3289
み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の 行(ゆ)くへなみ
我(あ)がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝(い)ねそと 母聞(き)こせども
我が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我は忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに
反歌
3290
古(いにしへ)の神の時より逢ひけらし今の心も常(つね)忘らえず
み佩(は)かしを 剣(つるぎ)の池の 蓮葉(はちすば)に 溜(た)まれる水の 行(ゆ)くへなみ
我(あ)がする時に 逢ふべしと 逢ひたる君を な寝(い)ねそと 母聞(き)こせども
我が心 清隅(きよすみ)の池の 池の底 我は忘れじ 直(ただ)に逢ふまでに
反歌
3290
古(いにしへ)の神の時より逢ひけらし今の心も常(つね)忘らえず
3289 (み佩かしを)剣の池の蓮の上に溜まっている水のように,
行く方もなく私が思い悩んでいた時に,ぜふ逢おうと言って逢ってくれたあなたのことを,
共寝してはいけないと母はおっしゃるけれども,
(我が心)清隅の池の,池の底のように深く私は忘れまい。じかにお逢いするまでは。
▽母親に結婚を反対された男を思う歌。「み佩かしを」は,刀剣の敬語の「みはかし」の意で「剣」の枕詞。
「剣池」は応神天皇11年に作られたという「剣池」であろう。
舒明天皇7年(635)7月に「瑞蓮,剣池に生ひたり」(日本書紀)と見える。
第五句の「行くへなみ」は,蓮葉の上に溜まった水を譬喩として恋のよるべなきことを言う。
第十句の「母聞こせども」の「聞こす」は「言う」の敬語。
3290 遠い神代の時から男と女は逢ってきたらしい。今の世の私の心にもずっと忘れられない。
▽長歌の結びの「我は忘れじ直に逢はめに」を承ける。
君を思い続ける我が心も,神代から変わらぬ男女の恋の一つと思い知ったのである。
(『万葉集(四)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2014年)
ジュズダマにもシオカラトンボが止まっています(^v^)
ショウジョウトンボ
ウメモドキの実が赤くなりました。
時おり涼しい風が吹いてくれました(*^_^*)
カンナがお気に入りのオンブバッタ(^v^)
イチモンジセセリ
マルバツユクサは余裕の感じですが…
下のツユクサは重たそうです(^v^)
エゾミソハギもクマバチの重さに悲鳴を上げていたようですよ(^v^)
スイレンも少なくなりました…
ミミカケは眠そうでした(^v^)
水を飲むのかなと近づくと…飛んで行った
今度は日向ぼっこ…
コムラサキ♀
ツマグロヒョウモン♀
アゲハ
青空は今日までかな(・・?
行く方もなく私が思い悩んでいた時に,ぜふ逢おうと言って逢ってくれたあなたのことを,
共寝してはいけないと母はおっしゃるけれども,
(我が心)清隅の池の,池の底のように深く私は忘れまい。じかにお逢いするまでは。
▽母親に結婚を反対された男を思う歌。「み佩かしを」は,刀剣の敬語の「みはかし」の意で「剣」の枕詞。
「剣池」は応神天皇11年に作られたという「剣池」であろう。
舒明天皇7年(635)7月に「瑞蓮,剣池に生ひたり」(日本書紀)と見える。
第五句の「行くへなみ」は,蓮葉の上に溜まった水を譬喩として恋のよるべなきことを言う。
第十句の「母聞こせども」の「聞こす」は「言う」の敬語。
3290 遠い神代の時から男と女は逢ってきたらしい。今の世の私の心にもずっと忘れられない。
▽長歌の結びの「我は忘れじ直に逢はめに」を承ける。
君を思い続ける我が心も,神代から変わらぬ男女の恋の一つと思い知ったのである。
(『万葉集(四)』佐竹昭広他校注 岩波文庫 2014年)
ジュズダマにもシオカラトンボが止まっています(^v^)
ショウジョウトンボ
ウメモドキの実が赤くなりました。
時おり涼しい風が吹いてくれました(*^_^*)
カンナがお気に入りのオンブバッタ(^v^)
イチモンジセセリ
マルバツユクサは余裕の感じですが…
下のツユクサは重たそうです(^v^)
エゾミソハギもクマバチの重さに悲鳴を上げていたようですよ(^v^)
スイレンも少なくなりました…
ミミカケは眠そうでした(^v^)
水を飲むのかなと近づくと…飛んで行った
今度は日向ぼっこ…
コムラサキ♀
ツマグロヒョウモン♀
アゲハ
青空は今日までかな(・・?