2022年11月6日日曜日

さわやかな朝

さわやかな朝で公園は家族連れ等で賑わっていました。

京都で先の戦争といえば(「蛤御門の変」という説もありますが)

西陣織 名称由来の応仁の乱から555年 「空引機」の実演〟(京都NHK 11月4日)

11日から15日まで西陣織会館で一般公開されるそうです。

一方、大阪の「先の戦争」は
大阪公立大学建設予定地の不発弾 撤去作業完了 避難も解除」(関西NHK)
 咲(さく)べくもおもはであるを石蕗花(つはのはな)

石蕗(つわぶき)の葉肉は質が厚く、深緑色で光沢のある腎臓(じんぞう)形。
晩秋から初冬にかけて長い花茎を出して黄色い頭状花を開く。
気にもとめず、咲こうとも思わなかった石蕗の黄色い重厚な小花。
精細な観察と自在な表現力が秀(すぐ)れている。
(『與謝蕪村集 新潮日本古典集成』清水孝之校注  新潮社 昭和54年)
一日遅れの紹介ですが(^^ゞ

 11月5日は津波防災の日世界津波の日

 「津波( tunami )」が世界共通語だと知って驚きました。
ではどのような経緯で世界中に「津波」が知れ渡ってのでしょうか。
不思議に思って調べてみたところ、すぐにラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の存在が浮上してきました。
 それを踏まえて質問です。
みなさんは「稲むらの火」というお話をご存じでしょうか。
これは江戸末期の安政元年(1854年)12月24日に起こった「安政南海地震」の際に発生した大津波をもとにしたお話です。
地震の後に押し寄せてきた津波から広村(現在の和歌山県有田郡広川町)の村民を守るため、庄屋の五兵衛さん(モデルは浜口儀兵衛)が刈り取った稲の束に火をつけて火事だと思わせ、みんなを高台にある庄屋の家に集めたことで、津波から村民の命を救ったというお話です。
(『暮らしの古典歳時記』吉海直人 角川選書 令和2年)
 私は、この話は当然日本人によって書かれたものだと思いこんでいました。
ところが原作は小泉八雲によって書かれた英文だったのです。
そもそも八雲は、明治29年(1896年)に三陸海岸を襲った明治三陸地震津波のニュースを知ったことで、かねて伝え聞いていた浜口儀兵衛の逸話を重ね合わせて、感動的な話に仕立て上げました。
それが「 A LIVING GOD (生き神様)」という英文の短編でした。
その中に「 tunami 」という言葉が用いられているのです。
この話が『仏の畑の落穂』という本に収録されて世界中に発信されました。
 もっとも八雲の作品に、「稲むらの火」というタイトルは付いていません。
これはまったく別のルートが考えられます。
それは以下のような経緯です。
和歌山出身の中井常蔵は、師範学校の英語の授業で八雲の短編集を教科書として学びました。
その中に「 A LIVING GOD 」が入っていたのです。
卒業して小学校の教師となった中井は、昭和9年(1934年)に文部省が国語読本の教材を公募した際、感銘を受けた「 A LIVING GOD 」を翻訳し、さらにわかりやすく手を加えて応募しました。
その時のタイトルが「燃ゆる稲むら」でした。
 それが入選して小学5年生用の国語読本に掲載された際、タイトルが「稲むらの火」となったのです。
その間、昭和19年(1944年)には昭和東南海地震が、昭和21年には昭和南海地震が起きています。
それは安政南海地震から90年後のことでした。
「天災は忘れたころにやってくる」という言葉通り、地震や津波は周期的に繰り返すものなのです。
 幸い広村は、浜口儀兵衛が私財を投じて築いた広村堤防によって、甚大な被害からまぬがれました。
八雲は作品で儀兵衛を「生き神様」と称しましたが、儀兵衛の本当の偉さは、将来の津波に備えて防潮堤を築いたことにあったといえます。
 この浜口儀兵衛は実は庄屋ではありません。
和歌山は醤油生産で有名ですが、儀兵衛は千葉県銚子にあるヤマサ醤油の七代目当主でした。
その醤油業で得た利益を投じて、村民に日当を払って作業に従事させ、4年がかりで堤防を作り上げました。
日当を払ったお蔭(かげ)で、離村する人も少なかったとのことです。
 この「稲むらの火」が防災の教材として知れ渡ったこともあって、平成23年(2011年)に11月5日が「津波防災の日」に制定されました(別の関東大震災に因<ちな>んだ「防災の日」<9月1日>もあります)。
かつて儀兵衛が稲むらに火をつけた12月24日を新暦に換算すると、11月5日になるからです。
 その年の3月11日には東日本大震災が起きているので、3月11日も有力な候補日でした。
最終的には「震災」ではなく「防災重視」ということで、11月5日が選ばれたのです。
もし「稲むらの火」の教訓がその時まで継承されていれば、津波による被害はもっと減らせたのにという思いが込められているのでしょう。
 その後、平成27年(2015年)に国連が、11月5日を「世界津波の日」に制定しました。
日本では「稲むらの火」を何カ国もの外国語に翻訳し、世界中に配布する運動を続けていたからです。
こうして「津波」は世界共通語になったというわけです。
(『暮らしの古典歳時記』吉海直人 角川選書 令和2年)

東京電力の経営者が会社の利益・利潤ばかりを考えて津波対策を先送りしていた。
浜口儀兵衛が私財を投じて堤防を築いた教訓を学んでいたらと思うと怒りがわいてきます。

葬られた津波対策をたどって―3・11大津波と長期評価 第9回」(島崎邦彦<2019年1月号〜2020年6月号> 岩波雑誌『科学』

刑事裁判では無罪なりましたが、民事裁判では

東電旧経営陣4人に13兆円の賠償命令 原発事故で株主代表訴訟」(BBC 2022年7月14日)
今朝の父の一枚です(^^)/

(もず)

 …前略…
『連珠合壁集(れんじゆがつぺきしふ)』などの連歌集、『花火草』『毛吹草』『滑稽雑談』以下の俳書になって、「鵙」「鵙の草茎(早贄)」ともに季題として立てられている。
鵙の高音の印象が強く、俳人たちは秋晴に響きわたる高音に、深まる秋意を感じ取った。
「百舌鳥なくや入日さし込む女(め)松原」凡兆(『猿蓑』)、「鵙啼きて一霜をまつ晩稲(をくて)かな」浪化(『柿表紙』)、「どかぶりの跡はれ切るや鵙の声」史邦(『俳諧猿舞師(さるまはし)』)、「鵙の来て一荒れ見ゆる野山かな」蓼太(『句集』)、「漆掻くあたまのうへや鵙のこゑ」白雄(『句集』)、「鵙の声かんにん袋破れたか」一茶(『七番日記』)など。
(『基本季語五〇〇選』山本健吉 講談社学術文庫 1989年)