2023年6月11日日曜日

入梅

雨の中、田植えの準備かな?
梅雨前線が停滞しているみたいなので雨が続きそうです。

和歌山県 南部中心に激しい雨の見込み 土砂災害に十分注意を」(和歌山NHK)
アマゾン小型機墜落 約40日後保護の子ども4人 命に別状なし」(NHK)
13歳といえばまだ小学校6年か中学1年位なのに

4人のきょうだいは「ウィトト」と呼ばれるジャングルで生活する先住民族の子どもで、
ベラスケス国防相は「長女の勇気とリーダーシップを認識すべきだ。
幼いきょうだい3人は彼女の支えとジャングルの知識によって救われた」と述べ、
13歳の長女が生存に大きな役割を果たしたとの見方を示しました。
大阪は、すでに梅雨入りしていますが、暦の上では、今日が「入梅」。
予報が外れたと文句を言う人がいますが(^_-)

入梅(にゅうばい) 気象庁の梅雨入りはすべて仮発表
   梅雨入(ついり) 梅雨(つゆ)に入る 梅雨(つゆ)きざす

 太平洋側の強い小笠原気団と日本海側のオホーツク気団がぶつかり、停滞して梅雨前線ができる。
その付近で雨が降り続くと、梅雨入りとなる。
6月の初旬から中旬にかかることが多い。
気象庁が発表している理由は、大雨による災害を防ぐための「防災上の注意喚起」が目的。
「何月何日に梅雨入りしました」という明言ではなく、「〇〇日ごろ梅雨入り(明け)したとみられます」という仮の速報を発する。
梅雨のない北海道を除き、12の地域(沖縄、奄美、九州南部、九州北部、四国、中国、近畿、北陸、東海、関東甲信、東北南部、東北北部)に分けて発表される。
(『季語ものしり事典』新海均 角川文庫 令和3年)
 現在の技術でも6月の段階では判断できないため、梅雨が明けてから、春から夏にかけての天候経過を検討し、全てのデータが揃う9月にようやく、その年の梅雨入りと梅雨明けの特定が発表される。
梅雨入りがはっきりしないまま、特定できない年もある。
梅雨は、韓国、中国、東南アジアにもある。

  世を隔て人を隔てて梅雨に入る  高野素十

(『季語ものしり事典』新海均 角川文庫 令和3年)
言葉にできない、そんな夜。「第2シーズン (28)

酒にまつわる失敗談などで盛り上がっていました。
というσ(^^;)も酒の失敗、人に迷惑をかけたこともいっぱい…
思い出すと、穴の中に入りたくなることも…
番組の中で太宰治と萩原朔太郎の一文が紹介されていました。
19日は「桜桃忌」ということで「酒ぎらひ」を転記します( ..)φ
(リンク先は、文庫本です)
 酒ぎらひ

 二日つづけて酒を呑んだのである。
をととひの晩と、きのふと、二日つづけて酒を呑んで、けさは仕事しなければならぬので早く起きて、台所へ顔を洗ひに行き、ふと見ると、一升瓶が四本からになつてゐる。
二日で四升呑んだわけである。
勿論、私ひとりで四升呑みほしたわけでは無い。
をととひの晩はめづらしいお客が三人、この三鷹の陋屋にやつて来ることになつてゐたので、私は、その二三日まへからそはそはして落ちつかなかつた。
一人は、W君といつて、初対面の人である。
いやいや、初対面では無い。
お互ひ、十歳のころに一度、顔を見合せて、話もせず、それつきり二十年間、わかれてゐたのである。
(『太宰治全集 第十巻』太宰治 筑摩書房 昭和52年)
一つきほどまへから、私のところへ、ちよいちよい日刊工業新聞といふ、私などとは、とても縁の遠い新聞が送られて来て、私はちよつとひらいてみるのであるが、一向に読むところが無い。
なぜ私に送つて下さるのか、その真意を解しかねた。
下劣な私は、これを押売りではないかとさへ疑つた。
家内にも言ひきかせ、とにかく之は怪しいから、そつくり帯封も破らずそのままにして保存して置くやう、あとで代金を請求して来たら、ひとまとめにして返却するやう、手筈をきめて置いたのである。
そのうちに、新聞の帯封に差出人の名前を記して送つて来るやうになつた。
Wである。
私の知らぬお名前であつた。
私は、幾度となく首ふつて考へたが、わからなかつた。
そのうちに、「金木町のW」と帯封に書いてよこすやうになつた。
金木町といふのは、私の生れた町である。
津軽平野のまんなかの、小さい町である。
同じ町の生れゆゑ、それで自社の新聞を送つて下さったのだ、といふことは、判明するに到つたが、やはり、どんなお人であるか、それは思ひ出すことができないのである。
とにかく御好意のほどは、わかつたのであるから、私は、すぐにお礼をハガキに書いて出した。
「私は、十年も故郷へ帰らず、また、いまは肉親たちと音信さへ普通の有様なので、金木町のW様を、思ひ出すことが、できず、残念に存じて居ります。どなたさまで、ございましたでせうか。おついでの折は、汚い家ですが、お立ち寄り下さい。」といふやうなことを書きしたためた筈である。
相手の人の、おとしの程もわからず、或ひは故郷の大先輩かも知れぬのだから、失礼に当らぬやう、言葉使ひにも充分に注意した筈である。
折返し長いお手紙を、いただいた。
それで、わかつた。
裏の登記所のお坊ちやんなのである。
固苦しく言へば、青森県区裁判所金木町登記所々長の長男である。
子供のころは、なんのことかわからず、ただ、トキシヨ、トキシヨと呼んでゐた。
私の家のすぐ裏で、W君は、私より一年、上級生だつたので、直接、話をしたことは無かつたけれど、たつたいちど、その登記所の窓から、ひよいと顔を出した。
その顔をちらりと見て、その顔だけが、二十年後のいまとなつても、色あせずに、はつきり残つてゐて、実に不思議な気がした。
Wといふ名前も覚えてゐないし、それこそ、なんの恩怨もないのだし、私は高等学校時代の友人の顔でさへ忘れてゐることが、ままあるくらゐの健忘症なのに、W君の、その窓から、ひよいと出した丸い顔だけは、まつくらい舞台に一箇所スポツトライトを当てたやうにあざやかに眼に見えてゐるのである。
W君も、内気なお人らしいから、私同様、外へ出て遊ぶことは、あまり無かつたのではあるまいか。
そのとき、たつたいちどだけ、私はW君を見掛けて、それが二十年後のいまになつても、まるで、ちやんと天然色写真にとつて置いたみたいに、映像がぼやけずに胸に残つて在るのである。
私は、その顔をハガキに画いてみた。
胸の映像のとほりに画くことができたので、うれしかつた。
たしかに、ソバカスが在つたのである。
そのソバカスも、点々と散らして画いた。
可愛い顔である。
私は、そのハガキをW君に送つた。
もし、間違つてゐたら、ごめんなさい、と大いに非礼を謝して、それでも、やはりその画を、お目に掛けずには、居られなかつた。
さうして、「十一月二日の夜、六時ごろ、やはり青森県出身の旧友が二人、拙宅へ、来る筈ですから、どうか、その夜は、おいで下さい。お願ひいたします。」と書き添へた。
Y君と、A君と二人さそひ合せて、その夜、私の汚い家に遊びに来てくれることになつてゐたのである。
Y君とも、十年ぶりで逢ふわけである。
Y君は、立派な人である。
私の中学校の先輩である。
もとから、情の深い人であつた。
五、六年間、ゐなくなつた。
大試錬である。
その間、独房にてずゐぶん堂々の修行をなされたことと思ふ。
いまは或る書房の編輯部に勤めて居られる。
A君は、私と中学校同級であつた。
画家である。
或る宴会で、これも十年ぶりくらゐで、ひよいと顔を合わせ、大いに私は興奮した。
私が中学校の三年のとき、或る悪質の教師が、生徒を罰して得意顔の瞬間、私は、その教師に軽蔑をこめた大拍手を送つた。
たまつたものでない。
こんどは私が、さんざん殴られた。
このとき、私のために立つてくれたのが、A君である。
A君は、ただちに同志を糾合して、ストライキを計つた。
全学級の大騒ぎになつた。
私は、恐怖のためにわなわな震へてゐた。
ストライキになりかけたとき、その教師が、私たちの教室にこつそりとやつて来て、どもりながら陳謝した。
ストライキは、とりやめとなつた。
A君とは、そんな共通の、なつかしい思ひ出がある。

…つづく…
(『太宰治全集 第十巻』太宰治 筑摩書房 昭和52年)
今朝の父の一枚です(^^)/
スモモの実とザクロを写していました。

父と妹が通院した時、日は違うのに患者さんが多くて
診察が終わるのを外で待っていると
お母さんに連れられて子どもや赤ちゃんが次々にやってきていました。
ニュースを見ると
インフルエンザやRSウイルスなど 感染症患者が増加傾向 なぜ?」(NHK 6月8日)

「誰もが常にマスクを着けるなど以前の生活に戻るというのは現実的ではないが、
例えば学校のクラスや家庭など身の回りで感染症がはやり始めたときに対策をすることは有効だ。
コロナとインフルエンザに限らず、呼吸器感染症ではせきや熱などの症状があれば、
安静にして周りにうつさないよう配慮し症状がつらければ病院を受診することが大切だ。
それが症状の回復や感染を広げないことにもつながると思う」(濱田篤郎東京医科大学特任教授)