久しぶりに青空が広がり五月晴れでした。
晴れたのはうれしかったのですが、日ざしがささるみたいでした。
影を探しながら歩いていました。
「西・東日本の太平洋側 真夏日のところも 熱中症に十分注意」(NHK)よく人間と動物の違いは、言葉を話せることだ。
そのおかげで人類は、進歩、発展してきたのだと…
シジュウカラの研究などで鳥たちも言葉で意思を伝達しあっていることがわかってきています。
「言葉」は人類だけのものではないのです。
虫たちを写していていつも思うのですが、最後の最後まで生きようとしている。
木も枯れていると思えるような所から若い芽が出ている。
草花も茎が折れても空に向かって咲こうとしている。
そんなことを思うと、人間と動物や植物との違いは
人間は、「自殺(自死)」するけど、動物や植物は天から与えられた命を全うすることではないかなと思う。河野裕子未発表エッセー
さびしいとさみしい
さびしいと、さみしいとはどこがどう違うのか。
文法学者でもないわたしには説明できない。
けれど、さびしいと、さみしいは微妙に決定的に違う。
これは、歌人としての直観が言う。
昨年の秋に亡くなった母にこういう歌がある。
(『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』河野裕子 永田和宏 文春文庫 2014年) 物を忘れ添いくる心のさみしさはわたしがだんだん遠くなること 河野君江
歌集『秋草抄』の中の一首である。
母には二冊の歌集があるが、わたしはこの歌がいちばん好きだ。
母はこの歌を残しただけで、いつまでも私たちの記憶に鮮やかに生きていることができる。 亡くなる二十年ほどまえから、母の認知症は少しずつ進行していった。
言ったことを一瞬にして忘れるものであることを、如実に思いしらされたことが何度あったことか。 しかし、短歌とはまことに不思議な力を持つ詩型である。
近代百年に一人といわれる歌人、斎藤茂吉は七十二歳で亡くなったが、その晩年、老身の衰弱は心身ともに激しかった。
しかし、最終歌集『つきかげ』をわたしは茂吉の最高の歌集だと読む。 歌人は心身が衰えても、なぜかいい歌を作る。
作れてしまうと言ったほうがいいかもしれない。
母にしてもそうであった。「物を忘れ添いくる心のさみしさ」はどんなさみしさであったのか、わたしには伺い知れない。
お母さん、今言ったのにまた同じことを言ってと母は一日に何度も言われたことだろう。
忘れるということは、私自身が私を置いてどこかへいってしまうような心細く、寄る辺ない思いに人を追い詰めるのではないだろうか。 だから、母は「私がだんだん遠くなる」と言わずにはいられなかったのだろう。
そういう思いを、人はどう表現するのか、さみしいとしか言いようがなかったのではないか。
さびしいと思い到るまでには時間がいるという。
物が錆びるのに時間がいるのと同じように。
さみしいには、さびしいよりも、もっと術(すべ)ない心の深みからくる切実な音感がある。
母はこの歌には、さびしいでは言い尽くせない心がある。
さみしい、と言って初めて、作者と読者が一体になるような。
それは幸福なことではあるが、人のこころのどうしようもなさを、わたしたちがこのような形で共有することもまた、さみしいことには違いない。
(『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』河野裕子 永田和宏 文春文庫 2014年)今朝の父の一枚です(^^)/
メジロがビワの実を食べていました。
昨日は、天気が悪かったので別のカメラで撮影していたのですが
今朝は、倍率の大きいカメラだったのではっきり写せました。
(今日は、更新を休むつもりでしたが(^_-)…)
ビワ 枇杷
大薬王樹(だいやくおうじゅ)
…前略…
平安時代は大内裏(だいだいり)に植えられ、果実が熟すと皆が食べたと『日本紀略(にほんきりゃく)』にありますし、『扶桑略記(ふそうりゃっき)』には渤海国(ぼっかいこく)の使節をもてなす宴席で、ビワを盛った銀碗が登場したと記されています。
もちろん天皇の食膳にも上り、『延喜式(えんぎしき)』(内膳式)の規定では5・6月にビワ十房が用いられました。
(『有職植物図鑑』八條忠基 平凡社 2022年)