2026年10月19日月曜日

天気は下り坂

公園では、ツワブキの花が咲いていました。
今朝の天気予報では、天気は下り坂で、傘を忘れないようにと言っていました。
歩きはじめは、青空が見えていましたが、次第に雲が増えてきて蒸し暑かったです(^_^;
そして夕方に買物に出かけると雨が降り出しました。
先日、清閑寺を訪ねたのは、小督のゆかりの地を訪ねたいと思ったからです。
小督について転記しますφ(.. )

 高倉天皇(たかくらてんのう)との愛を貫いた琴が巧みな女人
  小督(こごう)

 平清盛の怒りにふれて嵯峨に隠れ住んだ美貌の女官

 嵐山にある渡月橋のほど近くに、小督塚とされる小さな五輪塔がある。
小督の悲恋物語は『平家物語』のなかに描かれる女人の話として最も素晴らしいといわれている。
 小督は桜を愛したことから「桜町中納言(さくらまちのちゅうなごん)」と呼ばれた藤原成範(ふじわらのしげのり)の娘に生まれた。
宮中一の美女の誉(ほま)れ高く、また卓越した琴の名手でもあったという。
彼女は、高倉天皇の中宮・徳子(とくこ<建礼門院(けんれいもんいん)>)に仕える女官であったが、やがて高倉天皇に愛されるようになる。
しかし、それまでは清盛の長女の婿である冷泉大納言(れいぜいだいなごん)・隆房(たかふさ)と恋人関係でもあったのだ。
二人の高貴な男性から思いを寄せられるほど、小督の美貌は飛び抜けていた。
(『京を彩った女たち』川端洋之文、中田昭写真 学研グラフィックブックス 2004年)
 だが、このことを知った清盛は怒りに震えた。
婿二人を女官ごときに取られてなるかと、小督を宮中から追放しようとした。
小督が高倉天皇の子を産むと、自らの外戚(がいせき)の地位が危うくなることを清盛が恐れたからでもあった。
自分の身はともかくも天皇に迷惑が及んではと、小督は嵯峨の奥深く隠れてしまった。
 愛する小督を失った高倉天皇は深く悲しみ、月を見る度に琴を奏で美しい調べを聴かせてくれた彼女のことを思い出していた。
中秋の名月も近い八月のある夜、ついに天皇は側近の笛の名手・源仲国(みなもとのなかくに)を呼び、行方を探させることにした。
 仲国は命令を受けて宮中を出たものの、さて嵯峨野といっても広い。
清涼寺(せいりょうじ)あたりを隈なく探し回ったが、どこにもそのような女官の姿は見当たらない。
どうしたものかと、嵯峨野から嵐山へと訪ね歩いているうちに仲国は、小督の姿を法輪寺(ほうりんじ)で見かけたという噂を聞きつけたのだ。
 小督の琴と仲国の笛、美しい調べが流れる月明かりの嵐山

 それ急げとばかりに、仲国は嵐山の渡月橋へ月明かりのなか馬を進める。
しばらくすると、「峰の嵐か松風か、たづぬる人のことの音か」、松林のなかからかすかな琴の音が聞こえてくるではないか、馬から下りてあたりを探すと、小さな庵のなかからまぎれなく琴の調べが聞こえる。
しかも、弾いているのが雅楽(ががく)の名曲「想夫恋(そうふれん)」、それほどに天皇の慕っているのかと、仲国は小督の優しさに感動しつつ庵を訪ねたのであった。
そして、天皇に迷惑がかかることを恐れる小督を説き伏せて、都へ連れ戻したのである。
 宮中に戻ってからの小督には、人目を避けて天皇としのび逢う日々が待っていた。
そして治承(じしょう)元(1177)年11月、徳子より先に小督に子が産まれたのである。
後に坊門院範子(ぼうもんいんのりこ)と呼ばれた範子内親王であった。
 それを聞きつけた清盛の怒りはすさまじく、「二度と宮中に戻れなくしてやる」と、今度は小督を無理やり尼にして追放したのだった。
墨染めの衣をまとった小督は、はじめ嵯峨野に隠れ、その後、東山清閑寺(せいかんじ)に籠もって死去したと伝えられている。
 車が行き交う国道一号線(五条通)から少し北へ東山の山襞(やまひだ)に分け入ると、喧噪(けんそう)が遠のいて山気が漂う一角に出る。
正面に山稜へと石段が導き、六条天皇と高倉天皇の陵墓(りょうぼ)がある。
陵の右になだらかな石段が続く。
登り詰めると清閑寺のささやかな境内で、風雅な本堂と鐘楼(しょうろう)などの伽藍(がらん)はその名にふさわしく清らかで閑寂な気配に包まれている。
大きな楓(かえで)の樹の下に宝篋印塔(ほうきょういんとう)が二基建っている。
向かって左が小督の供養塔といわれているものだ。
楓を愛したという高倉天皇にふさわしく、ここは紅葉(もみじ)に彩られた古寺である。
 一説には小督は嵐山大堰川(おおいがわ)に身を投じて死んだとも伝える。
小督が度々参詣に訪れたという法輪寺の裏山に、小督の墓と伝える石塔がうっそうとした木立に包まれてあった。
(『京を彩った女たち』川端洋之文、中田昭写真 学研グラフィックブックス 2004年)

「平家物語の音楽その1 ─平安・鎌倉時代の雅楽はこんな曲!? ─」(京都市立芸術大学 日本伝統音楽研究センター)
今朝の父の一枚です(^^)/
逆光になっていて分からないのですが
私が出会ったコサメビタキの仲間のようなのですが…
(「コサメビタキ・エゾビタキ・サメビタキの識別」 大阪南港野鳥園)

 サメビタキ(鮫鶲) 全長:14cm
 頭部から背面が鮫色のヒタキだから「鮫鶲」。
 鮫の皮は昔は刀の柄
(つか)などに使われ、人々によく知られていた。

 サメビタキの漢字表記は鮫鶲。
すなわち「鮫色の鶲(ヒタキ)」。
「鮫色」とは、昔、ざらざらした鮫皮を干して、刀の柄などに用いた、その皮の色。
今では色名としてほとんど使われない。
「鈍色(にびいろ)」に近い、暗い灰色。
頭部から上背面の羽色がこの色なのでサメビタキの名である。
 サメビタキは夏鳥として本州中部以北、北海道の平地から山地の林で繁殖する。
 コサメビタキ(全長13cm)はサメビタキより少し小さいので、この名である。
頭から背面の羽色はサメビタキより淡い灰色。
夏鳥として渡来し、やはり林地で繁殖する。
九州から北海道まで、サメビタキより低地で繁殖している。
 エゾビタキ(全長15cm)は沿海州からアムール川河口域、カムチャッカ半島などで局地的に繁殖。
それで名に「蝦夷」がつく。
日本では主に秋にみられる旅鳥。
 これら3種はヒタキ科の小鳥で、羽色も体型も似ている。
 サメビタキ属Muscicapaは、ラテン語musca、すなわち英語のfly(飛ぶ虫)、capera(捕える)からなる。
総称英名はFlycatcher、「飛ぶ虫を捕食する鳥」。
(『野鳥の名前 名前の由来と語源』安部直哉文、叶内拓哉写真 ヤマケイ文庫 2019年)