2021年7月5日月曜日

セミの声が聞こえると…

今朝の天気予報を見ると湿った空気が流れ込んでいて一段と蒸し暑い(-_-;)
そのうえセミの声が聞こえるとさらに蒸し暑く感じる。
クマゼミだけが元気かも…

5日昼前にかけて局地的に激しい雨のおそれ」(関西NHK)
 サヘルローズさんのTwitterに

ニュースをみていると
涙がこみあげてきます。

自然災害の前では
あまりにも無力な自分を感じる。

祈っています。

思いをずっとよせています。
Ⅰ 死の章
 一 怯える子供
  軍都広島と原商店


 原民喜は1905(明治38)年11月15日、父信吉、母ムメの五男として広島市幟町(のぼりちょう)162番地(現在の広島市中区幟町)に生れた。
 長男と次男は早世したため、実質的には三男の信嗣が長兄、四男の守夫が次兄にあたる。
そのほかに弟が二人、姉が二人、妹が二人いた。
長姉と次姉は原が成人する前に亡くなり、上の弟も4歳で亡くなっている。

(『原民喜 死と愛と孤独の肖像』梯久美子 岩波新書 2018年)
 華燭

 朝がたふと素晴しい夢を見て駿二は目が覚めた。
何だか昨夜は随分といろんな奇怪があつたやうだつたが、その割りには睡眠も足りてゐた。
今日はどうやら天気も快晴らしく、屋根の方で雀の囀りが聞える。
暫くぼんやりと床の中で怠けてゐると、まるで駿二は少年の昔へ還つてゆくやうな気持がした。
枕辺にある昨夜運ばれて来た夥しい嫁入道具を寝た儘眺めてゐるとそれがまた姉の昔の嫁入を想はせた。
(『定本原民喜全集Ⅰ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
すると、その時するすると襖が半分開いて、姉の顔が現れたので、駿二はおやと思つた。
姉は何時の間にか丸髷を結つてゐて、大層気張つてゐる容子だつた。
姉は駿二がまだ寝てゐるのを何か珍しさうに眺めてゐたが、やがて無言のままその襖を閉ぢた。
 間もなく駿二は着物を着替へて起上つた。
洗面所の方へ行くと、そこでは妹がこれも何時の間にか丸髷を結つてゐた。
妹は自分の髪恰好に腹が立つらしく、顰面してすぢやりで鬢を修繕してゐたが、その側では妹婿がいかにも嬉しさうに丸髷の手入れを見物してゐるのだつた。
妹婿は駿二を見ると歯を剝出して笑つた。
その時、縁側の方から近所に住んでゐる叔母がやつて来たが、駿二にむかつて大きな声で、「おめでたう」と云つた。
駿二はぴよこんと頭を下げた。
次いて、今度は玄関の方から郵便局長の叔父夫妻がトランクを提げてやつて来た。
叔母同志は早速何か喋り合つて賑々しく着物を着替へたり足袋を穿いたりした。
二人の叔母の盛装が出来上つた頃には、家の内は人々が入替り立替り現れた。
遂に木村氏も現れた。
木村氏はモーニング姿で駿二に軽く微笑した。
従弟も紋附姿でやつて来た。
彼は駿二を認めると格式ばつて、「おめでたう」と挨拶した。
昨夜とは形勢がまるで変つてゐて、駿二は何とはなしに嬉しいやうな奇妙な感じがした。
絶えず家の内が騒然としてゐるので、時間はずんずん過ぎて行つた。
姉も妹も叔母達もみんな交互に鏡の前へ行つては熱心に風采を整へてゐた。
駿二はそれを手持無沙汰に見物してゐると、兄が側へやつて来て、「おい、おい、婿さん、婿さんの仕度がまだ出来てゐないぢやないか。早く紋附を着給へ。もう式の時刻が来ぞ」と急きたてた。
そこで駿二は妹に手伝つてもらつて、袴や羽織を着けた。
鯱張つた身に着かない感じで扇子などを弄つてゐると、表にはもう自動車がやつて来た。
(『定本原民喜全集Ⅰ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^_^)v
高く伸びているのは、「高山牛蒡(たかやまごぼう)
背が高いから「たかやま」でなく
高山右近の生誕地豊能町の高山地区で江戸時代から栽培されていました。