2020年8月29日土曜日

気分が悪くなる暑さ

 

リハビリ仲間(80歳代)の方にお話しを聞くと
昨日は、あまりにしんどかったので休んだと仰っていました。
私の方は、昨日、4時頃に気分が急に悪くなり血圧を測ると160近くになっていたと話しました。
この暑さに無理をせず、頑張り過ぎない程度に頑張りましょうと声をかけ合いました。

豪雨で倒木の大杉、年輪で気象分析 「1000年分」研究〟(岐阜新聞)

倒れたというニュースを見た時にどうなるのかなと思ったけど、神木の神明大杉が1000年以上のことを教えてくれるそうです。
姿を変えて現代に蘇る取り組みも進んでいる。
昨日、午後2時頃に楽しみにしてたラジオ放送が急に番組変更になった。

湯川れい子さんのTwitter

拡散希望!!!!

今日のNHKラジオ「武内陶子のごごカフェ〜金曜スペシャル」
安倍総理大臣辞任の緊急ニュースが入って、急遽、出演出来なくなり、ご迷惑をお掛けしました。
でもお陰さまで、改めて完全復帰!!マーク9月25日の金曜日、同じ金曜スペシャルで放送できる事になりました。
9月25日です!!

(マークは、転記できません(^^ゞ…)
5分位でニュースは終わるのだろうなと思っていたら延々と続いた。
亡くなったのならわかるのだけど、会見まで待ってあげられなかったのかな…
延々と報道するくらい準備していたんだ。
安倍首相については批判する点が多いが、

Saori WatanabさんのTwitter

難治性疾患の基礎研究や治療は近年飛躍的に進歩し、新しい薬剤の選択肢も増え、多くの患者さんが合理的配慮があれば治療しながら就労を継続できるようになりました。
一方、難病の治療法は確立の域にはまだ達しておらず、寛解と再燃を繰り返しながら患者さんは日々孤軍奮闘されています。
 「吃音症の少年が米民主党大会の主役に、バイデン氏に助けられたと語る」(AFP 8月21日)

20日閉幕した米民主党の党大会で最も注目を浴びた主役は、吃音(きつおん)症に悩む13歳の少年ブレイデン・ハリントン君だったそうです。
彼は僕に、同じクラブの仲間だね、と言ってくれました。僕たちは吃音症です。僕と同じような人が副大統領になったなんて、本当にすごいと思いました

世界にいいね!つぶやき英語「周庭さんへ...世界の投稿 戦後75年SNSでの議論

アグネスさんや原爆投下についての投稿が取り上げられていて
映画インタビューコーナーでは『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』が紹介されていました。
映画は10月9日より公開されるそうです(見たけど…(T_T)…)。
次期首相に誰になるか…
支持はしていないけど石破さん以外は同じ穴のムジナのように見える。

安保問題で岸内閣が総辞職したあとに
第35臨時国会で第1次池田内閣が成立」(NHKアーカイブス 1960年)
池田首相といえば「国民所得倍増計画」が頭にうかぶのですが
その池田勇人氏の旧制高校時代の逸話が
個性ゆたかな群像 屋台引っぱった池田勇人」に紹介されています。
個性ゆたかな群像
 屋台引っぱった池田勇人


 彼らは、実によくいたずらをやった。
若さと機知にまかせ、しばしば教授や警官をてこずらせた。
また新聞ダネを提供し、学校当局を困惑させることも再三だった。
しかし、彼らのいたずらには、ふしぎと憎み切れないなにかがあった。
相当に知能的だが純真で稚気にあふれており、それを受け入れる時代、人情ものどかだったからであろう。
(『ああ青春 デ・カン・ショ』ノーベル書房編集部編 昭和44年)
 熊本、五高の習学寮には、全国からバンカラ秀才が押し寄せ、ことあるとごに市内を暴れまわった。
春は新入寮生歓迎の大晩さん会、文理対抗ボートレース、弁論大会、阿蘇、金峰山登山大会があり、秋には大運動会、創立記念式、ピクニック、球磨川下りと青春の血をたぎらせ、なおあり余るエネルギーのはけ口を街の中に求めた。
  いやですよ、ハイカラ角帽の医学生
  私の好きは、竜田五高の白三筋
  破れバカマに杉のゲタ
  剛毅朴訥ありのまま

 と大声で歌いながら、武夫原ダンスを踊り狂い、商店や民家の窓ガラス360名を割ったという記録も残っている。
大正12年ごろのことである。
それでも市民は「五高しゃんのことですばい」と言って大目にみた。
 肉屋の〝いろは〟、そば屋の〝東京庵〟、カフェー〝水谷〟などは、五高生にこよなく愛され、おかげで被害のほうもたっぷりちょうだいした。
 〝東京庵〟へやってきて、
 「うどん二すじィ」
 などと注文するのがいる。
たとえうどんは二本でも、つゆは丼にたっぷり入れなければならない。
それを飲み干して腹をふくらませ、代金はうどん二本分だから安かった。
 「並ソバ一杯、ハシ五人前ッ」
 というグループもいる。
一杯のソバを5人がかりでたいらげ、蜿々2時間も駄弁(だべ)ったあげく、ドタンバタンと相撲をはじめるのだから相当なサムライたちである。
 カフェー〝水谷〟のおかみは、五高生をわが子のようにかわいがった。
「試験ですバイ、どぎゃんいいなはっても、今夜は一杯も飲ませまっせんバイ」
「おのれ、ババア、飲ませろォ」
「ババアといわれようが、べっぴんしゃんといわれようが、今夜は飲ませまっせん。はよう戻って勉強しなはりまっせ!」
 こんな苦言を吐くからますます人気があがる。
 しかし、校長の禁酒令、水谷のおかみの苦言もどこ吹く風、五高生のなかには酒豪が多かった。
一升徳利を腰にぶら下げ、門前通りをのし歩く者。
肉屋の2階に56本も一合徳利を並べた二人組。
夜になると、こういう連中がさらに元気発らつとあばれ出すのである。
 うどん屋の屋台をひっぱってガラガラ走るのがいる。
ポストの上によじのぼって、
「バチカン宮殿の噴水たい」
しゃあしゃあと放水をはじめる者。
あまりのことに巡査が走ってくると、仲間がそれをさえぎって、
 「ちょっと、道ば教えて欲しいとですが……」
 「あん?どこば行くのかネ」
 「北海道ですたい」
 「なんじゃと? 北海道?」
 「北海道ばはじめて行くばってん、どうも道がややこしゅうて……」
 「北海道で行くにはじゃな……バカモン、君は本官を侮辱しとる!」 
 その間にバチカンの噴水はいずこへともなく姿を消してしまうのだった。
 大正11年卒・文甲の池田勇人も酒にかけては人後に落ちなかった。
そのかわり、数字にはことのほか弱かった。
街の屋台でごきげんになりながら、あるアイデアがひらめいた彼は、
 「おやじ、この屋台を一晩貸せよ」
とぶっきら棒にいった。
 「熊本じゅう引っぱって歩いて、うんともうけてやるゾ。その代わり、今夜の飲み代はタダだ」
 「池田サン、そげん無茶ばいいなはって……」
あわてるオヤジを尻目に、池田はゆうゆうと屋台を引っ張った。
 「オヤジ、あしたの晩、またここで会おう。行ってくるゾ」
 だが、屋台〝池田屋〟の成績は散々だった。
一晩じゅう市内を流して歩いたが、客は文無しの五高生ばかり。
みんなにタダ飲みされ、彼の〝高度成長政策〟はあえなく失敗、一夜にして倒産の憂き目を見たのだった。
(『ああ青春 デ・カン・ショ』ノーベル書房編集部編 昭和44年)
なお、旧制五高(現熊本大学)の卒業生に政治家では佐藤栄作、重光葵、劇作家の木下順二など、またラフカディオ・ハーン、夏目漱石などが教壇に立っておられます。

熊本大学五高記念館 五高の歴史
今朝の父の一枚です(^^)v
青空にぽっかり雲が浮かんでいます。
昨日は、曇り空でしたが、今朝は、ギラギラ日差しが照りつける中、木陰を探しながら歩きました。

土日も猛烈な暑さ」(えりの気象日記 8月28日)