2022年9月27日火曜日

蒸し暑かった…

朝、ヒンヤリしていたのだけど、歩いていると汗が出る…
それでも秋だなと思うのは、風が気持ちよかったです。
午後から天気は崩れるようです。
あれから8年になる…

御嶽山噴火災害から8年 犠牲者を悼む追悼式 王滝村」(信州 NHK)
仲よく並んで水浴び(*^^*)
こんな姿に出会うと望遠レンズで写したくなるけど…
木の葉が落ちるまでもう少し我慢します(^^ゞ
9月27日
昭和15年(1940) ベルリンで日独伊三国同盟調印(松岡外相、ドイツ大使オットと秘密交換公文)。
昭和20年(1945) 天皇、マッカーサーを訪問。
(『日本史「今日は何の日」事典』吉川弘文館編集部 2021年)

いつか「国葬」が書き加えられるのかも…
それにしても何故、この日に設定したのかな?
はじめの章 天皇・マッカーサー会談にはじまる戦後
 ●「ヘロヘト・バウ」


 この会談が写真つきで日本国民に知らされた時、さすがに皆がうーんと唸ったでしょう。
内容は知りませんから、ついに軍門に下る(降参する)というか、我らが神と仰いだ天皇がマッカーサーのもとへ命乞いに行った、と悪く思った人もいたでしょう。
作家、長与善郎(ながよよしろう)の27日の日記にはこうあります。

  「陛下は、全くただ一日も早き国土安穏(あんのん)ということのほか念頭になく、そのためにはご自分の身も名誉も捨てていられるのだと思う。何とも云えぬ屈辱のお気持はお察しできる気がするが……」
(『昭和史 戦後編1945-1989』半藤一利 平凡社ライブラリー 2009年)
 また、日本にいながら日本からの亡命者と言ってもいい永井荷風先生(当時65歳)は、28日の日記で、めずらしく優しいことを書いています。

  「我等は今日まで夢にだに日本の天子が米国の陣営に微行(びこう)して和を請い罪を謝するが如き事のあり得べきを知らざりしなり。これを思えば幕府滅亡の際、将軍徳川慶喜(よしのぶ)の取り得たる態度は今日の陛下よりも遥かに名誉ありしものならずや、今日この事のここに及びし理由は何ぞや、幕府瓦解(がかい)の時には幕府の家臣に身命を犠牲にせんとする真の忠臣ありしがこれに反して、昭和の現代には軍人官吏一人の勝海舟(かつかいしゅう)に比すべき知勇兼備(ちゆうけんび)の良臣なかりしが為なるべし」

 慶喜さんには、身命を犠牲にして降伏を完結する知勇兼備の勝海舟がいた。
しかし、昭和には誰一人いないのだ、と言っているのです。
 私は、9月23日からはじまった進駐軍放送を、夜になると音楽やニュースなど、英語の勉強になるからと聴いていました。
何日目だったか、「ヘロヘト・バウ。……ヘロヘト・バウ。……」とやたらに聞こえるので何のことだろうと思っていると、新聞に天皇・マッカーサー会見の写真が載っていたので、そうか、あれは「裕仁(ひろひと)がお辞儀をした( bow )」の意味だったのか、と思ったのを記憶しています。
自分も英語がへただな、と。
いずれにしても、あの写真は衝撃的でした。
 これでいよいよ日本の占領時代が本格的にはじまるわけです。
ともかく、天皇とマッカーサーの会談は無事に済んだ、むしろ打ち解けたというのでほっとしたところはあったのですが、基本的にはこれからどうなるかについてはまったくだれも自信がありません。
たったひとつあるのは、ポツダム宣言を受諾する際に日本側がつけた条件です。
「天皇の国家統治の大権を変更するの要求を包含し居(お)らざることの了解のもとに」、つまり降伏後の日本における天皇の地位、国体が保証されることを確認したうえで受諾したことです。
これに対する連合国側の返答は、「日本国の最終的の政治形態は、ポツダム宣言に遵(したが)い日本国民の自由に表明する意思により決定せらるべきもとす」でした。
つまり、これからの日本の国のかたちは、国民の自由意思にまかせるといっています。
国民が選べる、というのが唯一の頼みの綱でした。
まあ実際問題として、これはすべて裏切られるのですが、この時点では「国民の自由意思」に国家の運命にかかっていたのです。
ただ、国家のかたちはそうであったとしても、天皇の身柄については確実ではない。
ではどうなるか、それがこの後緊要(きんよう)の大焦点になるわけです。
 その点については日本の指導者が知っているのは、戦争中にちょこちょこ発表されていた連合国の人たちの意見です。
たとえば昭和19年10月、孫文(そんぶん)の長男の孫科(そんか)が「ミカドは去るべし」という論文を発表しています。

  「天皇崇拝の思想は日本の侵略行動の真髄であるが故に、ミカドはその地位を去るべきである。……日本において、軍国主義と軍閥の力と天皇制とは、本質的に織り合わされているのだ」
 つまり軍国主義と天皇制は同じものであるから、全部つぶすべきだというのです。
また、戦争が終わってから、中国の作家、林語堂(りんごどう)はこう語っています。

  「日本の民主主義を確保するためには、当然、今上(きんじょう)天皇は廃位されねばならない」

 さらに中国の新聞「解放日報」は社説で主張しました。

  「日本天皇は国家の元首であり、陸海空軍の大元帥であるから、戦争に対して負うべき責任はのがれることはできない」

 こういった意見が発表されていましたから、はたして連合国がどう出てくるか――天皇制をどするのか、裕仁天皇の身柄をどうしようとしているのか――について、日本のトップはいてもたってもいられないほど疑心暗鬼になっていたのです。
 ちなみに、日本がまだ激しい抵抗を続けていた昭和20年6月の時点でのアメリカの世論はどうだったでしょう。
戦争終了後、天皇の身柄をどうすべきかについて、6月29日のギャラップ調査によると、
  処刑せよ 33%
  裁判にかける 17%
  終身刑とする 11%
  外国へ追放する 9%
  そのまま存続 4%
  操(あやつ)り人形として利用する 3%
  無回答 23%
 これはもちろん日本には知らされていませんが、アメリカの世論としては大半が天皇に責任あり、とする意見だったことになります。
こういう厳しい状況下で、日本の戦後のあゆみがはじまったわけなんですね。
林語堂 Lin Yu-tang 1895-1976、中国の作家・英語学者・エッセイスト。近代中国の動乱や抗日戦争を生き抜く同胞の姿、中国文明の特質などを欧米人に向けて描いた。

ギャラップ調査 1935年、アメリカの心理学者ギャラップによって設立されたアメリカ世論調査所が行なう調査。少数でも正確なサンプリングがなされれば特性がつかめることを実証し、また無作為抽出による調査法を開発、科学的世論調査のパイオニアとされる。
(『昭和史 戦後編1945-1989』半藤一利 平凡社ライブラリー 2009年)
今朝の父の一枚です(^^)/
コサメビタキを写していました。
コンデジでよく写せるなと感心!

コサメビタキ(ヒタキ科)

 戦後、東京近郊の雑木林からまったく姿を消してしまったことは、年配の鳥好きの人々にため息混じりの昔語りをさせる。
今では地方都市の周辺からも姿を消し、そこそこの山へ入らないと出会いにくくなった。

生活
 直径100mほどと、ふつうの小鳥並みのなわばりをもつというが、さえずりは小声で遠くまでは届かないし、つがいになるとさえずらなくなるというから、この歌になわばり宣言の力はあまりないように思える。
メスに対しては、胸の羽毛をふくらませて、尾羽を開いて左右に揺するディスプレイを行なうという。
あまりにも特徴のない鳥だが、どうやらしっぽがご自慢のようだ。
 オスとメスが協力し、横枝の上におわん型の巣をつくる。
クモの糸で材料を綴り、これにウメノキゴケなどの地衣類をはりつけるので、丸出しの巣の割には、木のこぶのように見えて気づかれない。
 飛びながら空中に停まったり、Uターンしたりするのが得意で、飛んでいる昆虫を上手にキャッチする。
巣で卵をあたためているメスに、オスが停空飛翔しながら給餌するほほえましい光景も見せてくれる。
 コサメビタキの目がひときわ大きく見える秘密のひとつは、目のふちの肉質のリングが黒いことである。
この鳥に限ったことでもないが、このアイシャドーが、目をひとまわり大きく見せることに貢献している。
(『鳥のおもしろ私生活(旧版)』 ピッキオ編著 主婦と生活社 1997年)