2022年11月7日月曜日

立冬

暦通りに冬の始まりを感じさせてヒンヤリしていました。
公園では樹木に薦(こも)が巻かれていました。

7日は立冬 和歌山城でこも巻き 松の木の害虫を誘い込み駆除」(NHK和歌山)
 ドロバチの巣かな?

ドロバチ
木の枝、壁、竹筒に泥を使った巣を作ります。
(泥をこねたようなかたまりの巣など)巣の中に卵と餌となる虫を入れて蓋をします。
危害を加えない限り人を攻撃してくることはありません。
単独性のハチですので、巣を守って人を攻撃してくることもありません。
ハチの巣の形・特徴」(埼玉県川口市)

オオカバフスジドロバチのす作り」(小学3年)
ロシア ナイトクラブ火災で13人死亡 拘束の男はロシア軍兵士か」(NHK)
詳しいことはまだ分からないようですが

一部の地元メデイアなどは男の親族の話として、男は、ウクライナでの軍事侵攻にロシア軍の兵士として派遣され、ことし8月にケガをし治療のために国内に戻っていたという

を読んで思い出したのが

戦争は女の顔をしていない
 「解説 著者と訳者のこと 澤地久枝」に書かれていた

…前略…
 三浦さんがわたしに示した最初の本は『アフガン帰還兵の証言――封印された真実』(日本経済新聞社)だった。
 強大な軍事力のソ連の侵攻に対して、アフガニスタンの人びとがやったテロによる抵抗と報復。
約十年の侵攻はソ連軍の敗退で終るが、祖国へ帰った兵士のアフガン症候群というべき重い後遺症が描かれる。
普通の市民生活にもどることができない。
ある者は帰国の飛行機がでる空港の便所で首をつる。
ある者は母親と二人住いの家に帰ったあと、台所の包丁を持ちだし、通行人を殺傷して平然と家へ戻ってゆく。
 「帰ってくる死者」は、爆発で吹きとんだ肉片を寄せ集め、亜鉛の柩に完全密封したもの。
この柩からウジが這いだし、腐臭がしたという。
…後略…

戦争に駆り出された兵士は、心を病んでしまって帰国することがあります。
 11月の亥の日は、昨日だったのですが(^^ゞ

 亥の子餅(いのこもち)

 旧暦10月の亥の日に万病を払う意で食べる餅。
「玄猪(げんちょ)」「厳重(げんじゅう)」「能勢餅(のせもち)」とも呼ばれ、多産の猪(いのしし)にあやかって、子孫繁栄の願いも込められている。
亥の子餅の歴史は古く、『源氏物語』の「葵」の帖にも登場する。
当時の製法は不明だが、宮中では「大豆、小豆(あずき)、大角豆(ささげ)、栗、柿、胡麻(ごま)、糖」を使ったといい(鎌倉時代成立『二中歴(にちゅうれき)』)、亥(猪)の子形に作ったとも解釈される。
(『事典 和菓子の世界 増補改訂版』中山圭子 岩波書店 2018年)
 亥の日の行事は江戸時代に盛んに行われ、幕府では江戸城にて、将軍から大名、旗本に、そして宮中では、天皇から臣下などに亥の子餅が下賜(かし)された。
さらに、この行事は収穫祝いとも結びつき、民間にも広まった。
猪は火伏せの神として知られる愛宕神社(あたごじんじゃ)の使いでもあるため、亥の日には炬燵(こたつ)や火鉢に火を入れる習慣があり、亥の子餅は炉開きにも使われるようになった。
現在も、11月の茶道の炉開きに用意することがある。
餅の形や素材は、時代や地域、使う階層によっても様々で、紅白の餅、紅・白・黒の餅、里芋やさつま芋を使った餅などが作られているが、炉開き用には、おはぎのように小豆餡(あん<胡麻入りほか>)をつけ、黄な粉をまぶした餅など、素朴なものが多いようだ。
 なお現在、京都の護王神社(ごおうじんじゃ)では、毎年11月1日に亥子祭(いのこさい)が行われ、亥の子餅が用意される。
(『事典 和菓子の世界 増補改訂版』中山圭子 岩波書店 2018年)

なおNHK京コトはじめ「京の暮らしに寄り添う ふだん着の和菓子」(30分頃)で紹介されていました。
亥の子と十日夜【いのこととおかんや】
 亥の子と亥の子石

 日本の代表的な刈り上げ祭である亥の子は、たとえば三重県熊野市では、各家では餅を搗いて臼(うす)や唐箕(とうみ)などの農具を供えて亥の神様をまつる。
さらに子どもたちは頭の大きさほどの石を縄で縛り、これを持って家々で「亥の子、亥の子の餅くれな、門突くぞ」などと囃(はや)しながら地面を突き、亥の子餅をもらい回った。
岡山県高梁(たかはし)市備中(びっちゅう)町では、十月の亥の子の日にはぼた餅を作って祝う。
そして子どもたちは「亥の子石」と呼ぶ人の頭ほどの石に何本も縄を縛り付け、各家を回って、この石を持ち上げて地面を突きながら「亥の子の宵に祝うた者は、西東繁盛、繁盛」と囃し立てていたと伝える。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)
 文化年間(1804~1818)の「諸国風俗問状」の答えを見ていくと、現在の和歌山市では、十月の亥の日には「玄猪(げんちょ)の祝」を行った。
小豆(あずき)や胡麻(ごま)などで色をつけた五色の餅、あるいは赤飯を炊いて祝い、子どもたちは丸い石を縄で縛り、これにいく筋もの縄を付け、この縄を引いて石を持ち上げ「インノコやインノコや」などと囃しながら地面を突いて家々を回る。
現在の広島県福山市では、十月最初の亥の日に世話役の家の庭に竹を立てて注連縄(しめなわ)を張り、この中に亥の子石を置いて御神酒(おみき)や灯明、鏡餅などを供え、子どもたちは集まって相撲などをして朝方まで遊ぶ。
夜明け頃には亥の子石を持ち出して市中の家を回り、「亥の子、亥の子、亥の子の餅を搗きやらん衆は、鬼を生め、蛇を生め、角はえた子生め」などと唱えて地面を突くと記している。
 亥の子の行事としては、餅を搗くのが各地で一般的で、また右のように囃子詞(はやしことば)を唱えながら石で地面を突いて回ることが多い。
その囃子詞は、「諸国風俗問状」の答えにある江戸時代後期のものが、現在も伝承されているのである。
「鬼を生め、蛇を生め、角はえた子生め」という囃子は、中国・九州地方に広く確認できる。
(『日本の歳時伝承』小川直之 角川ソフィア文庫 2018年)

なんかハロウィンで子どもたちが家々を回っていくのと似ているなぁ…
今朝の父の一枚です(^^)/
父に今まで使っていたコンデジと違うコンデジをプレゼントしました。
今までのコンデジですと高い木の上にいる鳥が確認しずらいといって双眼鏡を使うようになりました。
でも、双眼鏡の使い方が…
で、倍率の大きいコンデジを買ってあげました。
初めの間、慣れないためにうまく写せていなかったのですが
今日は、わりとうまく写せていました(^^)v
同じ場所で私の写したのはトリミングしていますが、
父の画像はノートリミングでです。