引導とは、釈尊が「生者必滅 会者定離(命あるものは必ず死に 出会った者は必ず別れる)」の人生無常の迷いの世界より、人々を究極の悟りの世界へと導かれることを指し、転法輪石、伊勢神宮遥拝石、熊野権現礼拝石、とあわせて四天王寺四石の一つに数えられている。
古記録によると、諸人葬送の時に棺を引導石の前に置き、無常院(北引導鐘堂)の鐘を三度鳴らすと、お太子様がこの石に影向ありて亡魂を極楽浄土の世界にお導きくださるという伝説があり、太子信仰と浄土信仰を結ぶ重要な霊跡となっている。法要に参列する前に祖父母と義弟の眠るお墓と母の眠る墓をお参りしました。今日は、青空が眩しいほどでした太子殿の猫の門に「眠り猫」(空襲で焼けて2代目)。
(「四天王寺」岐阜女子大学デジタルアーカイブ研究所)
「ネムリネコ
左甚五郎は大阪天王寺にある牡の眠り猫と日光東照宮の牝の眠り猫、2つだけを作ったといわれている……」(怪異・妖怪伝承データベース 国際日本文化研究センター)
目をパチリ開けていますが、郷土玩具もあるそうです(^_-)
【猫の門の猫🐈】 (大阪歴史博物館 2025年3月13日)
日光東照宮の「眠り猫」(社殿の概要)は、国宝です。
『講談えほん 眠り猫』も出ています。
石清水八幡宮の「目貫(めぬき)の猿」も左甚五郎の作だと伝わっています(「境内のご案内」石清水八幡宮)。 亀井堂
亀井堂は戦火で焼失後、昭和30 年に再建されました。亀井堂の霊水は金堂の地下より、湧きいずる白石玉出の水であり、 回向(供養)を済ませた経木を流せば極楽往生が叶うといわれています。
東西桁行は四間あり、西側を亀井の間と読んでいます。東側は影向の間と呼ばれ、左右に馬頭観音と地蔵菩薩があります。中央には、その昔聖徳太子が井戸にお姿を映され、楊枝で自画像を描かれたという楊枝の御影が安置されています。
(「境内のご案内(境内)」)8月は盂蘭盆会(永代祠堂施餓鬼法要)でお参りしました。
2章 身近な「年中行事」に秘められたミステリーとは
施餓鬼――餓鬼に呪われた弟子を、ブッタはいかに救ったか
「施餓鬼」は、仏教寺院で行われる餓鬼や精霊たちのための供養法会(ほうえ)である。
死者に対して加持祈祷(かじきとう)を行いながら食べ物を施すことから、「大施餓鬼」とか「施食会」とも呼ばれている。
(『知れば恐ろしい 日本人の風習』千葉公慈 河出書房新社 2016年) 餓鬼とは梵語(ぼんご)「プレータ」のことで、仏教の教えるによると、生前に強欲で悪行をはたらいた者は死後に餓鬼道に落ち、常に飢えと喉の渇きに苦しむ鬼に生まれ変わると説く。
盂蘭盆会の起源となった仏弟子モッガラーナの母も餓鬼道に落ちたことは、前項で述べた。
そのためであろうか、夏のお盆供養と一緒に行なう場合が多いのだが、本来は季節に関係のないしきたりである。 施餓鬼の由来は『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼(くばつえんくがきだらに)経』という古いインドの経である。
8世紀に不空という僧が漢訳し、日本には延暦25年(806)に空海が漢訳の経典を与えた。
ムカーグニジュヴァーラ(口から火焔を吹き出すもの、焔口)という、鬼を救うための陀羅尼が多く示される不思議な経典は、次のような話が伝えられる。 …中略…
(例えば、妙心寺の「施餓鬼の経典―訳注『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経』『仏説救面然餓鬼陀羅尼神呪経』―教学研究委員会編」を参照してください)
実在の人物アーナンダは、こうしてその後もブッダに長く仕え、ブッダの臨終にも立ち会った。
さらには多聞第一の称号どおりに活躍し、ブッダに死後には経典編纂(へんさん)に加わり、仏教発展に多大な貢献をなすことになる。
ところで、飢えた亡者の餓鬼は、地面から這い上がってくる地縛霊といわれるため、なるべく食事は低い場所に供えるのが習わしである。
実際、千葉県の南部では、ハスの葉などにのせて庭先の地面にじかに置く。
お盆の時季には、お仏壇とは別に一段低い棚を設け、できるだけ喉の通りがよく、水気の多い食事の供養をするのも施餓鬼の一種である。
兵庫県篠山(ささやま)市近辺では「餓鬼さんの喉が渇いているから……」といいながら、雨だれのところに糸を引くようにお茶を流すというし、佐賀県の神埼市では柿の葉などにお供えをし、餓鬼の食事は手づかみだから箸は添えないと伝える。
また、餓鬼は地中がすみかのため、明るさが苦手で光を怖がるという。実在の人物アーナンダは、こうしてその後もブッダに長く仕え、ブッダの臨終にも立ち会った。
さらには多聞第一の称号どおりに活躍し、ブッダに死後には経典編纂(へんさん)に加わり、仏教発展に多大な貢献をなすことになる。
ところで、飢えた亡者の餓鬼は、地面から這い上がってくる地縛霊といわれるため、なるべく食事は低い場所に供えるのが習わしである。
実際、千葉県の南部では、ハスの葉などにのせて庭先の地面にじかに置く。
お盆の時季には、お仏壇とは別に一段低い棚を設け、できるだけ喉の通りがよく、水気の多い食事の供養をするのも施餓鬼の一種である。
兵庫県篠山(ささやま)市近辺では「餓鬼さんの喉が渇いているから……」といいながら、雨だれのところに糸を引くようにお茶を流すというし、佐賀県の神埼市では柿の葉などにお供えをし、餓鬼の食事は手づかみだから箸は添えないと伝える。
そこで、昔は真夜中に施餓鬼法要を行ない、元来は、施餓鬼棚や供養の場所にロウソクの灯りつけないものである。
その代わりにホオズキを灯明代わりに供えて、霊界からの導きとした。
なるほど、ホオズキなら灯明(とうみょう)の形をしており、しかも明るくない。
ホオズキを「鬼灯」と表記するのもここからきているのだ。
(『知れば恐ろしい 日本人の風習』千葉公慈 河出書房新社 2016年)あったよなと探していたのですが、露店で隠れていました。
短声堂引声堂跡
元和三年(1617)に鳥羽法皇による御誓願のもと、石鳥居と極楽門の間に「短声堂」「引声堂」があった。平安時代には念仏三昧院、念仏堂とも呼称されていた堂宇で、法然上人二十五霊場の札所としてあつかわれる(霊場会からの団体参拝の際は阿弥陀堂にて勤行)。
これが昭和20年の戦災で焼失し、現在は堂前入口の跡のみ残る。
(「境内のご案内(境内)」) 子育地蔵
子安地蔵とも呼ばれ、子授け、安産、育児などが祈願される。
一般の地蔵を祈願、利益の面から呼ぶ場合と、子供を抱く地蔵をいう場合がある。
特に経軌(きょうき)に説かれたわけでなく、巷間信仰されている『西院河原地蔵和讃』などのイメージにより、育児の精神的なよりどころとして信仰が深まっていったと思われる。
石仏の場合は、子供を抱く形像のうち、両手で抱くもの、右手に錫杖、左手に子供を抱くものなどがある。
また、数人の幼児が地蔵の足元にまとわりつく、賽の河原の図を模したものもみられる。
(『石仏調査ハンドブック 新装版』庚申懇話会編著 雄山閣 平成5年)
経軌「声明 用語事典 (き)」(日本芸術文化振興会)
『西院河原地蔵和讃』(国立国会図書館)方向音痴のσ(^^;)、道を一つ行き過ぎたみたい
「銅座公園」に出てしまいました…道に迷ってウロウロしていると西川家長屋(登録有形文化財 第27-0573号)に出会いました。
明治時代の建物が残っていた(°0°)
空襲をまぬがれたんだ!
〝修景事例紹介 「西川家長屋」〟(大阪市)眠っていた猫をカメラのシャッター音で起こしてしまった(^^ゞ
竜蔵寺町(りゅうぞうじまち) (現)東区竜造寺町
武家屋敷地を挟んで鈴木(すずき)町の南に東西に延びる両側町。
山城伏見(ふしみ)から移った町で(初発言上候帳面写)、町名は明暦元年(1655)の大坂三郷町絵図にみえる。
豊臣時代の竜造寺政家の屋敷跡であることにちなむという(摂津名所図会大成)。
大坂三郷南組に属し、元禄13年(1700)の三郷水帳寄帳では屋敷数49・役数48半役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。
文政版「商人買物独案内」に生晒蠟仲買一が載る。
享保の飢饉の際の施行人は町年寄天王寺屋三郎兵衛など37名(仁風一覧)、天保の飢饉では1名(天保仁風便覧)。
和宗小谷山宝泉(ほうせん)寺がある。
当町は明治5年(1872)以後表記が竜造寺町となった。
(『大阪府の地名』直木孝次郎、森杉夫編 平凡社 1986年)
1989年(平成元年)2月13日に南区と統合されて中央区となりました(中央区の概要)。
Vol.83 「高低差」を知れば天王寺が見えてくる。~龍造寺町編~(地域共創会議)
訪ねたいと思っていたのが宝泉寺
先ほど四天王寺で「短声堂引声堂跡」を見たのですが
「木造月益・日益・玉照尼坐像 3 軀」(大阪市指定文化財 令和3年度)に
「四天王寺の引声堂(いんぜいどう)の南に結んだ草堂が端緒」
と紹介されていて
「四天王寺の信仰圏で、女性と関連する信仰が重視されていたことを示す貴重な史料である」
と書かれていたので訪ねたのですが、
開山堂は閉じられていたので坐像を拝めませんでした。「出世地蔵尊」(左)
第二章 お地蔵さんの民俗
1.お地蔵さんのおすがた
錫杖を持つお地蔵さん
お地蔵さんほど多様な像容の仏さまは、ほかにおられまい。
ただ、そういったなかでも、代表的なスタイルがいくつかある。
宝珠(ほうじゅ)地蔵というのは、宝珠を戴くスタイルである。
宝珠を手になさるのは、仏の御印(みしるし)である。
子育て地蔵の像容には子供を抱くのがある。
こちらの方は、お地蔵さんが子供の守り仏であるのを図像として表現したものである。
延命地蔵は片脚を垂れて半跏の姿勢でおられる。
最もポピュラーなスタイルのお地蔵さんは、右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠を持つ像容であろう。
錫杖は、元来、修行者の持ち物のひとつであった。
インドにおいては、そのジャラジャラという音で虫獣を追い払い、また門先で来意を告げるものであったらしい。
…後略…
(『大阪のお地蔵さん』田野登 渓水社 1994年)
眠れる獅子かな?
1魔除け・厄払いのさまざま
悪霊と火災を防ぐのはこんな顔
獅子
獅子は、架空の動物です。
大きな目、むきだしの牙、金色の歯、赤や黒、金色などに塗り分けられた顔など、恐ろしい形相をしています。
それは、獅子が多くの獣の王者であり、破邪(はじゃ)の霊獣と考えられていたからです。
そして、こうした恐ろしげな獅子を飾れば、邪霊も寄りつけず、厄災を防ぎ、福徳を招く、と信じられてきたのです。
ですから、古くは、武士の兜の頂辺(てへん)や真向(まこう)に獅子頭(ししがしら)をつけて威容を誇ったりしました。
現在、獅子といってもまず浮かぶのは正月の獅子舞でしょう。
昨今は、あまり見られなくなってしまいましたが、かつて、家々を巡る獅子舞の姿は、正月の風物詩でした。
獅子舞は、家の悪霊を払って、幸せな年にしてくれる、と信じられてきたのです。
ですから、獅子舞がやってくるとえんぎがよい、と喜ばれました。
(『開運!えんぎ読本 自己癒しの文化再発見』神崎宣武編著 チクマ秀版社 平成12年)
神社や寺院の入り口に、獅子に似た一対の像が置かれています。
これは高麗(こま<朝鮮>)から渡来したので「狛犬」といわれますが、このうち左の口を開いた方が獅子である、といいます。
いうまでもなく、狛犬は、神の領域への悪霊や邪霊が侵入するのを防ぐために置かれた魔除けです。
沖縄では、屋根の上に「シーサー」と呼ばれる獅子を飾っていますが、これも外部から侵入する悪霊を除け、火災を防ぐため、といわれます。
シーサーには、焼きものと漆喰(しっくい)でつくったものがあります。
石川県の代表的な民芸品に「加賀の獅子頭」があります。
これも、災厄を除き、福徳を招くえんぎものとして、観光客に人気の高い商品です。
(『開運!えんぎ読本 自己癒しの文化再発見』神崎宣武編著 チクマ秀版社 平成12年) PART6 宝船と七福神
◎福神その七 布袋尊
実在した中国の禅僧は、笑顔を絶やさない
布袋尊(ほていそん)は布袋和尚(おしょう)とも言われ、800年代ごろの中国の禅僧がモデルとされる珍しい神様です。
本名は契此(かいし)と言いました。
和尚が亡くなったあと、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の生まれ変わりとされたことから、神格化されました。
当初は中国の信仰にならって、弥勒菩薩の姿で祀られていましたが、次第に今のように人間味を感じる姿になりました。
大きなおなかと屈託のない笑顔、手に持った袋が目印です。
実際にどんな人物だったのかは不明ですが、大きな袋をかついであちこちを旅して歩いていたことから、「布袋和尚」と呼ばれるようになったとか。
どんなときも笑顔を絶やさず人々に優しく接し、大きな袋に宝物をたくさん入れていて、信仰のあつい人に分け与えたということです。
笑門来福、夫婦円満、子宝の神として多くの参拝客に親しまれています。
(『開運! 神秘のちから 縁起物』講師島村恭則 NHK出版 2024年)お昼は、淀川を眺めながら「なにわポークの生姜焼き」セットをいただきました。
おばんざいやサラダはビュッフェ形式なのでついつい取りすぎたかな?(^^ゞ読んでいる本『観音さま』(鎌田茂雄 講談社学術文庫)の上に乗っている薬については、後日、書きます。あまり無理しないようにと思いながら歩いたのですが、道に迷ってしまったので1万歩を超えてしまった(^^ゞ
「京ごはんと鉄板焼き 京月 天満橋店」
パソコンを「Give&Given」にお願いしていました。
時々、BIOSのアップデートが表示されるのですが、手順を見ても???
また、オフィス2021がこの10月でサポート切れになるのだけど、現役でないので2024をインストールしてもらいました。
私は、クレジットカードを使って買物をしたことがないので
現金払いでお願いしました(^^ゞ


























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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m