2020年8月19日水曜日

木陰が涼しい

 

今朝は、あまり風が吹かなかったけど木陰に入るとホッとします。
退院後、初めは河川敷を自転車で行ってリハビリをしていました。
でも、河川敷には木陰がない…
少し遠いですが、こちらの公園で心臓リハビリをするようになりました。

坂本史衣さんのTwitterに予告があった記事

鍵は家庭の外にある 新型コロナの家庭内感染を防ぐには?【#コロナとどう暮らす】〟(Yahoo!ニュース)

・おさらい・・・新型コロナの感染経路を振り返る
・家庭内感染を防ぐのは…難しいかもしれない
・家庭の外での感染をどう防ぐか
・ウイルスを家庭に持ち込まないために
・仮にウイルスが付着していたとしても、そこから接触感染が起こるには、
・食料品から感染することはあるの?
・帰宅後はすぐに着替えてお風呂に入らなくてはだめ?
・犬や猫の感染予防はどうすればいいの?
・ジョギングや散歩中に感染することがあるの?
・家庭内に感染が疑われる人がいる場合
・終わりに

8月19日
 中等野球で明石(あかし)・中京(ちゅうきょう)の延長25回戦がたたかわれた。 1933(昭和8)年

 中等学校野球(いまの高校野球)大会第七日目のこの日は、日和(ひより)もよく、好組合せだったので、甲子園は大会以来の入りで超満員だった。
その中で、兵庫県代表明石中学と東海代表中京商業の準決勝試合は、すでに5時間あまりにわたっていた。
 中京の吉田、明石の中田両投手の好投に抑えられて両軍とも得点できず、延長につぐ延長で選手も観客も疲れきっていた。
25回の裏、中京はフォアボールとバント二つがセーフとなって、無死満塁という絶好のチャンスを迎えた。
このチャンスに次の打者はカーブを二塁前に打った。
二塁手の本塁送球が右にそれ、その間に中京の走者は頭から本塁へすべりこんだ。
サイレンが鳴りひびき、帽子や座ぶとんが乱れとんだ。
時計は6時5分を指していた。
観客は総立ちとなって、両軍に惜しみない拍手を送った。
(『カレンダー日本史 岩波ジュニア新書11』永原慶二編著 1979年)

(「戦時中のプロ野球」より)

(…略…)
 全国中等学校優勝野球大会、都市対抗野球大会、六大学野球リーグ戦などは、いずれも昭和17年までで、18年には文部省からのお達しで姿を消してしまった。
わずかに18年には、学徒出陣壮行早慶戦が、戸塚球場で行われているのみである。

(…略…)
※後楽園スタヂアム刊『後楽園の25年』(昭和38年10月15日)より
(『<エッセイ・おとなの時間>欲シガリマセン欲しがります 井上ひさし編』企画・丸谷才一/辻邦夫 新潮社 昭和61年)

敗戦後、1946年8月15日に全国中等学校野球大会が開催されました。
この時は、甲子園球場でなく大阪西宮球場で開催されました。

全国中等学校野球大会<夏のスポーツ>」(NHKアーカイブス 1946年)

毎年、高校野球の決勝戦が終わると涼しくなるなと思っていた…
去年は、8月22日だったけど…

石坂ミナ宛書簡」の続きを転記しますφ(..)
漢字は旧字体を新字体に変えていますが、読み間違えがあると思います。

興味のある方は、絶版になっているので図書館などでご覧ください。

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 明治十四年は生がアンビシヨンの病は遂に生の身を誤れり、其は明治十五年に至りて始めて純然たる病気の形をあらはしけり、
(『日本現代文學全集9 北村透谷集 附 文學界派』伊藤整他編 講談社 昭和55年)

 明治十四年は生が父母に携へられて東都に移つりし初年なり、生は東都に移り泰明学校と云ふ小学校に入りしが、此学校は聊か以て生の不平を慰めけり、今其概略を述べんに、同校の校長谷口と云へる人は、東京中にて第一等の教師と評判せらるゝ程の人にてありし、其人は生の淡泊なる性質を鍾愛し、最も親愛して生を教育せられけぢ、又た生は人の意表に出づる議論を好みて、文章を造るに愉快活発の気象をあらはしければ、卑屈コンモンなる数多の教師どもにははかに生を敬愛するに至りたり、従つて校中の評判、生の一身に集まり、生の最も得意とするアンビシヨンは此学校の生活には全く其功を奏したりと云ふ可し、

此年は国内政治思想の最も燃え盛りたる時なりければ、生も亦風潮に激発せられて、政治家たらんと目的を定むるに至り、奮つて自由の犠牲にもならんと思ひ起せり、従来のアンビシヨンは悉く此一点に集合し、畏るべき勢力を以て生の心を支配し始めたり、此年は多少、生をして愉快に其日を送らしむるを得たり、

或日飄然として家を出で、懐中には一銭の金をも持たずして東海道を徒歩し、鎌倉に遊びたり、抑も鎌倉は詩人に取りてのイタリーの如く、最も生の渇望して一見せんと欲するの土地なりし、何となれば其頃生の日常読む所は重に日本の歴史にして、其歴史中最も重要な事件は彼地に於いて演ぜられたればなり、又た或日は独り千葉地方に遊びたり、生は此時満十三年にも足らぬ少年なりしも、活発に之等の運動を試みけるは、実に生をして身を誤るの基たらしめたり、何となれば生は既に自ら謂らく、斯くの如く活発に生活は過ぎ行く可しと、何ぞ知らん未だ一歳をも経ざる内、生の一身は全くアンハツピイの占領する所とならんとは、

 同十四年の十二月小学校の家庭を終りて、卒業の式を挙げたり、生は是より先き青年社会にありて演説の稽古をなし居りければ、少しは其心得もあるものから、演台に上りて一演説を試みたる所、意外の好評にて、其座にありし「明治日報」記者の如きは其雑報欄内に、生を称して奇童なりと云へり、

 同十五年は生をして殆んど困死せしむべき程の一年なり、之等アンハツピイの第一着は、我が極めて親愛せる善良の教師谷口氏の去て北海道に行ける事之れなり、其第二着は、生が新たに入学したる岡千仭の私塾は実に生をして不愉快に耐へざらしめたり、其第三は、曾て熱心に尽力したる青年党の面々散り散りに分離したる事等なり、其第四は、政府の挙動漸くをかしくなりてこの神経質の少年をして憤慨に耐えざらしむる事少なからず、其第五は、生よりも一層甚だしき神経家なる我家の女将軍は生が活発に粗暴を交へて動作するをいたく嫌ひて、種々の軍略を以て生を圧伏せんと企てたり、

 右等の仇敵は交(こもご)も生の心中を悩乱せしめたれば、爰に全く活発なる天性をそこねて、穏着沈黙なる肉落ち骨枯れたる一少年とこそなりにけり、従つて又怯弱なる畏懼心をかもし、年来腹裡に蓄へたるアンビシヨンをして徒らにそれをのゝく事を知らしむるに至れり、アンビシヨン果して成すに足らざるか、生が生活は何に寄りて過ごさん、何を目的として世を送らんか、などゝ考へれば考へる程心を病まし、気を痛め、終日臥床にありて涙と共に一二月を過ごし何時癒ゆべしとも思はれざりし、此に至りて生が父は何の原因より起りし病とは知らねども気鬱病とは知るものから、生を放つて地方に旅行せしめたり、此は是れ生が旅行の嚆矢にして、爾後重もに旅行を以て気鬱を慰むるの機具となしたるも、端緒を此に開きしなり、

 其年五月、生は本郷なる共慣義塾と云ふに入塾せしが、是れまた生をして不愉快を感ぜしむる者の一たりし、

 翌十六年三月、生は早稲田なる東京専門学校に入塾したり、生は常に学問の仕方は自ら脩め自ら窮むる禅宗臭い説を持ち居けり、左れば学校に在りても教科書をしらべんよりは数多の書史に渉猟すること面白しと、日々書籍室に入りて漸く鬱を慰め居けり、

 翌十七年は生をして一度び怯懦なる畏懼心を脱却して、再びアンビシヨンの少年火を燃え盛らしむるの歳にてありし、此時のアンビシヨンは前日の其れとは全く別物にして、名利を貪らんとするのの念慮は全く消え、憐む可き東洋の衰運を恢復す可き一個の大政治家となりて、己れの一身を苦しめ、万民の為めに大に計る所あらんと熱心に企て起しけり、己れの身を宗教上のキリストの如くに政治上に尽力せんと望めり、此目的を成し遂げんには一個の大哲学家となりて、欧州に流行する優勝劣敗の新哲派を破砕す可しと考へたり、其考へは実に殆んど一年の長き、一分時間も生の脳中を離れざりし、嗚呼何者の狂痴ぞ、斯かる妄想を斯かる長き月日の間、包有する者あらんや、

 翌明治十八年に入りて生は全く失望落胆し、遂に脳病の為めに大に困難するに至れり、然れども少しく元気を恢復するに至りて生は従来の妄想の非なるを悟り、爰に小説家たらんとの望を起しけり、然れども未だ美術家たらんとは企てざりし、希くは仏のヒユーゴ其人の如く、政治上の運動を繊々たる筆の力を以て支配せんと望みけり、此年、生は各地に旅行し、風景の賞味家となれり、又た種々の人間に交際して人情の研究家となれり、

 此年の暮、生は全くアンビシヨンの梯子より落ちて、是より気楽なる生活を得たり、

 以上縷述し来りたる生の経歴と性質とは、以て生をして自ら小説家たるを得んと自負せしむるに足る者なり、嗚呼此自負は即ち今ま、生を苦しむる事一方ならざるくせ者にこそ、

 生は既に自ら生活を営む可き身にてあり、鋭敏に商政を計るべき一個の無間暇男児なり、汝をして小説家となるべき企図を抱しめんか、汝は一椀の飯をも得る能はざるべし、然れども汝の胸中にある小説家とならんと云ふ望みは、遂に奪ふ可からざる者なり、

 嗚呼、此は是れ当今、生の暇多き生活にともなひける一種の病気なるべし、生の身は須らく繁忙なる事業に従はしむべし、是れ則ち此度、生が断然志を決して神戸地方に遊ばんとする所以なり、

 我親愛なる石坂嬢よ、斯くまで苦しき生が心根を察して玉へ、若し友の情あらば、

 然れども此病ひは一時のみ、生が去つて彼地に着せしを報ずる時あらば、再び光りかゞやくあさ日の下に、幸福なる月日を過ごすと知り玉へ。
(『日本現代文學全集9 北村透谷集 附 文學界派』伊藤整他編 講談社 昭和55年)

今朝の父の一枚です(^^)v
雨が降らない日が続いていて地面がカラカラです。
風車の丘では、散水が行なわれていました。
高齢者の熱中症のニュースが目につきますが、
今週から新学期が始まっている子どもたちはどうなのか?
今年の6年生は、水泳指導や運動会も修学旅行もない。
思い出がコロナのことだけになるのかな?

「暑さで休校にならないの?」調べてみた〟(NHK)