2021年7月28日水曜日

土用の丑の日

今日は、「土用の丑」なんだけど
朝から暑さのせいか気分が悪くなりそう…

なんで東北ばかりが辛い思いをしなくてはならないのだろと思ってしまう。

台風8号 秋田県を北寄りに進む 土砂災害などに警戒を」(NHK)
  鰻の日カラヤンよりも寅次郎   沢木欣一(きんいち)

 土用の丑(うし)はウナギの日ともいう。
なぜ丑の日がウナギなのかは俗説が多い。
江戸の戯作者(げさくしゃ)であった平賀源内がうなぎ屋のためにキャッチ・コピーとして考えたともいわれるが、万葉の時代からウナギの効用は喧伝(けんでん)されていたようだ。
『万葉集』は「石麻呂にわれ物申す夏痩(なつやせ)に良しといふ物ぞ鰻(むなぎ)捕り喫(め)せ」とある。
そんな古くからの風習も日本文化の含蓄として、考え直してみることが大切。
 これと一脈通じるのがフーテンの寅(とら)さんで、渥美清の死亡後も映画の人気は依然として根強い。
しかし一昔前の古風な日本人で、管弦楽の指揮者カラヤンと寅次郎とを比較する人がいただろうか。
ここに今昔の感もあるが、俳句ジャンルは寅次郎的発想に近いものだ。
蛇笏(だこつ)賞を受けた句集『白鳥』に収められた余裕の一句である。
  1919~2001 富山市生まれ。「風」主宰。
  句集『雪白』『塩田』など。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)
 大阪歴史博物館のTwitterに

【きょうは何の日?】
7月28日 < 江戸川乱歩 亡くなる > 1965年(昭和40)のこと。
ミステリ作家。三重県出身。
大正時代の後半、
大阪の守口や門真に居住した。
そのため、初期の代表作「二銭銅貨」「D坂の殺人事件」などは、大阪で書かれた。
僕も。こどもの頃や学生時代によく読みました。(ふ)
クサギ シソ科

 クサギの冬芽は濃い赤紫で、葉痕はカエル君がニコニコしています。
新葉には毛がたくさん生えていて柔らかく、花は薄いピンクで良い香りで(臭くない)優しい雰囲気です。
ただ実の色はド派手。
ガクが赤く、実は青いという攻めコーデ。
これは鳥に実を食べてもらうために目立たせる作戦なのですが、あの優しそうな花からこの実の変貌ぶりは、キャラが変わりすぎです。
青い実で絹を染色したら、媒染なしで優しい水色に染まります。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)
リアルタイムで見ると応援しているチームなどが負けることが多いので(^^ゞ
オリンピック ソフトボール決勝 日本 金メダル!【詳細】」(NHK)
野球はプロがあって、いつも注目を浴びるからオリンピック種目から外れても活躍の場がある。
でも、ソフトボールは難しいと思う。
野球とソフトボールをセットでなく、ソフトボールだけでもオリンピック種目になるといいなぁと思う。
上野由岐子さんをはじめ監督、選手の皆さんおめでとうございます。
父が新聞を見ながら上野選手が13年も投げ続けていることに驚嘆していました。
アメリカのモニカ・アボット投手もそうですよね!
 平野剛さんのTwitterに

1964年に小学生だったのは、いまの64歳から69歳。
つまり63歳以下の人たちは当時を知らない(憶えていない)。
だから「五輪で絆を、一体感を」という謂いには、いまいちピンときていないのではないか。
つまり「絆とか一体感」に期待するのは64歳以上の人たちだけで、この温度差は拭いがたい。

テレビ離れが進むいま、五輪が国民に与える影響は当時とはまったく異なる。
時代背景を踏まえた考察はとても大切だ。
これについては、吉見俊哉
五輪と戦後 上演としての東京オリンピック(河出書房新社)に詳しく書かれているので参照して欲しい。

僕は小学生でした。
日本選手の活躍にわくわく感動していました。
と、同時にマラソンのアベベ選手の姿が強く印象に残っています。

小学生でしたらか、東京オリンピックであんなに盛り上がったのに、その後、不況になったのを知りませんでした。

次の東京は「五輪後の不況」を避けられるのか〟(土居丈朗 東洋経済 2016年8月22日)
この論考が発表されたのは2016年ですので、新型コロナはまだ起きていません。
(「燈籠」つづき) 

 私は、きつと狂つてゐたのでせう。
それにちがひございませぬ。
おまはりさんは、蒼い顔をして、じつと私を見つめてゐました。
私は、ふつとそのおまはりさんを好きに思ひました。
泣きながら、それでも無理して微笑んで見せました。
どうやら私は、精神病者のあつかひを受けたやうでございます。
(『太宰治全集 第二巻』太宰治 筑摩書房 昭和50年)
おまはりさんは、はれものにさはるやうに、大事に私を警察署へ連れていつて下さいました。
その夜は、留置場にとめられ、朝になつて、父が迎へに来て呉れて、私は、家へかへしてもらひました。
父は家へ帰る途中、なぐられやしなかつたか、と一言そつと私にたづねたきりで、他にはなんにも言ひませんでした。
  その日の夕刊を見て、私は顔を、耳まで赤くしました。
私のことが出てゐたのでございます。
万引にも三分の理、変質の左翼少女滔々と美辞麗句、といふ見出しでございました。
恥辱は、それだけでございませんでした。
近所の人たちは、うろうろ私の家のまはりを歩いて、私もはじめは、それがなんの意味かわかりませんでしたが、みんな私の様(さま)を覗きに来てゐるのだ、と気付いたときには、私はわなわな震へました。
私のあの鳥渡(ちよつと)した動作が、どんなに大事件だつたのか、だんだんはつきりわかつて来て、あのとき、私のうちに毒薬があれば私は気楽に呑んだことでございませうし、ちかくに竹藪でもあれば、私は平気で中へはひつていつて首を吊つたことでございませう。
二、三日のあひだ、私の家では、店をしめました。
(『太宰治全集 第二巻』太宰治 筑摩書房 昭和50年)

つづく…
 今朝の父の一枚です(^_^)v
この9月で90歳になる父。
この暑い中を散歩に出るのは辛いと思います。
それでも歩いている姿に私も頑張らなくては思っています。
一方、父は、感染者が減少するどころか増加する一方なので嘆いています。

大阪の感染者再び急増 専門家“感染者は増加の途上”」(関西NHK)

今朝の新聞に週刊誌の広告が載っていて
新型コロナワクチン「2回目」後に死亡した77人が飲んでいた薬[全実名]
などとあったのですが、私の服用している薬があるかもしれないけど、
記事を読まずに2回目を受けるつもりです(読むと意思がぐらつく(^^;…)。