2021年7月13日火曜日

風が吹かないと…

今朝も青空で、風が吹かないので蒸し暑さがたまりませんでした(-_-;)
久々にチョウトンボが来てくれたのですが、90mmレンズ(140mm相当?)では遠い…
以前は、チョウトンボを撮りたいので300mmレンズをぶら下げていたのですが
今は、その気力がなくなりました。
考えてみると去年からこんなに暑いのにマスクをしないといけない
マスクをしているうえに重いカメラをぶら下げて歩けません(◎_◎;)
写せる距離になるのを待つことにします。
 秋満吉彦さんのTwitterに

読売新聞のT記者さんが本日の朝刊文化欄に10周年を迎えた #100分de名著 について記事にしてくださっています。
とても的確に番組の魅力に迫っていて感銘を受けました。
 #小野正嗣 さんも講師を代表してコメントを寄せてくださりこちらも感激。
ぜひご一読ください。
まだコンビニとかで買えると思います。


「100分de名著」 本離れ時代に 本を語り合い10年〟(読売新聞)
今月の「老い ボーヴォワール」の第3回「老いと性
番組の最後に

伊集院)
彼女には覚悟があるから。
認めたくなかったりとかオブラートに包んじゃえばいい老いのことに踏み込んでって
みんなこういう現実を持ってるんだよっていう。
そこへの敬意は、どんなに「ちょっと違うよ」と思っても忘れない。


上野)
いや伊集院さんそれはほんとうに核心をついておられます。
やっぱり、そういう意味ではほんとうに潔い徹底した人ですね。


梯久美子さんの『原民喜 死と愛と孤独の肖像』に紹介されていた民喜の二つの短編を転記しますφ(..)
吾亦紅
  葡萄の朝


 私は青白い中学生だった。
夏が来ても泳がうとはせず、二階に引籠つて書物を読んでゐた。
だが、さうした憂欝の半面で、私のまはりの世界は、その頃大きく呼吸づき、夏の朝の空気のやうに清々しかつた。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
  家の裏には葡萄棚があつて、涼しい朝の日影がこぼれ落ちてゐる。
私はぼんやりその下にゐた。
すると、ふと、その時私は側にやつて来た近所の小父の声で我にかへつた。
「少しは水泳にでも行つたらどうだね。この子を見給へ、毎日泳いでるので、君なんかよりづつと色黒だ」
 さう云はれて、彼の側にくつついてゐた小さな女の児は、いま私の視線を受け、羞みと得意の表情で、くるりと小父の後に隠れてしまつた。
 ある朝の、ほんの瞬間的な遭遇であつた。
その少女が、私の妻にならうとは、神ならぬ私は知らなかつたのだ。
(『定本原民喜全集Ⅱ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
 焔
  よみがへる父

 父の十七回忌に帰つて、その時彼の縁談が成立したのだから、これも仏の手びきだらうと母は云ふ。
その法会の時、彼は長いこと正坐してゐたため、足が棒のやうになつたが、焼香に立上つて、仏壇を見ると、何かほのぼのと暗い空気の奥に光る、かなしく、なつかしい夢のやうなものを感じた。
(『定本原民喜全集Ⅰ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
  彼は奈良に立寄つて、大仏を見た。
その時、かたはらに妻がゐると云ふことがもう古代からのことのやうに思へた。
何人かここに来て、何人か死んで行つた――そこの太い大きな柱をめぐつて、年寄りの女が御詠歌をうたつてゐた。
  彼の妻は父のことを聞くのを好んだ。
彼はそれで以前よりか、もつと細かに父に関する記憶を掘り出すことが出来た。
すると、そればかりではなかつた。
あちらからも、こちらからも並木路が見えて来た。
何年も憶ひ出さなかつた記憶がそこを走り廻つた。
(『定本原民喜全集Ⅰ』編集委員 山本健吉・長光太・佐々木基一 青土社 1978年)
今朝の父の一枚です(^_^)v
こんなに蒸し暑くても父は歩かないと足腰が弱くなると頑張っていますp(^^)q

梅雨晴間(つゆはれま)

(前略)

 水田が平地の梅雨の雨を引き受けるダムの役目を果たしていることで、水は確保され稲も育つというバランスを保った治山治水がなされているのですから、梅雨は日本にとって大事な資源なのではないかと思うのです。
それだけに、「梅雨晴間」はありがたい天気で、雨で戸外に出て遊ぶことができなかった子どもたちの久々の声が聞こえてきます。
わずかの晴間に洗濯をしたり、部屋に風を通したり、雨靴を干したり、「蒼朮(そうじゅつ)を焚(た)く」を試みてみたりしますが、しばらくするとまた雨が降りはじめるのです。
「蒼朮を焚く」とは乾燥させたオケラの根を焚くことで、匂いと煙が梅雨の湿気や黴を防ぐといわれ、試してみたのですが、さしたる効能もなく終わってしまいました。

  鬱々(うつうつ)と蒼朮を焚くいとまかな  飯田蛇笏(いいだだこつ)

  蒼朮を焚きつつ子供を叱(しか)りつつ  山本洋子(やまもとようこ)

 梅雨が明けると、「梅雨明け十日」という暑さがやってきます。
本格的な夏の到来です。

  赤ちゃんの髪のくろぐろ梅雨晴間  喜代子
(『NHK俳句 暦と暮す 語り継ぎたい季語と知恵』宇多喜代子 NHK出版 2020年)