2022年9月6日火曜日

風は吹くのだけど…

今朝は、風が吹いているけど台風11号の生温いような風で暑かったです。

台風11号 島根の一部暴風域 広い範囲で風強まる 暴風など警戒」(NHK)

フェーン現象で早朝から30℃超 午後は北陸で体温並みの猛暑に」(ウェザーニュース)
フェーン現象と言えば、日本海側で春先に起きると思っていたけど…
 フェーン現象(火災に注意)

 湿った風が山にぶつかると斜面に沿って上昇しながら雨を降らせ、山の反対側に乾燥した高温の風となって吹き下りる。
この一連の現象が<フェーン現象>である。
 湿った空気が上昇する際には100メートルにつき0.6℃気温が低下し、乾いた空気が下降する際には100メートルにつき1℃気温が上昇するので、たとえば、風下側で25℃の風が標高2000メートルの山を越えると、反対側に吹き下りたときには33℃へと気温が上昇することになる。
(『風と雲のことば辞典』倉島厚監修 2016年 講談社学術文庫)
 台風が太平洋側から日本海側に進んだ場合、台風に向かって南から湿った強風が吹き続けるため東海側では大雨が降り、山を越えた北陸側では高温の風が吹き続け、夜間でも30℃を下らないことがある。
たとえば、平成2年(1990年)に日本海を北上した台風第14号では、8月22日の夜から23日の日中にかけて南西の風と30℃以上の高温が続き、23日朝の石川県金沢市の最低気温は31.5℃と高かった。
 強風にともなう<フェーン現象>の最中に火災が発生すると拡大の危険があるため、<フェーン現象>は火災への注意・火の管理への注意を促す「ことば」でもある。
過去には日本海沿岸や三陸沿岸で大火が繰り返された。
 乾いた風が山を吹き下りて平野部の気温が上昇する現象を広義の<フェーン現象>として、「ドライフェーン」と呼ぶこともあり、北関東や北海道東部で見られる。
 いずれにしても山の方から風が吹いて気温が高くなったときは<フェーン現象>を考え、火の取り扱いには更なる注意をしたい。
(『風と雲のことば辞典』倉島厚監修 2016年 講談社学術文庫)
高野悦子さんの『二十歳の原点』は今でも読まれ続けていて、文庫本で読むことができます。
でも『二十歳の原点序章』や『二十歳の原点ノート』は、品切れになっています。
その『二十歳の原点ノート』より「あとがき」を転記します( ..)φ

 あとがき

 昭和44年6月、あのいまわしい時から六年余の歳月が経ちました。
昨年は故人の七回忌にあたりましたので、命日の6月24日には永代供養をお願いしてある京都の宗仙寺に夫妻で回向してまいりました。
思い出の立命館大学のキャンパスにも行きましたが、騒乱のあとかたもなく「平和」そのものでした。
故人が寝ころんで童話の本を朗読したという松尾大社の芝生、そして好んでサイクリングに行った嵯峨野のたたずまい、大覚寺、大沢の池で暮れるのも忘れて思い出にひたってまいりました。
すべてが懐かしく故人を偲ばせてくれました。
(『二十歳の原点ノート』高野悦子 新潮社 昭和51年)
 歳月というものは有難いものです。
いまではすべてが懐かしく、何事につけ故人を偲ばせてくれるものは貴く思われ、故人の足跡を永久に残しておきたい気持で一杯です。
故人が「私の部屋は二階の真ん中。……私の生活があるこの部屋、……(64.1.1)」と言った部屋も当時のままソッとしております。
故人が生を享けた1949年1月2日から69年6月24日まで、この世に存在した「しるし」を残してやりたい――これも親の欲目ですが――こんな気持から、この『二十歳の原点ノート』をこの世に送り出すことにいたしました。
 昭和46年、『二十歳の原点』を発刊して以来、多くの方々からお手紙をいただきました。
今日この頃でも毎日のように共感と共鳴の感想が寄せられておりますので、その数は千通をこえているでしょう。
もちろん、故人のプライバシーを冒瀆するものだ、故人が最も反撥したジャーナリズムに迎合するものだという御批判も受けました。
私は三たび同じ誤りを繰返そうとしているのかもしれません。
でも私はこの御叱りを甘受しようと思うのです。
 この『ノート』は、中学二年(14歳)の1963年1月2日から高校三年(17歳)の66年11月22日に至る心の記録です。
高校への進学、そして大学受験へと、毎日毎日が何かに追われ続けてきた生活、さらにバスケットクラブと進学準備との板ばさみ、悩みが浮き彫りにされています。
多くの人々が、かつてそうであったように、そして現在もそうであるように。
この『ノート』はこれらの解答にはならなくとも真剣に考えていただく素材を提供することになると思います。
 私は、我が子のことは生まれた時からすべて知りつくしていると考えることは、とんでもないと思っています。
親の子を見る目に何と誤りの多いことでしょう。
「この二、三日電気はつけっぱなしオネンネ。洋服も着っぱなし。……(68.12.31)」と書いているように、故人は洋服のまま寝てしまうことが再三でした。
親は「お前はダラシナイ」とよく叱ったものですが、それは大きな誤解だったのです。
日記では、よく日課表とか今日は何ページまでとかいう予定をたてています。
そしてこの日課表も毎日のように計画倒れになるのですが、本人の気持としては、どうしても予定まではやりたい、終るまでは寝られないと焦るのです。
しかしおそいくる睡魔には勝てず、遂に倒れるように朝まで寝入ってしまう。
こんな焦りがこの日記ではあったわけです。
そんな心情も察してやれず「寝るときはパジャマに着換えなさい。疲れがとれないゾ」などと叱りつけた親は何もわかってやれなかったのです。
今さらのように慙愧の念に堪えません。
 故人の生涯は、既に御承知のように、満二十年と六ヶ月という常識では余りにも短かい、はかない人生ではありましたが、精一杯の努力を積み重ねて真剣に生きてくれたことが、親の私としてはせめてもの慰めに思えます。
これらを御汲みとりいただいて他山の石としていただけたら、という次第なのです。
 私と「カッコ」との対話――楽しい対話――は今もズッと続いています。
これからも続くことでしょう。
『二十歳の原点』『序章』、そしてこの『ノート』とあわせて三冊をかたわらに、あの娘の部屋で、思い出にひたりながら遺品の整理をこれからも続けていきたいと思っております。
 最後に、本書も前著と同様、先生友人諸氏のお名前を仮名にさせていただいた他は原文のまま発表いたしました。
御迷惑に存ぜられる方もあろうかと存じますが、何卒御寛容の程をお願い申し上げます。
 なお、故人に対しまして数々の御厚誼をお寄せ下さった皆々様に御礼を申上げますとともに、前著に引続きこのたびの『ノート』の出版に際しまして、一切の御配慮を賜わりました新潮社の大門武二氏に衷心から御礼を申上げる次第です。
  昭和51年1月
         高野三郎
(『二十歳の原点ノート』高野悦子 新潮社 昭和51年)
今朝の父の一枚です(^^)/
ノアサガオを写していました。

ノアサガオ(野朝顔) ヒルガオ科・サツマイモ属

 漏斗形の花を、葉腋(ようえき)に1~3個つけ、朝方に開く。
アサガオによく似ているが、1年草のアサガオに対し、本種は多年草。
また、花柄が短く、5裂する萼片が反り返らないなどの違いもある。
10mもつるを伸ばし、晩秋の頃まで次々と花を咲かせ続けるのも特徴で、園芸品種も作られ、オーシャン・ブルーなどの名で流通し、人気になっている。
(『道草の解剖図鑑』金田初代 エクスナレッジ 2021年)