雲がないので、なおさら日ざしが刺さってきます…
駐車場に戻ってスマホを見ると「府全域 津波情報」メールが届いていました。
「ロシア カムチャッカ半島付近でM8.7 3~4mの津波観測」(NHK) 第6章 日本列島で地震と津波に備える
●大津波警報・津波警報・津波注意報
大津波警報・津波警報・津波注意報は、地震が引き起こす津波について気象庁が発表する情報です。
2013年から新しい津波警報の運用が開始されました(表6-1「津波警報が変わります」より:省略)。
大津波警報・津波警報・津波注意報という3つの情報ですが、簡単に言うと次のような場合に発表されます・
大津波警報は、住家の全壊がみられるなど甚大(じんだい)な災害となるおそれがある場合です。
(『地震はなぜ起きる?』鎌田浩毅 岩波ジュニアスタートブックス 2021年)
2番目の津波警報は、陸上の川などをかけあがる津波が予想され、住家への浸水なおの重大な災害のおそれがある場合です。「ロシア カムチャッカ半島付近でM8.7 3~4mの津波観測」(NHK) 第6章 日本列島で地震と津波に備える
●大津波警報・津波警報・津波注意報
大津波警報・津波警報・津波注意報は、地震が引き起こす津波について気象庁が発表する情報です。
2013年から新しい津波警報の運用が開始されました(表6-1「津波警報が変わります」より:省略)。
大津波警報・津波警報・津波注意報という3つの情報ですが、簡単に言うと次のような場合に発表されます・
大津波警報は、住家の全壊がみられるなど甚大(じんだい)な災害となるおそれがある場合です。
(『地震はなぜ起きる?』鎌田浩毅 岩波ジュニアスタートブックス 2021年)
3番目の津波注意報は、沿岸部の海上や海岸付近へ注意を呼びかける場合です。
津波の予測は、地震の2~3分後に第一報が出されます。
通常の地震の場合、表6-1のように1~10m超の5段階で発表されますが、M8を超(こ)えるような巨大地震が起きた場合は「巨大」「高い」などわかりやすい表現で発表されます。 もし「巨大」「高い」という発表があった場合、東日本大震災クラスの津波がおそってくる可能性があるということです。
ただちに安全な場所に避難することが非常に大切です。
(『地震はなぜ起きる?』鎌田浩毅 岩波ジュニアスタートブックス 2021年)
「津波を予測するしくみ」(気象庁)
「津波警報が変わりました」(平成25年3月)昨夜の番組
最深日本研究 ~外国人博士の目~「幻のカルタを知りたい」
オレゴン大学後期博士課程に在籍する蔣霊均(ショウレイキン)さん
初めアラレちゃんに似たかわいい人が登場したのでビックリしました。
その研究にさらにビックリ!!!
番組の中で法政大学名誉教授の江橋崇さんが話されていたのは
「カルタの社会史研究はいっぱいある
どういう風にみんなが遊んだとか
カルタの政治史といって
賭博に使ったら刑罰を科すとかそういう研究はある
美術史の観点から日本のカルタの歴史を研究するのは蔣さんが初めて
私たちが思いもつかなかった新しい観点だからね
面白い結果が出るんじゃないかと期待しています」
蔣さんは、中国からの留学生なのでこれからもアメリカで研究を続けられるのかな?
日本でもアメリカ大統領の真似をして日本ファーストなんて排他的なことを主張する人たちがいる
排他的なのは今に始まったことではないけど 「何ひとつ不自由なく育った大富豪岩崎家の令嬢が千人を越える戦争の落とし子の母親になった理由=沢田美喜」つづき
―― 私は養女なんですが、七歳のとき、初めて自分がもらいっ子だということがわかったんです。そのとき、子供ながらに〝ああ、自分は一人なんだ。だれにもあまえずに一人で生きてゆかなくちゃ〟と思いましたね。
沢田 お母さんに、会いたいですか?
―― 私が三歳のとき死にましたし、顔もよくおぼえてませんけど、やはり会いたいと思います。親子ってへんなものですね。
(『いっぴきの虫』高峰秀子 潮出版社 昭和53年) 沢田 親は捨てた子を、けっして忘れませんね。お産の一か月前に私のところへ転がりこんできた女の人がありましてね。私のところに産むまでいたんですが、生れたとき、私は愛情がうつったらいけないと思って、すぐ隣の部屋へ連れて行ったんです。母親はそのとき、ほんの二、三分首を曲げて、その子を見ていました。のちになって、私は養子縁組をしてある夫婦のところへ、その子をやったのですが、産んだ母親が「子供を返してくれ」と私に訴えたんです。養父母は「自分の片腕を切られても返したくない」というし、私は思いあまって「他の子を渡したら」と考えたんですね。で、その母親に「子供に何か目印があるか?」って聞いたら「お尻に大きなホクロがある」っていうんです。養母があわてておむつを取って見たら、こんな大きなホクロがあって……。八か月も育てた養母も気づかなかったのに……。私は、かなわないとカブトを脱ぎました。 ―― 子供成長してから返してほしいといってくる親もあるでしょうね。
沢田 あります。ただしその場合は愛情というより、労働力として取り返したいのが多いです。子供のなかには「帰れ!」と怒る子もいますけど……。このあいだも、プロ野球のジャイアンツに入った子を、十七年目に母親がきて「契約金をよこせ」なんて、そして主張が果たされないと知って、まだどこかへ行ってしまいました。
―― そんな親ならいないほうがいいじゃありませんか。
沢田 子供たちも、そういいますね。日本舞踊が上手でテレビに出た子にも、母親が引き取りたいといってきました。伊豆の温泉地で接客業をしている人で、自分の手伝いをさせようというわけです。私はガンとして、その子を渡しませんでした。一般に、現在の日本の家庭では、子は親に、親は子にあまえすぎるようですね。子供に本当の人間としての訓練を与えられない親なら、いっそういないほうが、屈強で真摯(しんし)な心の温かい子が育つ、と私は思うんですよ。この二十五年間の経験で、私はほんとうにいろんなことを学びました。
―― ホーム創立当時の苦労はたいへんでしたね。デマ、中傷、なんかに悩まされて……。
沢田 暗い道を歩くと、よく石をぶつけられましたよ。「パンパン宿のマダム!」なんてね。それから売名行為だとかって……。
―― 冗談じゃない。売名行為のために、子供の養育ができますか。そんなめんでうで時間のかかること……。有名になりたければ三億円かっぱらうほうが早いわ。子供は病気もするし生きものですからね。
沢田 私、ほんとうにいろいろな病気を知りましたよ。頭の悪い子もいるし、ネズミに頭を半分かじられた子もきたし、赤ちゃんのとき、母親に顔をひっかかれて、いまだに跡のある子もいるし……。 …中略…
―― 現在でも捨て子はありますか?
沢田 いまは平気で堕胎しますからね。……でも混血児を預けにきますね。このごろは、二週間ベトナムの兵隊が日本へ休みにきて、妊娠させて帰って行くんですね。まさか二週間で子供ができるなんて思わないから、相手の名前も聞かなかったなんていうのもあります。白い子は基地にもらわれてゆくけれど、黒い子はね。
―― ゴミ箱へ捨てたりするのは問題外だけど、日本人の子供も預けにきますか?
沢田 ええ、まえみたいに庭のすみに捨てたりはしないけれど、父親が男泣きでかかえてきて「母親が蒸発しちゃったから預かってくれ」なんてきます。私が残念なのは、心中の道連れになる子供ですね。親はくいつめたのなら死んでもしかたがないけれど、子供を連れて死ぬってのは、どういうんでしょう。 ―― 子供は自分の一部、つまり自分だという考え方なんでしょうね。
沢田 連れて死ぬんなら、私にくれればいいのに……。
―― えっ? まだ子供ほしいですか!
沢田 私ね、いつも子供たちに意地をもてっていうんですよ。親がなくてもなんでもそういう境遇なら、なおのこと「見返してやるんだ」という意地をもてって……。私だって、ダメだのこうだのいわれて、見返してやろうっている意地半分と宗教半分でやってきたんですもの。
―― そうですか。では、こんごも意地と宗教半分ずつで。
沢田 そうです。宗教がぜんぶといえば、聞こえはいいけれど。
―― そうきれいごとにはゆきませんよね。
沢田 そうはいかない。とにかく、長生きしなくちゃなりません。このごろ疲れるけれど、私が何もしなくなったら、気がゆるんで死んでしまいます。みんながちゃんとなってくれるのを見届けなければ死んでも死にきれませんよ。 薄い唇を真一文字に結び、死んでも死にきれぬほどの生きがいにカッカとしている沢田園長の身体から、ふつうの人間の何倍かの強さ、闘志、情熱、意地、そして慈悲の心がほとばしり出るかのようである。
それにしても「親子」とは、いったい何だろう? といまさらながら考えこんでしまう。
ほんとうの親と子との間には、他人の入る余地のない、ある何かが存在する場所がたしかにあるらしい。
それが何であるか、私にはわからない。
じつをいえば、私自身も、その何かにあこがれ、何かを求めつづけて少女時代を過ごした一人である。
そして、ある日とつぜん私にとっての何かは、すでに死んでしまった過去になっていることを思い知ったときの、あの宙に足が浮くような寂しさは忘れられない。「子供にとって、母の思い出は人生の第一ページを飾る序曲なのです。二十五年の経験で、私はそれを知りました」と、沢田園長もいっている。
しかし今日も新聞を開けば、幼児虐待や、自分の子供を十万円で売りとばすといった、おそろしい記事があとを絶たない。
こういう親をもった子供たちは、何を足がかりに生きていったらいいのだろう。
イギリスの作家、バーナード・ショーの「親であるということは、ひとつの重要な職業だ。しかし、いまだかつて、子供のために、この職業の適性検査が行われたことはない」ということばを、これから生れ出づる世の赤ちゃんに代わって、すべての母親に贈りたい。
(『いっぴきの虫』高峰秀子 潮出版社 昭和53年)
「ここに鐘は鳴る 澤田美喜」(NHKアーカイブス 1957年度)
今朝の父の一枚です(^^)/さるすべり 百日紅(ひゃくじつこう) 紫薇(しび)
さるすべりという名前はおもしろいですね。
木に樹皮がないかのように、木肌がつるつるしていますから、木登りのうまい猿でも滑り落ちるというのでしょう。
まさか、そんなことはないでしょうが、こんな名前をつけた着想が剽軽(ひょうきん)で、俳句的です。
中国から渡来した木で、中国では花が百日も咲き続くというところから、百日紅(ひゃくじつこう)と書きます。
その名のとおり、赤い花が7月から9月までずっと咲き続けます。
花が咲き続くのは、枝の先につぎつぎと莟(つぼみ)ができて、それがふくらみ、花に咲くからです。
赤い花が多く、白もありますが、私の家(うち)の庭のさるすべりは、同じ赤でも、赤が淡くて上品だと、皆さんが褒めてくれます。
朝、勤めに出かけるとき、塀の外まで枝を張って一面に花をつけているのを見ると、いかにも夏の盛りを感じます。
花屑(はなくず)が塀の外へいっぱい落ちるので、時おり朝の涼しいうちに掃きます。
…後略…
(『私の季語手帖』井本農一 小学館 1998年)