2021年9月6日月曜日

ちょっぴり…

今朝は、少し涼しさを感じました。
ちょっぴり秋に近づいたかな?
青空に、飛行機雲が長く伸びていました。
天気が悪くなる前兆かな?
第4章 雲の心を読む
 飛行機雲と消散飛行機雲

……
 そもそも飛行機雲は、上空の低温環境下で発生します。
飛行機のエンジンが吸い込んだ空気は圧縮され、燃焼によって300~600℃の高温な排気ガスとなって放出されると、周囲の空気と混ざって急激に冷やされます。
また、飛行機の翼の後ろ側には空気の渦が発生し、部分的に気圧と気温が低下します。
これらの要因で冷やされた排気ガスが雲凝結核として働いて過冷却雲粒が発生し、その後に氷晶核形成して氷晶の飛行機雲が生まれるのです。
飛行機雲が2~4本と綺麗に見えるのはエンジンの熱と排気ガスが要因であり、翼から均一に発生するのは翼の後ろの気圧低下が要因であると見分けられます。
飛行機雲発生直後は過冷却雲粒が雲をなすため、彩雲も見えます(図4・20<省略>)。
 また、機体通過に伴う空気の乱れなどにより飛行機雲の一部がリング状になることがあります。
さらに、上空がかなり湿っていると飛行機雲をなす氷晶が昇華成長し、モクモクとした巻雲に変異していきます(図4・21<省略>)。
上空の風にも流され、多様な姿になるのです。
……
(『雲を愛する技術』荒木健太郎 光文社新書 2017年)

視点・論点「積乱雲を知って防災を」荒木健太郎(雲研究者)
大正十二年九月一日の大震災に際して
 二 大震目録


 九月二日。
 東京の天、いまだ煙に蔽(おお)われ、灰燼(かいじん)の時に庭前に墜(お)つるを見る。
円月堂に請い、牛込(うしごめ)、芝等(しばとう)の親戚を見舞わしむ。
東京全滅の報あり。
また横浜並びに湘南(しょうなん)地方全滅の報あり。
鎌倉に止(とど)まれる知友を思い、心頻(しき)りに安からず。
薄暮(はくぼ)円月堂の帰り報ずるを聞けば、牛込は無事、芝、焦土(しょうど)と化せりと言う。
姉の家、弟の家、ともに全焼し去れるならん。
彼らの生死だに明らかならざるを憂う。
(『芥川龍之介全集 第七巻』伊藤整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)
 この日、避難民の田端(たばた)を経て飛鳥山(あすかやま)に向うもの、陸続(りくぞく)として絶えず。
田端もまた延焼せんことを惧(おそ)れ、妻は児らの衣(い)をバスケットに収め、僕は漱石先生の書一軸を風呂敷に包む。
家具家財の荷づくりをなすも、運び難からんことを察すればなり。
人慾素(もと)より窮(きわ)まりなしとは言え、存外またあきらめることも容易ならがごとし。
(よ)に入りて発熱三十九度。
時に〇〇〇〇〇〇〇〇あり。
僕は頭重うして立つ能(あた)わず。
円月堂、僕の代りに徹宵(てっしょう)警戒の任に当たる。
脇差(わきざし)を横たえ、木刀(ぼくとう)を提(ひっさ)げたる状、彼自身宛然(えんぜん)たる〇〇〇〇なり。 
  三 大震に際せる感想

 地震のことを書けという雑誌一つならず。
何をどう書き飛ばすにせよ、そうは註文に応じ難ければ、思いつきたることニ三を記(しる)してやむべし。
幸いに孟浪(まんらん)(とが)むること勿(なか)れ。
  この大震を天譴(てんけん)と思えとは渋沢(しぶさわ)子爵の言うところなり。
誰か自(みずか)ら省れば脚に疵(きず)なきものあらんや。
脚に疵あるは天譴を蒙(こうむ)る所以(ゆえん)、あるいは天譴を蒙れりと思い得る所以なるべし、されど我は妻子(さいし)を殺し、彼は家すら焼かれざるを見れば、誰かまたいわゆる天譴の不公平なるに驚かざらんや。
不公平なる天譴を信ずるは天譴を信ぜらるに若(し)かざるべし。
(いな)、天の蒼生(そうせい)に、――当世に行わるる言葉を使えば、自然の我々人間に冷淡なることを知らざるべからず。
 自然は人間に冷淡なり。
大震はブウルジョアとプロレタリアとを分(わか)たず。
猛火は仁人(じんじん)潑皮(はっぴ)とを分たず。
自然の眼には人間も蚤(のみ)も選ぶところなしと言えるトゥルゲネフの散文詩は真実なり。
のみならず人間のうちなる自然も、人間のうちなる人間に愛憐(あいれん)を有するものにあらず。
大震と猛火とは東京市民に日比谷(ひびや)公園の池に遊べる鶴と家鴨(あひる)とを食(くら)わしめたり。
もし救護して至らざりとせば、東京市民は野獣のごとく人肉を食(くら)いしやも知るべからず。
  日比谷公園の池に遊べる鶴と家鴨とを食(くら)わしめし境遇の惨(さん)は恐るべし。
されど鶴と家鴨とを――否、人肉を食いしにせよ、食いしことは恐るるに足らず。
自然は人間に冷淡なればなり。
人間のうちなる自然もまた人間のうちなる人間に愛憐を垂(た)るることなければなり。
鶴と家鴨とを食(くら)えるがゆえに、東京市民を獣心なりと言うは、――惹(ひ)いては一切人間を禽獣(きんじゅう)と選ぶことなしと言うは、畢竟意気地(ひっきょういくじ)なきセンティメンタリズムのみ。
 自然は人間に冷淡なり。
されど人間なるがゆえに、人間たる事実を軽蔑すべからず。
人間たる尊厳を抛棄(ほうき)すべからず。
人肉を食わずんば生き難しとせよ。
(なんじ)とともに人肉を食わん。
人肉を食うて腹鼓然(こぜん)たらば、汝の父母妻子を始め、隣人を愛するに躊躇(ちゅうちょ)することなかれ。
その後(のち)になお余力あらば、風景を愛し、芸術を愛し、万般の学問を愛すべし。
 誰か自(みずか)ら省れば脚に疵(きず)なきものあらんや。
僕のごときは両脚(りょうきゃく)の疵、ほとんど両脚を中断せんとす。
されど幸いにこの大震を天譴(てんけん)なりと思う能(あた)わず。
(いわ)んや天譴の不公平なるにも呪詛(じゅそ)の声を挙ぐる能わず。
ただ姉弟(してい)の家を焼かれ、数人の知友を死せしめしがゆえに、已(や)み難き遺憾(いかん)を感ずるのみ。
我らは皆嘆くばし、嘆きたりといえども絶望すべからず。
絶望は死と暗黒とへの門なり。
 同胞よ。
面皮(めんぴ)を厚くせよ。
「カンニング」を見つけられし中学生のごとく、天譴なりなどと信ずること勿(なか)れ。
僕のこの言(げん)を倣(な)す所以(ゆえん)は、渋沢子爵の一言(いちげん)より、滔々(とうとう)と何でもしゃべり得る僕の才力を示さんがためなり。
されどかならずしもそのためのみにはあらず。
同胞よ。
冷淡なる自然の前に、アダム以来の人間を樹立せよ。
否定的精神の奴隷となること勿(なか)れ。
〇〇〇〇〇〇〇〇 不逞な鮮人の暴動か。

〇〇〇〇 不逞鮮人か。

天譴 天のとがめ。

渋沢子爵 渋沢栄一(1840~1931)。大実業家。大正5年以降は実業界より退き社会事業につくした。

蒼生 人民。

潑皮 不明。「潑婦(はっぷ)」は悪女。「法被(はっぴ)」を職人などが着る半纏。

散文詩 ツルゲーネフの晩年の観照的・虚無的感懐をあつめた小品集。この部分は「自然」と題する一編。
(『芥川龍之介全集 第七巻』伊藤整、吉田精一編 角川書店 昭和43年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^_^)v
甲羅干しをしているカメたち。
最近雨が多いのでカメたちには貴重な晴れ間なんでしょうね。

カメはなぜ甲羅干しするの?」(ののちゃんのDO科学 2007年10月24日)