2025年7月26日土曜日

雨が降らないですね

昨日は、「竜巻注意情報」がメールで届き、
雷の音も聞えたのですが、雨は降らなかった…
今日もカンカン照りの一日でした。
ニュースを見ていると北海道が大変な暑さになっていましたね!
クーラーなんて必要がなかったはずなのに…

北海道 猛烈な暑さ和らぐか 体調管理には注意を」(北海道NHK)

道内 熱中症疑いで搬送1234件 前年同期比 約1.9倍に」(北海道NHK 7月25日)
例年(9月頃)よりも早くスズメバチに刺される被害が出ています。
北海道 芽室町 17人がハチに刺され軽傷 巣は業者が駆除」(NHK 7月20日)
梅雨が短かったことも影響しているようです。

“感電したように痛い”スズメバチ被害が前倒しで多発 例年秋に増加も“暑すぎる夏・早い梅雨明け”が原因」(関西テレビ 7月25日)

スズメバチと人の関わりを解き明かす」(神戸大学 佐賀達矢助教 2025.02.18)
今、自民党内がウルサイですね(^_-)
石破さんの判断の間違いは、旧安倍派の裏金問題が国民に納得できないまま衆議院選挙を強行したことだと思っています。
元凶の旧安倍派が動いているようですね。

Shoko Egawaさんの投稿に(7月25日)
石破おろしの背後には、旧安倍派の萩生田光一元政調会長の影あり、と。
裏金と統一教会との関係で、自民党凋落の原因を作った人が…

(政界激動2025)退陣論、吹き荒れるが 署名集め、見えない旗頭

故安倍元首相を支持する方は、アベノミクスで日本経済が上向きになったと思っている。
日銀は金融政策正常化のために黒田元総裁の尻拭いに追われていると思います。

野口悠紀雄さんの投稿
日本が失敗した基本的な原因は、経済構造の大きな改革が必要だったにもかかわらず、それを行わず、円安という安易な手段に依存したことだ。
#戦後日本経済史
 朝ドラ「あんぱん」で高知の地震が描かれていました。

 9 韋駄天おのぶ
 「先に行って待ってるわ」  


 …前略…

1946(昭和21)年12月21日起きた南海大地震である。
 その日、まだ夜の明けない4時過ぎに、嵩は激しい揺れで目をさました。
だが、野戦重砲兵だった嵩は、ドカン! ドカン! と大地を揺るがす砲撃の響きに慣れていた。
行軍の経験から、どんな環境でも眠れる体質になっていたこともあり、揺れが収まったらまた寝てしまった。

 …後略…

(『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』梯久美子 文春文庫 2025年)
 第1章 南海トラフ巨大地震の歴史
 1946年昭和南海地震
 

 1945(昭和20)年8月に戦争が終わった。
原爆で壊滅した広島・長崎をはじめとして、全国の多くの都市が米軍の無差別絨緞(じゅうたん)爆撃によって焼け野原になっていた。
同年9月17~18日には枕崎(まくらざき)台風、10月9~13日には阿久根(あくね)台風が襲来し、前者は広島県を中心に死者・行方不明者3756人、後者は兵庫県などで同451人を生じた。
(『叢書 震災と社会 南海トラフ巨大地震――歴史・科学・社会』石橋克彦 岩波書店 2014年)
 翌1946(昭和21)年12月21日4時19分、またしてもM8.0の巨大地震が今度は西日本を襲った。
揺れは東北地方南部から九州全域まで感じられ、紀伊半島、四国南半、瀬戸内海沿岸、大分県、東海地方などが震度5ないしそれ以上となった(図1-4「1946年南海地震による震度と津波高の分布の概要。……」:省略)。
 ふたたび大津波が発生し、房総半島から九州南部にまで及んだ。
とくに、潮岬以西の紀伊半島南部、徳島県南部、足摺岬までの高知県では波高が3~6mに達した(図1-4)。
今回もまた、ハワイとカリフォルニア州の検潮装置に10cmの津波が記録された。
 さらに、地震に伴う顕著な地殻変動が生じた。
紀伊半島と室戸半島が南上がりの傾度を示し、先端の潮岬と室戸岬が、それぞれ0.7m、1.3mほど隆起した。
足摺岬付近も0.6~0.8m隆起し、その痕跡を残した唐船島(とうせんじま<土佐清水市>)が国の天然記念物に指定されている。
いっぽう、高知市と須崎(すさき)町(現、須崎市)は1.2m沈降し、高知市では9.3㎢、須崎町で3㎢が海水に浸かった。
足摺岬北西方の宿毛(すくも)町(現、宿毛市)も沈降して3㎢が冠水した。
紀伊水道南部の両岸や四国北東部の瀬戸内海沿岸も若干沈降した。
 『万葉集』や『日本書紀』にも現れる道後温泉では、この地震によって4つの源泉の水位が約14m低下して自噴を停止し、約3ヵ月後に回復した。
和歌山県白浜町でも、四十数ヵ所の温泉のうち湯崎温泉と白浜温泉の8泉が湧出停止した。
なお、湯峯温泉の湧出も停止ないし激減したといわれるが、前項に記したように東南海地震によるもので、本地震に関しては不明だという。
井水の上昇や下降も各地で生じた。
 この地震・津波による被害は中部地方から九州まで25府県に及び、死者・行方不明者1443人(高知県679人、和歌山県269人、徳島県211人、香川・岡山・兵庫県で各50人以上など)、建物全壊1万1661棟(高知県4855棟、和歌山県969棟、徳島県1377棟など)、家屋流失1451棟などとされている。
ただし、前述のように被災地の多くが戦災による焦土にバラックが建っている有様だったから、損壊建物の数字にあまり意味があるとは思えない。
道路・鉄道・橋・堤防・港・船・農地などにも甚大な被害が及んだ。
 高知市は空襲で1万2000戸近くの焼失と438人以上の死者を生じていたが、地震で1000戸以上が倒壊し231人が死亡した。
津波は高くなかったが、地盤沈下と堤防決壊で広範な市域が水没した。
100日ほどで40cm以上の沈下回復があり、また必死の復旧作業によって翌年1月中旬には排水がほぼ完了したが、後遺症は長く尾を引き、戦災復興に痛手を与えた。
土佐の小京都といわれる中村町(現、四万十<しまんと>市中心部)は、四万十川の沖積平野で地盤が悪く、約2300戸中1600戸余戸が全壊、さらに火災で60余戸が焼失し、約270人の死者を出した。
県道の四万十川橋は鉄橋部分8スパンのうち6スパンが落ちた。
 和歌山県新宮市は1944年の東南海地震に続いて1945年の空襲と艦砲射撃でも被害を受けていたが、本地震で三たび、死者58人、全壊600戸、全焼約2400戸の大被害をこうむった。
太平洋側ばかりでなく、徳島県の吉野川流域、瀬戸内海の南北両岸、大阪府、岐阜県、大分県などの沖積地でも相当の震害があった。
かなり遠い島根県の出雲平野(簸川<ひかわ>平野、現在は全域が出雲市)でも、家屋全壊70棟、死者9人などの被害を生じた。
 津波は襲来が早く(早いところは地震後5~10分)、多くの場所に共通する特徴として、①最初は静かで流速が小、②大波は3~4回で第2波や第3波が最大、③第1波の前に退潮があったらしい、といわれている。
波高は歴史地震に比べて全般に低かったが、本地震としては地震動以上の猛威をふるった。
和歌山県の新庄村(現、田辺市内)や周参見町(すさみちょう<現、すさみ町>)、徳島県の浅川村(あさかわそん<現、海陽町>)や牟岐町(むぎちょう)、高知県の須崎町、新宇佐町(現、土佐市)などでとくに大きな被害があった。
貯木場の木材が流出して凶器になったりもした。
 推定された津波波源域は、図1-4のように那智勝浦の沖から高知市の沖まで広がっている。
おおまかには、これが震源域を示しているだろう。
中央気象台は「南海道地震」と呼んだが、現在は「(昭和)南海地震」といわれている。
 京都の震度は1944年東南海地震と同じ4とされているが、京都地方気象台の地震計(2倍強震計)の記録を比べると、1944年が振り切れているのにたいして本地震ではスケール内に収まっており、1944年東南海地震による震動のほうが0.5程度大きかっただろうという指摘がある。
これは、震源域での地震波の強さの差というよりは、熊野灘の震源域のほうが南海地震のそれよりもやや京都に近いことなどによる一般的傾向ではないかと思われる。
古い南海トラフ巨大地震を調べるときに参考にすべきだろう。
 震源域内の余震のほかに、やや北方の四国東部~紀伊水道周辺でも地震が多発し、さらに、本地震前は静穏だった近畿、山陰、九州中部の地震活動も活発化した。
九州の地震は、金峰山(きんぽうざん<熊本市西部>)や九重山(くじゅうさん<大分県西部>)に関係する(広義の)火山性地震だったかもしれない。
1948(昭和23)年6月15日の田辺市付近の地震(M6.7)では死者2人、家屋損壊60棟などの被害が出た。
そして同月28日、約3800人の死者を生じた福井地震(M7.1)が発生する。
東南海地震と南海地震のあとの内陸の広域的な地震活動の活発化は、第2章4節で述べるアムールプレートの運動と関係しているかもしれない。
 本地震は、敗戦の痛手から立ち直ろうとしている西日本に甚大な被害をもたらしたものではあったが、次節以降でみる1854年安政南海地震や1707年宝永地震に比べれば、各地の地震動も津波も明らかに弱く、地震そのものの規模が小さかったといえる。
(『叢書 震災と社会 南海トラフ巨大地震――歴史・科学・社会』石橋克彦 岩波書店 2014年)

1946年 昭和南海地震」(NHKアーカイブス 昭和21年12月21日)

唐船島の隆起海岸(国②)」(高知県土佐清水市)

新宮市における戦災の状況(和歌山県)」(総務省)
今朝の父の一枚です(^^)/
イヌビワを見るたびにビワというよりイチジクに似ていると思うのですが…

 イヌビワ 犬枇杷 
   クワ科イチジク属

 分類 落葉小高木
 学名 Ficus erecta
 古名 木蓮子(いたび)
 『本草和名』  木蓮子=以多比(いたひ)
        折傷木=以多比(いたひ)
 『和名類聚抄』 木蓮子=以太比(いたひ)

 クワ科イチジク属の植物で、バラ科ビワ属のビワとは無関係ですが、果実の形状がビワに似ているためにそう呼ばれます。
イチジク(無花果、学名: Ficus carica )は安土桃山時代にポルトガルから伝わったとされますから、それ以前はビワの仲間と考えたのでしょう。
(『有職植物図鑑』八條忠基 平凡社 2022年)