポツリ
検索するとそんな言い伝えがあるようです。

 アメリカデイコ(Erythrina crista-galli) マメ科 
 別名/カイコウズ

日本には江戸時代に渡来し、暖地で庭木や街路樹として植えられている。
枝、葉柄、主脈に曲がった小さな刺がある。
葉は長い柄のある3出複葉で互生する。
小葉は長さ8~15センチの卵状楕円形で裏面は白っぽい。
6~9月、枝先に総状花序をだし、深紅色で長さ約5センチの蝶形花を開く。
旗弁(きべん)は倒卵形で大きく、下向きに開く。
翼弁は小さい。
鹿児島県の県木。
●用途 庭木、街路樹、鉢植え、花材
●分布 ブラジル原産
(『日本の樹木(旧版)』林 弥栄編 山と渓谷社 1985年)