2023年6月5日月曜日

雨は降らなかったけど

雨は降らなかったのですが、梅雨特有の蒸し暑さ…
午後から郵便局へ歩いて行きましたが、汗をかきました。
大雨の被災地では、家具などの片づけをされていますが、
熱中症にくれぐれも注意してください。

大雨で浸水被害の海南市 災害ボランティアの活動始まる」(和歌山NHK)
 十 長い歴史をもつ赤痢

 赤痢は、中国やギリシア、エジプト、インドなど古代社会ですでに頻発していた。
この時代に他の下痢症と赤痢を区別できたのは、赤痢は病名のとおり、便に血や膿(うみ)が混じるからである。
このほか、赤痢では発熱、排便直後に便意をもよおし、トイレから離れられない「裏急後重(りきゅうこうじゅう)」と呼ぶ症状が特徴である。
また、いつまでも下腹が痛むため、江戸時代に赤痢をシブリバラとも呼んだ。
(『病が語る日本史』酒井シヅ 講談社学術文庫 2008年)
  赤痢は現在も多い。
とりわけ飢饉(ききん)や大災害、戦争による避難民の間で爆発的に発生することがある。
 しかし、赤痢はコレラやペストのように一気に全国流行することはないが、抗生物質が登場するまで、毎年、流行を繰り返してきた。
そのため長い間に膨大な患者が発生した。
人類の歴史からみると、被害がもっとも大きな疫病といえる。
(『病が語る日本史』酒井シヅ 講談社学術文庫 2008年)
最近、ニュースを見ませんが、終息していないと思います。
“同じ部屋にいるだけで空気感染も” はしかの怖さは」(NHK 6月1日)

  3章 庶民も貴族も苦しめた流行の歴史
 アメリカ大陸における麻疹・中南米


 麻疹は、ヨーロッパでは比較的小さな流行を頻繁に起こしていたが、新大陸の先住民には大きな被害をもたらした。
ヨーロッパでは麻疹が常在していて、多くの人が子供の時に麻疹にかかって免疫ができていたが、それまで麻疹が存在していなかった新大陸では誰も免疫がなかったためである。
シカゴ大学歴史学名誉教授ウイリアム・マクニールによれば、先住民が相次いで死亡するのに、スペイン人は病気にならないのを見て、先住民たちは「アステカの神々もキリストの神も、白い皮膚のちん入者はいかなる行動をとろうとも聖なる許可を得ている」と思い込んで、スペインの征服事業に容易に従ったのである(『疫病と世界史(下)』)。
(『はしかの脅威と驚異』山内一也 岩波科学ライブラリー265 2017年)
 麻疹は、中南米にはスペイン人により、北米にはヨーロッパからの移住者により持ち込まれた。
 1492年、スペインのパロス港を出港したコロンブスの遠征隊が新大陸を発見してから500年を記念して、1990年代に旧大陸が新大陸に与えた影響についての著作が数多く出版された。
それらには、ヨーロッパからの移住者が持ち込んだ麻疹が猛威を振るった状況が詳しく述べられている。
その一端を紹介する。
 コロンブスがイスパニョーラ島と命名したサント・ドミンゴ(現在はドミニカ共和国の首都)には、1496年からスペイン人が定住した。
ここで1517年に発生した疫病はアメリカ大陸で最初の麻疹と考えられている。
ここから麻疹は、図5(「中南米における麻疹の広がり」。省略、以下同じ)に示したように、中南米の各地へと広がっていった。
 1523年にはグアテマラでも発生し、1529年にはメキシコとホンジュラスで発生した。
16世紀にはメキシコで約30年ごとに発生を繰り返していて、この時代、メキシコで最大の死亡をもたらしたのは、天然痘と麻疹はそれに次いでいた。
1532年頃にはニカラグアからパナマに到達した。
 16世紀のメソアメリカ(メキシコから中米一帯にかけての共通した文化領域)の民族誌の研究成果をまとめたフロレンティン・コーデックスには、アメリカ・インディアンが描いた麻疹の症状、発熱と発疹を示す絵が掲載されている(図6「アメリカ・インディアンが描いた麻疹の症状」)。
 フランシスコ・ピサロは、スペイン国王カルロス一世からペルー支配の許可を得て、1531年、パナマを出航してペルーへの侵入を開始した。
1533年には、インカ帝国の首都クスコを占領し、インカ帝国は滅亡した。
この際に麻疹はペルーに持ち込まれたと推測される。
1558年から1591年にかけて、いくつかの重い疫病が流行し、その中には麻疹も含まれていた。
 ペルーの北部に隣接するエクアドルでは、1524年から1618年までに19回の疫病の流行が記録されている。
その時代、天然痘と区別することは難しいが、麻疹とみなされる疫病は7回だけで、約13年の間隔で起きていた。
1785年には、現在の首都キトで、きわめて大きな麻疹の流行が起きて、2400人以上の死者が出た。
 ペルーとエクアドルに接するコロンビアのボゴタでは、1558年から1803年までの間に、多数の死者を出した麻疹の大流行が3回起きていた。
 ポルトガルの植民地となったブラジルでは、16世紀から麻疹の流行が起きていた。
1749年には、アマゾン川流域の現地人の間で大流行となった。
(『はしかの脅威と驚異』山内一也 岩波科学ライブラリー265 2017年)
今朝の父の一枚です(^^)/
カシワバアジサイとガクアジサイを写していました。

 アジサイの花の仕組み

 ガクアジサイは漢字で書くと「額紫陽花」。
密集する小さな花の外側を、大きな花が取り巻いていて、名前のとおり額縁のよう。
外周の花を装飾花、内側の花を両性花と呼ぶ。
両性花は地味ながらも、健全な雄しべと雌しべを持ち、受精すると実に育って種子を多数つくる。
装飾花はよく目立ち、昆虫たちを引き寄せるが、雄しべと雌しべは機能しない。
装飾花の花びらに見える部分は、がく。
(『趣味どきっ! 道草さんぽ・春』多田多恵子 NHK出版 2023年)