2025年7月28日月曜日

かんかん照りが続いています

連日のように危険な暑さが続き
雨も降らないのでスプリンクラーでの撒水作業が行われていました。
少雨の影響は……

新潟県糸魚川市「雨が少なくて稲が育たないかもしれない」〟(NHKやさしいことばニュース 7月25日)
稲以外にも影響が
記録的な少雨 この先10日程度続く見込み」(NHK 7月25日)
NHK NEWS おはよう日本」で熱中症の軽症でも後遺症がでることが報道されていました。

熱中症(軽症・中等症)後遺症の症状

●けん怠感などの持続
●発汗の異常(止まらない・出ない)
●どうき
●立ちくらみ
●めまい
●頭痛
●食欲不振
●不眠
●気分の不調(不安・抑うつ)など

監修:埼玉慈恵病院 徳永剛医師
 昨夜に放送されたドキュメント20min.「母の友 72年の問いかけ
母の友』は、知っていたけど番組のなかである方が話していたように
「育児」の本かなと思って手に取ったことがありませんでした。

初代編集長松居直さんは
敗戦で「生きる」ことに直面した体験が「母の友」の原点だったと
一番参ったのはね 死ななくてもいいってことは
生きていかなきゃいけないということだった
死ぬってことは教えられましたけど
生きるっていうことを教えられたことがないですから
生きるってどういうこと?
それが私にとっては新しい難問になりました。
誰も教えてくれませんしそんなことは

松居さんが 創刊当時のことを記した手記に
編集方針として掲げたのは
生きる目標 目的 意味を 自分で探し出すこと
共に考え抜きたいと 読者に呼びかけた。
 朝ドラ「あんぱん」では、敗戦直後の戦争孤児が描かれています。
孤児のことで思い出すのが、沢田美喜さんのこと
高峰秀子さんが沢田さんと対談しています。

 何ひとつ不自由なく育った大富豪岩崎家の令嬢が千人を越える戦争の落とし子の母親になった理由=沢田美喜 

 エリザベス・サンダース・ホームの園長・沢田美喜さんにお目にかかるのは十数年ぶりである。
いま思えば、当時の彼女は、押し寄せるあらゆる困難の荒波のなかでぬき手をきって泳いでいる真っ最中だったのか、ふくよかな頬の色もさすがにさえず、落とした肩に疲労がみえ、終始伏し目がちだったのが印象に残っている。
 第二次大戦、敗戦後の混乱のなかで、日本に落とされた混血児の数は、十万から二十万だといわれる。
大富豪・岩崎家の令嬢として、何ひとつ不自由なく育った彼女が、とつぜん大磯の豪邸を開放して混血児を収容し、その養育に取り組んで、男もおよばぬ難事業に、すべてをささげつづけていることは、あまりにも有名である。
(『いっぴきの虫』高峰秀子 潮出版社 昭和53年)
 ホームの門をくぐった子供は千人余り、そのうち八百人余りの養子縁組をし、七十歳を迎える沢田園長は、いまだに常時百人をくだらないという子供たちの母親であると聞く……。
たいへんな、たいへんなことである。
しかし私は月並みな賛辞を考えるより、彼女をここまでガンバラせたのものは、いったいなんだろう、と、そのほうに興味があるし、知りたい。
「おそくなってごめんなさい」という声といっしょに、オカッパのヘアスタイル、がっしりとした身体に、スマートに黒いスーツを着こなした沢田園長が現われた。
額にたれた前髪が、丸顔の彼女の笑顔を、まるで童女のように見せていた。
 ―― あらら、昔よりお若くなっちゃいましたね。お仕事のほう、少しは楽になったんでしょうか?

 沢田 いえいえ、相変らずです。ただね、いまごろになって迷いが出てきましてね。

 ―― というと?

 沢田 昔はイメージをもちすぎたというのか、それがいまごろ、二十年も経ってシワ寄せがくるんですね。昔、私が死にそうになっている子供を夢中で養育しているときに、日本のお母さんたちが集団できましてね。「こういう子たちは、外において死んだほうが慈悲だ。苦しんで育てて、後になってもっと苦しませるよりも……」っていわれたんです。
 そのとき、私は大きくなった子供を見てくれとばかりに強気でしたけど、孤児って二十年過ぎてシワ寄せが出てくるんですね。家庭は知らない。親も知らない。先祖は知らないですから。ままごとをしたって、家族の構成がまるでないんです。お医者や相談所の役人やお巡りさんがでてくる。
  ―― 人一倍ケッペキな性格の園長さんは、そうした子供の親たちに対して、反発を感じたことはありませんか?

  沢田 もちろんあります。背中が寒くなるようなこともありますよ。ある母親が、生後二か月くらいの子供を預けにきましてね。その母親はPXで買ったようなドレスを着て、ハデなイヤリングをちゃらちゃらさせて、当時南京虫といわれた金時計をしていて、こんな格好ができるなら、なぜ子供を育てられないんだろうと私思いましたけどね。
 その人が「私たちが、こういう子を産めばこそ、サンダース・ホームは成り立ってゆくんじゃないか」って……。そりゃ、戦争中で勉強もしていないから、こういうことばもでるんでしょうけど。その娘が大きくなって、私が朝日賞をいただいたとき、母親と同じ顔をして、同じ声で腕組みをしていったんです。「私たちがいたからこそママは賞がもらえたんだ」って……。

 ―― 私たちがいたからこそ?

  沢田 ええ、母親とそっくりの声でね、私、これは私たちの力じゃ、どうにもならない。
親と子の間には、他人には入れない何かがあるんだ、とつくづく思いました。でも、反対のいいところもあるので、まぎれてゆくんですけどね。
 ―― 子供同士の連帯感はどうです?

  沢田 それはもう、すごく団結していて、だれかが悪いことをすると、みんなで必死になってかくしたりしてかばいますね。こっちが証拠物件そろえてつきつけるまで、けっして口を割らない。大勢の子供のなかには裏目にでるのもいて……。

 ―― そりゃ、そうでしょう。千人も子供がいれば。自分の子だって、でき不できはあるんでしょうから。

  沢田 でも、そんな子も戻ってきますよ。戻ってきて、私をだましてまた出て行く。いまも刑務所に入っている子がいて、私、面会に行きますけどね。
 ―― そんなとき、ご自分の教育方法に自信を失いませんか?

  沢田 いいえ、私は一粒の種を祈りとともに蒔(ま)いたんです。その種は、いつまでも生きていると思う。ただ、芽が出るのがおそい。それぞれの芽は、それぞれにあった環境のなかで芽を出すんですからね。それに合う肥料が、もしかしたら刑務所にある場合もあるかもしれない。それがわからないのです。「そのまま死なせたほうがいい」といわれたことばが、もう一度耳に響いてくるけれど、私の蒔いた種が、まだいちばんいい肥料のあるところに出会わないんだな、というように考えます。

 ―― 大きな、りっぱな愛ですね。

  沢田 シンナー遊びをしたり、物を盗んだりする子もいますけど、私、いつかは皆帰ってくるような気がして、それまで生きていたいと思うんです。
 ―― 園長さん自身のお子さんはどうです。皆さん理想的に成長しましたか?

  沢田  まあまあですね。私は仕事を持っていたから、子供を満足にはみてやれなかったけど、ただ人に迷惑をかけないなら、何をしてもいいといっていました。みんな食べることは自分でして、スネはかじられませんでしたね。もっとも、他の子たちにかじられていたから、かじるところもなかったんでしょうけど……。

 ―― ホームをつくるときに、なにもかもぜんぶ売っておしまいになったしね。

  沢田 ええ娘にやると約束したものまで売っちゃいました。だから子供たちは「孤児たちは母親を得たけれど、われわれは孤児にされちゃった」といったそうですよ。
 沢田園長は笑って両手でテーブルをたたいた。
ひょっと、その手に目をやった私は、思わず絶句してその手にみとれた。
 私は人の手を観察するクセがある。
太い手、細い手、頑固な手、小さな手、丸い手、シワだらけの手。
不思議なことに、人それぞれに似合った手を持っているものである。
 沢田さんの手は一言でいえば「りっぱな手」とでもいおうか。
骨太で大ぶりな手に目いっぱいの肉がついて、じつに堂々としている。
といっても、けっして憎々しげではなく、まっすぐにのびた指先はやさしげに細まっていて、パリのルーヴル美術館で見た大理石のヴィナスの手そっくりである。
このしっかりした手に抱かれ、おむつをとりかえてもらう子供たちの満足げな表情が見えるようである。

 …つづく…

(『いっぴきの虫』高峰秀子 潮出版社 昭和53年)
エリザベス・サンダース・ホーム

鶴瓶の家族に乾杯「俳優・平泉成が神奈川県大磯町でガーデニング尽くしの旅
前篇か後篇のどちらかで沢田美喜について
地元大磯町の高校生が紹介する企画」(5分程度)が放送されるそうです。

澤田美喜女史について」(澤田美喜記念館)

高峰秀子(たかみねひでこ)俳優」(NHKアーカイブス)

ピー・エックス【PX】(post exchange)アメリカ軍施設の売店。→酒保(しゅほ)。(「広辞苑 第6版」)
今朝の父の一枚です(^^)/

  「きれいな大気中には雲は浮かばない」つづき
 
 事実、実際の大気中にはいろいろの不純物が含まれている。
0.1ミクロン程度の吸湿性の物質やぬれやすい固体、さらにはたくさんのイオンなどが浮かんでいて、これを中心として水蒸気が凝結して雲や水滴を作りだしているのである。
なかでも最も有効に働くのは吸湿性物質で、空気が飽和していなくても、水蒸気を吸収して水滴となって浮かんでいる。
そのため、ごくわずかでも飽和を越えると、水滴はどんどん成長する。
このように水蒸気が凝結するときのその中心となるものを凝結核といっており、大気中で凝結が起こるにはどうしても凝結核が必要なのである。
さもないと、きれいな大気中では雲や霧などはなかなか発生し得ない。
 実際の凝結核としては海水のしぶきが空気中で水分を失って残った塩分や工場や家庭などの煙突から出る煙、自動車の排気ガスなどに含まれた物質、土や岩石などから出るちり、その他いろいろのものがある。
大気中には半径が0.1ミクロンより小さい凝結核は非常に多く、よごれた都会の空気中には1立方センチ当り400万個も存在することがある。
また、半径が1ミクロン以上のものは、主に海のしぶきの蒸発から出来る塩の粒子で、数も最も多いのは海洋上であるが、それは大気の大きな流れにのって世界中にばらまかれている。
現在までの調査結果でも、対流圏のどの空気中にも十分すぎるくらいたくさんの核がある。
そのため、大気中の水蒸気はそれぞれその時の露点温度やそれに近い温度でたやすく凝結し雲の変わることができるのである。
(『新しい気象学入門』飯田睦二郎 ブルーバックス 昭和55年)

最近、富士山の雲から初めてマイクロプラスチックが見つかり、世界に衝撃を与えました。
サイエンスZERO「雲をとらえろ!最新科学に挑む富士山頂の“研究所”」(2024年10月20日)