台風14号が前線を刺激しているようです。
公園にある東屋の温度計をみると20度を切っていました。
雨も冷たく感じられました。
〝台風14号「前線+台風」で長雨のおそれ 土砂災害などに警戒を〟(NHK)
雨の日がいいのはウイルスが空中を漂う率が低くなると考えています。
換気の悪い場所で長時間いるとマスクをしていても感染を防ぐのは難しいと思います。
食料品を買いに行っても、すぐに店を出ていくことができますが、店員さんは大変です。
昨日、買い物に行くとマスクをしていない女性が、店員さんに案内を頼んでいました。
年齢的に2回ワクチンを終えた方だと思いますが…
「新型コロナ デルタ株“空気感染”する?! いま分かっていること」(NHK 9月13日)
〝「コロナは空気感染が主たる経路」 研究者らが対策提言〟(朝日新聞 8月27日)
ワクチンについて主治医のアドバイスは、「重症化を防げる」ということでした。
インフルエンザワクチンも重症化を防ぐことができると思って接種しています。
「高齢者の感染、じわり増加…2回接種後のブレイクスルー感染も各地で」(読売新聞 8月28日)
新型コロナが従来のコロナのように「普通の風邪」になるのはズーッと先の話だと思います。「ワクチン2回接種、国民の5割超が完了…近く日本が米国を上回る見通し」(読売新聞 9月13日)
〝ワクチン2回、5割超す 64歳以下まだ3割 接種率 専門家「集団免疫は困難」〟(朝日新聞)
政府分科会は「すべての希望者が接種を終えたとしても集団免疫の獲得は困難」
ワクチン接種が5割を超えたそうですが
受けたくても申し込みが困難な人への取り組みが必要だと思います。
「東京 台東区 路上生活者など対象にワクチン集団接種」(NHK 9月13日)
「新型コロナワクチン 外国人対象の集団接種始まる 茨城 常総」(NHK 9月12日)
「外国人留学生など対象にワクチン接種 多言語で対応 大阪」(NHK 9月13日)NHKスペシャル「メガクエイク 巨大地震~震災10年 科学はどこまで迫れたか」
深夜に再放送があります。
見逃し配信は9月19日(日) 午後10:13 まで
自然と人間の時間の感覚(間隔)はちがう。
「関東で震度3 “異常震域”か 震源は東海道南方沖深さ450キロ」(NHK)
寺田寅彦の『震災日記より』を転記しますφ(..) 震災日記より
大正十二年八月二十四日 曇、後驟雨(しゅうう)
子供らと志村(しむら)の家へ行った。
崖(がけ)下の田圃路(たんぼみち)で南蛮(なんばん)ぎせるという寄生植物をたくさん採集した。
加藤(かとう)首相痼疾(こしつ)急変して薨去(こうきょ)。
(『ピタゴラスと豆』寺田寅彦 角川文庫 2020年)八月二十五日 晴
日本橋で散弾二斤買う。
ランプの台に入れるため。
八月二十六日 曇、夕方雷雨
月蝕(げっしょく)雨で見えず。
夕方珍らしい電光 Rocket lightning が西から天頂へかけての空に見えた。
ちょうど紙テープを投げるように西から東へ延びていくのであった。
一同で見物する。
この歳になるまでこんなお光りは見たことがないと母上が云う。八月二十七日 晴
志村の家で泊る、珍らしい日本晴。
旧暦十六夜(いざよい)の月が赤く森から出る。
八月二十八日 晴、驟雨
朝霧が深く地を這(は)う。
草刈。百舌(もず)が来たが鳴かず。
夕方の汽車で帰ること、雷雨の先端が来た。
加藤首相葬儀。八月二十九日 曇、午後雷雨。
午前気象台で藤原君の渦や雲の写真を見る。
八月三十日 晴
妻と志村の家へ行きスケッチ板一枚描く。九月一日 (土曜)
朝はしけ模様で時々暴雨が襲っきた。
非常な強度で降っていると思うと、まるで断ち切ったようにぱたりと止む、そうかと思うとまた急に降り出す実に珍らしい断続的な降り方であった。
雑誌『文化生活』への原稿「石油ランプ」を書き上げた。
雨が収まったので上野二科会(にかかい)展招待日の見物に行く。
会場に入ったのが十時半ごろ。
蒸暑かった。
フランス展の影響が著しく眼についた。
T君と喫茶店で紅茶を呑(の)みながら同君の出品画「I崎の女」に対するそのモデルの良人から撤回要求問題の話を聞いているうちに急激な地震を感じた。椅子に腰かけている両足の蹠(うら)を下から木槌(きづち)で急速に乱打するように感じた。
たぶんその前に来たはずの弱い初期微動を気がつかずに直ちに主要動を感じたのだろうという気がして、それにしても妙に短週期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主要動が急激に襲ってきた。
同時に、これは自分の全く経験のない異常の大地震であると知った。
その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐の安政(あんせい)地震の話がありあり想出され、ちょうど船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切である事を感じた。仰向(あおむ)いて会場の建築の揺れ工合(ぐあい)を注意して見ると四、五秒ほどと思われる長い週期でみしみしと音を立てながら緩やかに揺れていた。
それを見たときにこれならこの建物は大丈夫だということが直観されたので恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。
そうして、この珍らしい強震の振動の経過をできるだけ精(くわ)しく観察しようと思って骨を折っていた。 主要動が始まってびっくりしてから数秒後に一時振動が衰え、この分ではたいした事もないと思うころにもう一度急激な、最初にも増した烈(はげ)しい波が来て、二度目にびっくりさせられたが、それからはしだいに減衰して長週期の波ばかりになった。 同じ食卓にいた人々はたいてい最初の最大主要動で吾(われ)がちに立ち上がって出口の方へ駆出して行ったが、自分らの筋向いにいた中年の夫婦はその時はまだ立たなかった。
しかもその夫人がビフテキを食っていたのが、少くも見たところ平然と肉片を口に運んでいたのがハッキリ印象に残っている。
しかし二度目の最大動が来たときは一人残らず出てしまって場内はがらんとしてしまった。
油画(あぶらえ)の額はゆがんだり、落ちたりしたのもあったがたいていはちゃんとして懸かっているようであった。
これで見ても、そうこの建物の震動は激烈なものでなかったことがわかる。
あとで考えてみると、これは建物の自己週期が著しく長いことが有利であったのであろうと思われる。
震動が衰えてから外の様子を見に出ようと思ったが喫茶店のボーイも一人残らず出てしまって誰も居ないので勘定をすることができない。それで勘定場近くの便所の口へ出て低い木柵越しに外を見ると、そこに一団、かしこに一団というふうに人間が寄集って茫然(ぼうぜん)として空を眺めている。
この便所口から柵を越えて逃出した人々らしい。
空はもう半ば晴れていたが千切れ千切れの綿雲が嵐の時のように飛んでいた。
そのうちにボーイの一人が帰ってきたので勘定をすませた。
ボーイがひどく丁寧に礼を云ったように記憶する。出口へ出るとそこでは下足番の婆さんがただ一人落ち散らばった履物(はきもの)の整理をしているのを見つけて、預けた蝙蝠傘(こうもりがさ)を出してもらって館の裏手の集団の中からT画伯を探しあてた。
同君の二人の子供も一緒に居た。
その時気のついたのは附近の大木の枯枝の大きなのが折れて墜(お)ちている。
地震のために折れ落ちたのかそれとも今朝の暴雨風で折れたのか分らない。 T君に別れて東照宮(とうしょうぐう)前の方へ歩いてくると異様な黴臭(かびくさ)い匂が鼻を突いた。
空を仰ぐと下谷(したや)の方面からひどい土ほこりが飛んでくるのが見える。
これは非常に多数の家屋が倒潰(とうかい)したのだと思った。
同時に、これでは東京じゅうが火になるかもしれないと直感された。東照宮前から境内を覗(のぞ)くと石灯籠(どうろう)は一つ残らず象棋(しょうぎ)倒しに北の方へ倒れている。
大鳥居の柱は立っているが上の横桁(よこげた)が外れかかり、しかも落ちないで危く止(とどま)っているのであった。
精養軒(せいようけん)のボーイ達が大きな桜の根元に寄集まっていた。
大仏の首の落ちた事は後で知ったがその時は少しも気が付かなかった。
池の方へ下りる坂脇の稲荷(いなり)の鳥居も、柱が立って桁が落ち砕けていた。
坂を下りて見ると不忍弁天(しのばずべんてん)の社務所が池の方へのめるように倒れかかっているのを見て、なるほどこれは大地震だなということがようやくはっきり呑込めてきた。
(『ピタゴラスと豆』寺田寅彦 角川文庫 2020年)
つづく…
「バラバラになった上野東照宮の石灯籠」(関東大震災映像デジタルアーカイブ)
「頭部が落ちた上野大仏」(関東大震災映像デジタルアーカイブ)
今朝の父の一枚です(^_^)v
ヒガンバナの汚名
…前略…
ヒガンバナ科の球根植物。
中国原産で、有用植物として日本に伝わった。
人里近くに見られ、秋の訪れとともに川の土手や田の畦(あぜ)、墓地などでいっせいに咲く。
秋の里を赤く染めて咲き群れる光景は燃え立つように妖しく美しく、埼玉県日高市の巾着田(きんちゃくだ)など、各地の群生地は今では観光名所となっている。
彼岸の時期に合わせて咲くことから、亡くなった人の魂のよみがえりであると考えて「死人花(しびとばな)」、仏典に伝わる赤い花の名から「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」と呼ぶこともある。
…後略…
(『したたかな植物たち―あの手この手のマル秘大作戦【秋冬篇】』多田多恵子 ちくま文庫 2019年)
「高麗(こま)の里 彼岸花 高句麗遥かに 曼珠沙華」(みちしる NHK)
雨の日がいいのはウイルスが空中を漂う率が低くなると考えています。
換気の悪い場所で長時間いるとマスクをしていても感染を防ぐのは難しいと思います。
食料品を買いに行っても、すぐに店を出ていくことができますが、店員さんは大変です。
昨日、買い物に行くとマスクをしていない女性が、店員さんに案内を頼んでいました。
年齢的に2回ワクチンを終えた方だと思いますが…
「新型コロナ デルタ株“空気感染”する?! いま分かっていること」(NHK 9月13日)
〝「コロナは空気感染が主たる経路」 研究者らが対策提言〟(朝日新聞 8月27日)
ワクチンについて主治医のアドバイスは、「重症化を防げる」ということでした。
インフルエンザワクチンも重症化を防ぐことができると思って接種しています。
「高齢者の感染、じわり増加…2回接種後のブレイクスルー感染も各地で」(読売新聞 8月28日)
新型コロナが従来のコロナのように「普通の風邪」になるのはズーッと先の話だと思います。「ワクチン2回接種、国民の5割超が完了…近く日本が米国を上回る見通し」(読売新聞 9月13日)
〝ワクチン2回、5割超す 64歳以下まだ3割 接種率 専門家「集団免疫は困難」〟(朝日新聞)
政府分科会は「すべての希望者が接種を終えたとしても集団免疫の獲得は困難」
ワクチン接種が5割を超えたそうですが
受けたくても申し込みが困難な人への取り組みが必要だと思います。
「東京 台東区 路上生活者など対象にワクチン集団接種」(NHK 9月13日)
「新型コロナワクチン 外国人対象の集団接種始まる 茨城 常総」(NHK 9月12日)
「外国人留学生など対象にワクチン接種 多言語で対応 大阪」(NHK 9月13日)NHKスペシャル「メガクエイク 巨大地震~震災10年 科学はどこまで迫れたか」
深夜に再放送があります。
見逃し配信は9月19日(日) 午後10:13 まで
自然と人間の時間の感覚(間隔)はちがう。
「関東で震度3 “異常震域”か 震源は東海道南方沖深さ450キロ」(NHK)
寺田寅彦の『震災日記より』を転記しますφ(..) 震災日記より
大正十二年八月二十四日 曇、後驟雨(しゅうう)
子供らと志村(しむら)の家へ行った。
崖(がけ)下の田圃路(たんぼみち)で南蛮(なんばん)ぎせるという寄生植物をたくさん採集した。
加藤(かとう)首相痼疾(こしつ)急変して薨去(こうきょ)。
(『ピタゴラスと豆』寺田寅彦 角川文庫 2020年)八月二十五日 晴
日本橋で散弾二斤買う。
ランプの台に入れるため。
八月二十六日 曇、夕方雷雨
月蝕(げっしょく)雨で見えず。
夕方珍らしい電光 Rocket lightning が西から天頂へかけての空に見えた。
ちょうど紙テープを投げるように西から東へ延びていくのであった。
一同で見物する。
この歳になるまでこんなお光りは見たことがないと母上が云う。八月二十七日 晴
志村の家で泊る、珍らしい日本晴。
旧暦十六夜(いざよい)の月が赤く森から出る。
八月二十八日 晴、驟雨
朝霧が深く地を這(は)う。
草刈。百舌(もず)が来たが鳴かず。
夕方の汽車で帰ること、雷雨の先端が来た。
加藤首相葬儀。八月二十九日 曇、午後雷雨。
午前気象台で藤原君の渦や雲の写真を見る。
八月三十日 晴
妻と志村の家へ行きスケッチ板一枚描く。九月一日 (土曜)
朝はしけ模様で時々暴雨が襲っきた。
非常な強度で降っていると思うと、まるで断ち切ったようにぱたりと止む、そうかと思うとまた急に降り出す実に珍らしい断続的な降り方であった。
雑誌『文化生活』への原稿「石油ランプ」を書き上げた。
雨が収まったので上野二科会(にかかい)展招待日の見物に行く。
会場に入ったのが十時半ごろ。
蒸暑かった。
フランス展の影響が著しく眼についた。
T君と喫茶店で紅茶を呑(の)みながら同君の出品画「I崎の女」に対するそのモデルの良人から撤回要求問題の話を聞いているうちに急激な地震を感じた。椅子に腰かけている両足の蹠(うら)を下から木槌(きづち)で急速に乱打するように感じた。
たぶんその前に来たはずの弱い初期微動を気がつかずに直ちに主要動を感じたのだろうという気がして、それにしても妙に短週期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主要動が急激に襲ってきた。
同時に、これは自分の全く経験のない異常の大地震であると知った。
その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐の安政(あんせい)地震の話がありあり想出され、ちょうど船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切である事を感じた。仰向(あおむ)いて会場の建築の揺れ工合(ぐあい)を注意して見ると四、五秒ほどと思われる長い週期でみしみしと音を立てながら緩やかに揺れていた。
それを見たときにこれならこの建物は大丈夫だということが直観されたので恐ろしいという感じはすぐになくなってしまった。
そうして、この珍らしい強震の振動の経過をできるだけ精(くわ)しく観察しようと思って骨を折っていた。 主要動が始まってびっくりしてから数秒後に一時振動が衰え、この分ではたいした事もないと思うころにもう一度急激な、最初にも増した烈(はげ)しい波が来て、二度目にびっくりさせられたが、それからはしだいに減衰して長週期の波ばかりになった。 同じ食卓にいた人々はたいてい最初の最大主要動で吾(われ)がちに立ち上がって出口の方へ駆出して行ったが、自分らの筋向いにいた中年の夫婦はその時はまだ立たなかった。
しかもその夫人がビフテキを食っていたのが、少くも見たところ平然と肉片を口に運んでいたのがハッキリ印象に残っている。
しかし二度目の最大動が来たときは一人残らず出てしまって場内はがらんとしてしまった。
油画(あぶらえ)の額はゆがんだり、落ちたりしたのもあったがたいていはちゃんとして懸かっているようであった。
これで見ても、そうこの建物の震動は激烈なものでなかったことがわかる。
あとで考えてみると、これは建物の自己週期が著しく長いことが有利であったのであろうと思われる。
震動が衰えてから外の様子を見に出ようと思ったが喫茶店のボーイも一人残らず出てしまって誰も居ないので勘定をすることができない。それで勘定場近くの便所の口へ出て低い木柵越しに外を見ると、そこに一団、かしこに一団というふうに人間が寄集って茫然(ぼうぜん)として空を眺めている。
この便所口から柵を越えて逃出した人々らしい。
空はもう半ば晴れていたが千切れ千切れの綿雲が嵐の時のように飛んでいた。
そのうちにボーイの一人が帰ってきたので勘定をすませた。
ボーイがひどく丁寧に礼を云ったように記憶する。出口へ出るとそこでは下足番の婆さんがただ一人落ち散らばった履物(はきもの)の整理をしているのを見つけて、預けた蝙蝠傘(こうもりがさ)を出してもらって館の裏手の集団の中からT画伯を探しあてた。
同君の二人の子供も一緒に居た。
その時気のついたのは附近の大木の枯枝の大きなのが折れて墜(お)ちている。
地震のために折れ落ちたのかそれとも今朝の暴雨風で折れたのか分らない。 T君に別れて東照宮(とうしょうぐう)前の方へ歩いてくると異様な黴臭(かびくさ)い匂が鼻を突いた。
空を仰ぐと下谷(したや)の方面からひどい土ほこりが飛んでくるのが見える。
これは非常に多数の家屋が倒潰(とうかい)したのだと思った。
同時に、これでは東京じゅうが火になるかもしれないと直感された。東照宮前から境内を覗(のぞ)くと石灯籠(どうろう)は一つ残らず象棋(しょうぎ)倒しに北の方へ倒れている。
大鳥居の柱は立っているが上の横桁(よこげた)が外れかかり、しかも落ちないで危く止(とどま)っているのであった。
精養軒(せいようけん)のボーイ達が大きな桜の根元に寄集まっていた。
大仏の首の落ちた事は後で知ったがその時は少しも気が付かなかった。
池の方へ下りる坂脇の稲荷(いなり)の鳥居も、柱が立って桁が落ち砕けていた。
坂を下りて見ると不忍弁天(しのばずべんてん)の社務所が池の方へのめるように倒れかかっているのを見て、なるほどこれは大地震だなということがようやくはっきり呑込めてきた。
(『ピタゴラスと豆』寺田寅彦 角川文庫 2020年)
つづく…
「バラバラになった上野東照宮の石灯籠」(関東大震災映像デジタルアーカイブ)
「頭部が落ちた上野大仏」(関東大震災映像デジタルアーカイブ)
今朝の父の一枚です(^_^)v
ヒガンバナの汚名
…前略…
ヒガンバナ科の球根植物。
中国原産で、有用植物として日本に伝わった。
人里近くに見られ、秋の訪れとともに川の土手や田の畦(あぜ)、墓地などでいっせいに咲く。
秋の里を赤く染めて咲き群れる光景は燃え立つように妖しく美しく、埼玉県日高市の巾着田(きんちゃくだ)など、各地の群生地は今では観光名所となっている。
彼岸の時期に合わせて咲くことから、亡くなった人の魂のよみがえりであると考えて「死人花(しびとばな)」、仏典に伝わる赤い花の名から「曼殊沙華(まんじゅしゃげ)」と呼ぶこともある。
…後略…
(『したたかな植物たち―あの手この手のマル秘大作戦【秋冬篇】』多田多恵子 ちくま文庫 2019年)
「高麗(こま)の里 彼岸花 高句麗遥かに 曼珠沙華」(みちしる NHK)