2020年12月31日木曜日

よい年をお迎えください

地面が白く見えたので霜かなと思ったけど、雪でした。
青空が見えていたけど、雨と雪の予報だったので、
望遠レンズを諦めて50mmマクロ(MF)で散歩をしました。
途中、顔見知りの方が傘を持っていることを不思議がられたのですが
昨日のことを話すと、その方も午後から洗車に行っての帰り雨に降られたそうです。

近畿 元日にかけ大雪のおそれ」(関西NHK)
新型コロナウイルス 医師が伝えたいこと「運動機能の衰え ロコモに注意」〟(藤野圭司医師)
藤野さんが仰っていたのは、

新型コロナの感染が広がる中、外出控えなどが引き起こす運動機能低下・ロコモティブシンドロームが懸念されています。
つまずきやすくなった、速く歩けなくなったは、ロコモ悪化のサイン。
スクワット運動はロコモの予防効果があることが科学的に分かっています。
きちっと感染対策をした上でウォーキングを行うことも効果的です。
歩くということは、バランス能力の改善にもなります。


父は、膝の痛みや、鼠径ヘルニアの痛みをこらえて歩いています。
顔見知りの方に出会った時に、以前、おススメしたゴッちゃん(後藤文雄神父)を紹介した番組
こころの時代~宗教・人生~「裏も表も我が人生」を見たと声をかけて下さったので、

再放送「中村哲の声が聞える」(2021年1月7日木曜日 午前1:41~
100分de萩尾望都」(1月2日土曜日:午後9時30分~)もおススメの番組ですよと声をかけました(^^)v
昨日、井原西鶴の『世間胸算用』より「平太郎殿」を紹介しました。
今日も井原西鶴の『日本永代蔵 全訳注』より「祈れば験のある貧乏神の折敷」を転記しますφ(..)
なお、語注(*)は現代語訳の注ではなく古文の注です。
(「中村哲の声が聞える」で中村哲さんが贈った言葉「柳緑花紅」が出てきます)

また『日本永代蔵』を紹介した番組があります。
日本永代蔵(井原西鶴)」(10min.ボックス)
巻四の一
 祈る印(しるし)(*)神の折敷(をしき)
   (きやう)にかくれなき(*)桔梗染(ききやうそめ)

<現代語訳>
 祈れば験(しるし)のある貧乏神の折敷

 (*)「掛け奉(たてまつ)る御宝前」と書いた大絵馬が、京都の清水寺に掛けられており、「これは、呉服所のなにがしが銀百貫目(1億3千万)の身代を祈願し、それが成就したので名を記して掛けたものだ」と語り伝えられている。
今その家の繁盛を以前と比較し、一代のうちにこんなにも金銀がたまるものかと、(*)室町ではもっぱらの評判である。
何事も欲得ずくの世の中なので、若恵比須、大黒天、毘沙門天、弁才天を頼りにし、鰐口に付いた綱に取り付き元手を欲しいと誰もが願をかけるが、世知辛い今の世になってこの方、そんなことは成就しそうにない。
(『日本永代蔵 全訳注』井原西鶴 矢野公和・有働裕・染谷智幸訳注 講談社学術文庫 2018年)
 ここに桔梗屋(ききょうや)という小さな染物屋の夫婦がいて、商売を大切にし正直第一の気配りで、わずかな間もぼんやりすることなく働いたが、いつの年も、餅つきは時期遅くなり肴掛(さかなかけ)に鰤(ぶり)がないままで、迎春の支度をすることを悔しく思っていた。
(*)宝船の絵を枕の下に敷いて寝たり、節分の豆を「福は内に」と言いつつ沢山撒いたりしたが、その甲斐もないので貧しさのあまり考えが変わり、「誰もが富貴を恵む神仏を祀るのが、世間の風習となっている。それなら私は、みんなが嫌う貧乏神を祀ってやろう」と、妙な藁人形をこしらえて(*)渋帷子(しぶかたびら)を着せ、頭には紙子頭巾(かみこずきん)を被らせ、手には破れ団扇を待たせて、その見苦しい姿を松飾りの中に安置し、元日から七草の日まで心を尽くしてもてなしたところ、その夜貧乏神が嬉しさのあまり枕元にゆらゆらと現れて、次のように語った。
 「私は長年にわたり貧家を巡る役を引き受けていたので、身を隠してさまざまな困窮した家の借金の中に埋もれており、いたずらをする子供をしかる時には『貧乏神め!』とあてこすりを言われるものの、裕福な商家の絶え間なく(*)丁銀を量る音が耳に響くと、(*)癪の虫が起きるのだ。
朝夕に鴨の鱠(なます)や杉焼きなどの贅沢料理が出ると胸につかえるのでかえって迷惑する。
私は元々その家の女房についてまわる神なので、奥の寝室に入っても重ね蒲団に(*)釣り夜着、(*)パンヤの括り枕などでは体がこそばゆく、白無垢の寝巻に焚き込められた(*)香には鼻をふさぎたくなり、花見や芝居見物に行くのに(*)ビロード張りの窓の乗り物で揺られるとめまいが起きて我慢できない。
夜は(*)蠟燭(ろうそく)の光が(*)金襖(きんぶすま)の部屋が照らすのがうっとうしい。
貧しい家の灯火、それも十年も紙を張り替えていない行灯(あんどん)の薄暗い明かりこそ心地よいものだ。
夜中に油が切れてしまって、女房の髪の油を間に合わせに注ぐような、そんな不自由な様子を見るのを楽しみに、毎年過ごしてきた。
だれも祀ったりはしてくれないので、(*)貧しさから意地を張り、ますます衰えさせていたが、この新春にはあなたたちが心を込めて私を祀って下さり、おかげで折敷に座って食事することができた。
これは、今までになかったことだ。
この御恩は忘れられない。
だから、この家に伝ってきた貧銭(ひんせん)を、親ゆずりの金持ちで得意になっている人に譲り、あなたたちをたちまちのうちに繁盛させよう。
それ、商売の方法は色々とある」
といって(*)「柳は緑、花は紅(くれない)」と二、三度、四、五度繰り返した。
あらたかな御霊夢ではないかと、目が覚めてもこのことを忘れず、ありがたく思い込み、
「染物細工を生業とする私に紅の御告げとは、間違いなく紅染(もみぞめ)のことだろう。
とはいえこれは、(*)小紅屋という人がすでに相当に売り出して、世間の需要を満たしている。
それどころか、最近は(*)砂糖染の工夫もあり、優れた知恵者の多い京では、並大抵のことでは利益を得ることなど思いもよらない」
と明け暮れ工夫を重ねて、(*)蘇芳木(すおうぎ)の下染めをした上から(*)酢で蒸し返すと、本紅(ほんもみ)の色と変わらないように見えることを考案し、これを秘密にしたまま染め込み、自ら荷物を背負って徒歩で江戸に下り、本町の呉服店に売った後、京に上る際には奥州の真綿を仕入れ、行き帰り油断なく(*)鋸商(のこぎりあきない)をして、十年経たないうちに千貫目(約13億円余り)もの金持ちになった。
 この人は大勢の手代を雇って万事を任せ、自分自身は遊楽をきわめて、若い時の苦労を取り戻した。
これこそ人間の生き方というものだ。
たとえば万貫目所持していたところで、年老いるまで身を粉にして働き、心労を重ねて世を渡る人は、一生が夢のようにはかないことを知らないので、大金を得たところで何の益もない。
ところで家業といものは、武士の場合は大名ならそれぞれの領国を世襲するのだからそれ以上に望むものはない。
だが末々の侍は、親譲りの(*)位牌ごとき俸禄を受け取って気楽に過ごすことが本望ではない。
自ら奉公に励んで、官職と俸禄を高くしてこその出世である。
町人も、親に稼がせて金をためさせ、遺言状通りに家督を受け取って、世間から信用を得た商売を引き継ぎ、家賃や賃銀による(*)利益をため込んでおきながら、もったいないことに世をうかうかと過ごし、二十歳の前後から外見を飾るために竹杖をかついで置頭巾を被り長柄の日傘を差し掛けさせて、世間の評判も気にしない贅沢者は、いかに自分の財産を使ってやっていることとはいえ、天命を知らない所業なのだ。
人というものは十三歳までは分別がなくてよいが、それから二十四、五歳までは親の指図どおりにし、その後は自分の力で生計を立て、四十五までに余生を過ごす家を構えて、あとは遊楽して過ごすというのが最良なのだ。
それなのにどうして若隠居を気取って男盛りの内に商売をやめ、大勢の使用人に暇を出して他の商家に奉公させ、末々を頼りにしてきた甲斐もなくつらい目に遭わせてしまうのだろう。
町人の出世というものは、親方が末々の奉公人の面倒見て、やがて(*)本家を支えるための暖簾分けを多くの者に施してやるというがの本道なのだ。
 そもそも三人暮らしまでは身過ぎなどとは言わないものだ。
五人以上で暮してこそ渡世と呼ぶにふさわしい。
下男の一人も使っていないような人は、世帯持ちと名乗るものではない。
旦那と呼んでくれる者もなく、(*)朝夕の食事も給仕の盆からではなく直接手にとって、女房が手盛りした飯を食うなど、たとえ腹がふくれるとはいえ情けないものである。
同じ世過ぎとはいえ、上下で格別の差がある。
このことを考えれば、わずかな間であっても油断してはならない。
(*)金銀は世間を流通していくものだから、懸命に働いても貯まらないというものではない。
桔梗屋のように夫婦二人で稼ぎ始めて、今は七十五人もの奉公人を使う(*)竈将軍となり、大屋敷を思い通りに建て、七つの内蔵と(*)九間(ここのま)の座敷を設け、庭には万木千草の他に(*)(かね)の生る名木がはびこって、しかも住んでいるところは文字通りの(*)長者町なのである。
掛奉る御宝前 奉納する絵馬に記すきまり文句「奉掛(かけたてまつる)御宝前」を利用した書き出しのアイデァ。

神の折敷 神饌を供える小さなへぎ板製の角形の盆。

桔梗染 桔梗色は、桔梗の花の色で青と紫の中間の色。万治・寛文頃から流行し、下染を藍、上染に紅花または蘇芳(すおう)などをかけて染色したという。

室町 京都室町通り沿い二条、三条辺には当時大呉服商の多い一角があった。

宝船を敷寝 節分や大晦日の夜に宝尽くしや七福神を乗せた宝船の絵を枕の下に敷いて寝て、良い夢を願う俗信があった。

渋帷子 柿渋で染めた帷子。

丁銀かける音 丁銀は約四十三匁のなまこ型の銀貨。天秤にかけて重量を計る時、バランスを見るため針口を槌で叩くその音。

癪の虫 激しい胸痛・腹痛を起こすと考えられていた虫。転じてかんしゃくの原因、腹立ち。

釣夜着 重さを感じないように、天井からつるすようにした寝具。

はんやの括り枕 パンヤの綿毛を詰め物にし両端をくくった枕。柔らかく贅沢品。
留らるゝかほり 香木を焚いて衣服に移し留めた香り。留木。

天鵞菟窓の乗物 窓にビロードを張った上製の女乗り物。より贅沢なものは全体をビロード張りにするという。

蠟燭の光り 蠟燭は油火の照明より明るく、特別な時に用いられている贅沢品であった。

金の間 金襖(きんぶすま)や金箔張りの壁を用いた部屋。

(が)は貧(ひん)よりおこり 「我」は自分の考えに固執すること。諺に「貧乏の僻(ひが)み根性」。

柳はみどり花は紅ゐ 天地自然そのままを真面目(しんめんもく)の姿とする禅語。柳緑花紅。謡曲の詞章などに頻出し笑い話にも取り入れられている。もとは蘇軾の詩の「柳緑花紅真面目」によるとされるが誤伝。

小紅屋といふ人 当時の京都の地誌類に紅花染の小紅屋和泉(烏丸通中立売下ル)の名がみえる。

砂糖染 未詳。

蘇芳木の下染 蘇芳の抽出液を用いた紅染。紅花で染めた本紅に対し中紅と呼ばれた。

酢にてむしかへし 紅花染に酢を用いるのを蘇芳染に応用したとの意。蘇芳の染色に酢を用いることは古く『延喜式』に記されているという。
鋸商 ここは江戸への行きにも帰りにも商売をする意。

位牌知行 位牌は死者の戒名などを記して安置する木の札。祖先から受け継いだ知行・俸禄。軽蔑の意で用いられる。

利つもり 利息の計算や見積もり。積もるはあらかじめおよその見当をつけるの意。

其家をあまたに仕分る 奉公人を独立させて店を持たせること。暖簾分け。

朝夕 朝と夕方の食事。転じて食事をすること。

金銀はまはり持 金銀は流通し人から人へと回るの意。俗に「金は天下の回り物」という。

竈将軍 家の中で将軍のように思うままにふるまう人の意。一家の主人。

九の間の座敷 柱の間が縦横三間の広さの部屋。室町時代将軍などの正式な座敷とされていた。

銀の生る名木 果実として金が実るという想像上の木。金のなる木。ここは中紅の染液に用いた蘇芳にかけた。

長者町 桔梗屋甚三郎が住んでいたとされる京都市上京区中之町。
(「日本永代蔵 27/46」国立国会図書館)

挿絵解説
 本章には挿絵が二面ある。
第一図は貧乏神を祀る桔梗屋夫婦。
型染などに使う大型の机に渋帷子に紙子頭巾、渋団扇を手にした藁人形の貧乏神を安置し、行灯・折敷・香盆・口の欠けた御神酒徳利や花を供えて手を合わせている。
壁下地が露出した片脇に染色に用いる麻笥(おけ)・瓢箪。
土間には竈に鍋・釜・水桶や縁の欠けた摺鉢。
枌板(そぎいた)を竹で押さえ重石を置いた取葺屋根、ちぎれた紐状の暖簾の側の庇(ひさし)も破損しており、すべて貧家の体。
鼠を追う猫が侘しさを際立たせている。
「日本永代蔵 29/46」国立国会図書館)

第二図は対照的に四人の奉公人に挨拶を受ける夫婦。
主人は置頭巾に羽織姿、女房はうなぎ綿をかぶり打掛を着ており、前図とは一変している。
分厚い扉を開いた内蔵には銀箱が置かれ貫緡(かんざし)につないだ銭が袋から溢れ出ている。
書院造りを思わせる舞良戸(まいらど)の座敷に天秤を飾った様子はいかにも富家に相応しい。
(『日本永代蔵 全訳注』井原西鶴 矢野公和・有働裕・染谷智幸訳注 講談社学術文庫 2018年)
今朝の父の一枚です(^^)v
いつもの道を行こうとしたら、母がこっちの道と教えてくれたそうです。
その通りに行くとコゲラに会えたと喜んでいました。

今日で今年も終わり。
大変な一年でした。
町歩きをこれほど我慢したのは初めてです。
来年は、皆さんにとっても安心して生活できる年でありますように!
ご訪問ありがとうございました。