2022年9月28日水曜日

かすかに…

曇り空…
かすかに香ってきたのがキンモクセイ
ポツンと咲いていただけなのに秋を感じさせてくれました。

 木犀に人を思ひて徘徊す
(『尾崎放哉全句集』村上護編 ちくま文庫 2008年)
NHKおはよう日本」でダンス部「明晴ウイングス」が紹介されていました(6時18分頃)

今回で3回目の出場になるそうです。
 中学2年生のキャプテンが手話で語っていたのは
聴者はダンスには音楽が必要だと思っているかもしれない
みんなで練習をして、心を合わせて目を使えば、聞こえなくてもダンスはできる


聴覚障碍のある彼女たちは、
視覚と床から感じる振動も頼りに練習を積み重ねてきました。

100%以上の120%を出して、自信と誇りを持って
常に仲間を意識してダンスをしたい


練習の成果が出て、みんながひとつになり
最後は会場から大きな拍手をもらってうれしかった。
私にとってダンスは、ありのままの自分を表すことができるもの
 コガタスズメバチかな?
スズメバチは襲ってくる恐いハチだと思われていますが
それは、人間の方が対応を誤って反撃にあっている場合が多いです。

昆虫界最強ともいわれるスズメバチを さまざまな角度から研究する」(玉川学園 2012年9月25日)
農家の人たちにとって、スズメバチはイモ虫など植物を食い荒らす害虫を駆除してくれる益虫とされ、喜ばれる存在でもあるのです。
昨日の国葬は見ていません。
「国葬」でなく「偲ぶ会」や「お別れの会」などでしたら反対するつもりはありません。

見ていないのでいろいろ言うのは控えますが、トレンドに前首相の挨拶が上がっていました。
国葬前は、これまでの前首相の挨拶から大丈夫かと心配する声があがっていました。
弔辞なのでいいかげんな気持ちでなく心を込められたのでしょう。
では、国民に向かっての挨拶や談話、記者会見がひどかったのは、国民を軽視していたからなんでしょうか?
一方、イギリスでは

第7章 メディアと伴走する大衆王
 声を伝える国王


 20世紀になって王権の国民に対する表れ方を大きく変えたのは、ラジオの登場です。
これについては水谷三公『イギリス王室とメディア――エドワード大衆王とその時代』(文春学藝ライブラリー、2015年)で詳しく扱われています。
 最初にBBCがラジオ放送を開始したのが1922年で、イギリス家庭に普及していくのが1930年代のことでした。
そして1933年までに半数の家庭が、1939年までにはほぼすべての家庭がラジオを備えるいたったのです。
なおテレビ放送の開始は1936年でしたが、第2次世界大戦で中断、1946年に再開しています。
(『王様でたどるイギリス史』池上俊一 岩波ジュニア新書 2017年)
 この音や声をじかに国民に届けるラジオに自分の声を最初に乗せて大反響をおこした国王が、ジョージ五世でした。
王は戦間期の1924年4月23日、ロンドン郊外のウェンブリーで英帝国博覧会の開会式に臨みました。
そのとき開会を告げた王の言葉がBBC放送で家庭にまで届けられ、ラジオを聴いた人たちを熱狂させたのです。
当時の約4500万の人口のうち、1000万人以上が国王の声に耳を傾けたとされます。
なお閉会式には王の代わりに皇太子エドワードが出席し、その挨拶もラジオで流されました。
 この効果に政府も注目し、国王の声による愛国心醸成、国民の一体化に期待しました。
そして1932年には、BBCが帝国放送サービスを開始するのに併せて、国王のクリスマス・ラジオ出演が実現したのです。
クリスマス放送はイギリス本国をはるかに超えて、インド、オーストラリア、カナダ、西アフリカなど植民地・自治領にも王の挨拶が伝えられ、ジョージ五世の気取らぬ落ち着いた話しぶりに皆感激したようです。
彼はこの放送のおかげで「良き家庭人、偉大な凡人、誠実で謙虚な努力家」として大いに称讃されることになりました。
 なお、国王のBBCクリスマス放送は、今日までずっと続いています。
1957年にエリザベス女王がはじめてテレビを使ってクリスマス演説を行い、それからは王室の姿がありのまま、全国の視聴者の目に触れることがたびたびになるのです。
 ジョージ五世の息子エドワードは洒落(しゃれ)者として知られ、国民にも親しまれていましたし、下層の人たちを苦しめる失業問題や住宅問題にも関心を示して、解決に力を尽くそうとしました。
エドワードはラジオ放送にも非常に積極的で、皇太子時代の1922年から、さまざまな機会を捉えてはラジオを使って国民に語りかけ「ラジオ・プリンス」と呼ばれました。
 1936年、彼はエドワード八世(在位1936年)として父の後を継ぎますが、ウォリス・シンプソンという二度の離婚歴のあるアメリカ人女性と結婚するため、わずか325日で退位します(いわゆる「王冠を賭<か>けた恋」)。
その結婚は、国教会の首長である王として許されないことだったからです。
彼はここでもラジオを利用しています。
BBC放送で退位を宣言し「愛する女性の支えなしには国王の責務は果たせない」と率直に国民に告白したのです。
 そこで弟のヨーク公が期せずして登位、ジョージ六世(在位1936~52年)となりました。
エリザベス女王の父です(本章扉絵参照)。
彼には言語障害があり、王などなりたくありませんでした。
1936年、妻エリザベス・ボウズ=ライアンとともに戴冠しましたが、危惧したとおりスピーチで大失敗してしまいます。
しかしこれを聴いていたオーストラリアの言語治療師が救いの手を差しのべ、王と二人三脚のねばり強い努力で言語障害を克服し、苦手だったスピーチも驚くほど上達しました。
ラジオを通じて、ドイツに宣戦布告したのも彼でした。
 その後、ラジオから語りかけるジョージ六世は圧倒的多数の国民の共感を集め、称讃されるようになりました。
このジョージ六世の吃音(きつおん)とその克服の物語に関しては、2010年のイギリス映画『英国王のスピーチ』が話題になりました。
 戦間期、王室が利用したのはラジオだけではなく、映画もそうでした。
というよりも、映画のほうが王室を利用した、と言い換えるべきでしょう。
その頃より映画館では作品上映の前や合間に放映される「ニュース映画」に王室がさかんに登場し、あらゆる階層の観客に、王や王族の様子がヴィヴィッドに伝えられるようになったのです。
大衆王の誕生です。
(『王様でたどるイギリス史』池上俊一 岩波ジュニア新書 2017年)

イギリス エリザベス女王とは?その生涯と国民にとっての存在」(NHK 9月9日)
今朝の父の一枚です(^^)/
柿の実も秋の色になってきました。

寒露から霜降のころ
 柿色の日本


 日本人の主食である田の稲穂がみのる秋は、畑の甘藷(かんしょ)、自然薯(じねんじょ)、里芋、馬鈴薯(ばれいしょ)、黍(きび)、稗(ひえ)、蕎麦(そば)、豆などの準主食の収穫の季節でもあります。
山には栗(くり)や木の実、里には柿その他の果実が実ります。
昔むかし、こんなに数々の食糧の実る秋はどんなに待ち遠しかったことか、どんなに嬉(うれ)しかったことか、想像するだけで人々の収穫の喜びの声が聞こえてきます。
とはいえ、やがて冬がくることを考えれば、秋は衰退の季節です。
早々と暮れる日を惜しみつつ、昔の人たちも感傷にふけったことでしょう。
でも保存のきく食糧が採れる秋は、嬉しい季節であったにちがいないのです。
秋は、野のものが枯れ、ものの実らぬ冬の命を繋(つな)ぐための大事な季節だったのです。
 ゆえに天候異常や不可避な事情で収穫が順調でない場合、想像できない不幸な出来事が生じるのです。
口べらしのために子どもを川に投げ込み捨てる、屍肉(しにく)食べる、山野の木の根、木の皮、草という草、壁土のなかの苆(すさ)までを抜き出して食べるなど、残る記録を目にするだけでもおそろしくなります。
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)