「源氏物語 朝顔」の巻の最後に
(光源氏)阿弥陀佛を心にかけて,[藤壺の極楽往生を]念じたてまつり給ふ。
[藤壺と]「おなじ蓮(はちす)に」とこそは,
(光源氏) なき人を慕(した)ふ心にまかせても影みぬ水(みづ)の瀬(せ)にやまどはん
と思(おぼ)すぞ,憂(う)かりけるとや。
(『源氏物語(二)』山岸徳平校注 岩波文庫 1965年)
大塚ひかりさんの <ひかりナビ>(解説)には
藤壺への源氏の思いは切ないまでに強く,あの世で藤壺が受ける責め苦を代わって受けたいとまで思い,〝おなじ蓮(はちす)に〟と願います。
夫婦は極楽浄土で同じ蓮の花の上に生れ変わるから。
先に死んだ者はあとからくる伴侶のために蓮の座を半分あけておくのです。
けれど源氏は藤壺とは夫婦ではないのですから,その願いの叶うはずもありません。
だからこそ直後の歌では「あの人の姿も見えない三途の川で惑うのか」と絶望するのです。
(『源氏物語 第二巻 花散里〜少女』大塚ひかり翻訳 ちくま文庫 2008年)
今朝もカマキリが稲を守っていますp(^-^)q
コバネイナゴなどの害虫が多く,カマキリは劣勢ですが…
シオカラトンボも稲を守ってくれますp(^-^)q
ヤマトシジミは,害虫と戦わずに高みの見物(^v^)
アブラゼミ
スイレン
チョウトンボ
フヨウ
(光源氏)阿弥陀佛を心にかけて,[藤壺の極楽往生を]念じたてまつり給ふ。
[藤壺と]「おなじ蓮(はちす)に」とこそは,
(光源氏) なき人を慕(した)ふ心にまかせても影みぬ水(みづ)の瀬(せ)にやまどはん
と思(おぼ)すぞ,憂(う)かりけるとや。
(『源氏物語(二)』山岸徳平校注 岩波文庫 1965年)
大塚ひかりさんの <ひかりナビ>(解説)には
藤壺への源氏の思いは切ないまでに強く,あの世で藤壺が受ける責め苦を代わって受けたいとまで思い,〝おなじ蓮(はちす)に〟と願います。
夫婦は極楽浄土で同じ蓮の花の上に生れ変わるから。
先に死んだ者はあとからくる伴侶のために蓮の座を半分あけておくのです。
けれど源氏は藤壺とは夫婦ではないのですから,その願いの叶うはずもありません。
だからこそ直後の歌では「あの人の姿も見えない三途の川で惑うのか」と絶望するのです。
(『源氏物語 第二巻 花散里〜少女』大塚ひかり翻訳 ちくま文庫 2008年)
今朝もカマキリが稲を守っていますp(^-^)q
コバネイナゴなどの害虫が多く,カマキリは劣勢ですが…
シオカラトンボも稲を守ってくれますp(^-^)q
ヤマトシジミは,害虫と戦わずに高みの見物(^v^)
アブラゼミ
スイレン
チョウトンボ
フヨウ
シダレエンジュ
ヒオウギ
朝早くから「樹液酒場」に…
「じゅえきに集まる昆虫たち」(小学3年)
ゴマダラチョウ
「大きな鎌で百発必中 カマキリ」(小学3年)
ものおじしません(^_-)
ショウジョウトンボ
公園で出会う人と「セミの元気さに負けてられませんね…」と話をしましたが…
やはりあの元気さには負けてしまう…
よく見かけるウチワヤンマに比べると小さいな…
サナエトンボの仲間だと思うのですが…
ヤマサナエかな(・・?
子ども等(ら)よ昼皃(ひるがほ)咲キぬ瓜(うり)むかん
淡紅色の昼顔が咲き,蒸し暑い日盛りとなった。
子どもらよ,寄っといで。
冷やしてある真桑瓜(まくわうり)を剝いて食べるのに,よい時分だよ。
(『袖珍版 芭蕉全句』堀信夫監修 小学館 2004年)
ヒオウギ
朝早くから「樹液酒場」に…
「じゅえきに集まる昆虫たち」(小学3年)
ゴマダラチョウ
「大きな鎌で百発必中 カマキリ」(小学3年)
ものおじしません(^_-)
ショウジョウトンボ
公園で出会う人と「セミの元気さに負けてられませんね…」と話をしましたが…
やはりあの元気さには負けてしまう…
よく見かけるウチワヤンマに比べると小さいな…
サナエトンボの仲間だと思うのですが…
ヤマサナエかな(・・?
子ども等(ら)よ昼皃(ひるがほ)咲キぬ瓜(うり)むかん
淡紅色の昼顔が咲き,蒸し暑い日盛りとなった。
子どもらよ,寄っといで。
冷やしてある真桑瓜(まくわうり)を剝いて食べるのに,よい時分だよ。
(『袖珍版 芭蕉全句』堀信夫監修 小学館 2004年)
昔から夏バテにはウリ科の食べ物がいいと知られていたのですねp(^-^)q
「真桑瓜はかってはスイカと並ぶ夏の水菓子としてよく食されて」いたそうです(*^O^*)/