2022年11月25日金曜日

青空

今朝は、雲一つない青空が広がっていました。
腰痛も少しだけ軽くなりました。
火曜日、水曜日を10位に例えると、今朝は8位かな?
10位の痛みは、椅子などから立ち上がろうとすると
痛みが襲ってきてしばらく動けませんでした。
今日は、ゆっくりと立ち上がることができました。
まだ、歩き始めは、痛みをこらえないといけないし
上の方にいる小鳥にカメラを構えると痛みが増してきます(-_-;)
それにしても次から次へと膿が出てきますね…
電通など捜索 東京五輪テスト大会入札 組織委関与し談合疑い」(NHK)

これだけ甘い汁を吸えるのですから反対論があっても強行するはずだなぁ…

1970年11月25日に「三島由紀夫 割腹自殺」(NHKアーカイブス)したのですが、
1964年東京オリンピックについて報知新聞に寄稿した文章があります。

 「別れもたのし」の祭典  三島由紀夫

 すべてのスポーツには、少量のアルコールのように、少量のセンチメンタリズムが含まれている。
このアルコールの含有量が最大になったのが、たとえば二十三日夜の女子バレーの勝利の瞬間などであるが、閉会式もこのアルコールが十分にふりまかれるはずであった。
日本人の国民性としても、そうなるはずであった。
(『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』 講談社文芸文庫 2014年)
 ところが、そうはならなかった。
それは陽気な、解放と自由のお祭りになった。
できからいうと、閉会式は開会式の壮麗さにまさるとも劣らない、すばらしい人間的な祭典であった。
同時に、日本人の精神風土にかつて見られなかった「別れもたのし」の祭典になったのである。
演出者の意図を越えたところで、それはもっといきなフィナーレになった。
 もちろんここには、多くの美しいパセティックな瞬間があった。
ことに五時三十五分、会場が暗くされ、各国の旗手は半円をえがき、国歌とともに、ギリシャ、日本、メキシコの旗がのぼってゆくとき……。
さらに場内が暗くされ、ブランデージ会長が閉会の宣言をし、その仏訳の電光の文字が、トラックの横の雨のなごりの水たまりに投影するとき……。
 ファンファーレとともに、暗やみの中から合唱隊の無数の豆電気が、ちょうど夜間飛行の飛行機が谷間に見つけ出す小都会の灯のようにきらめきだすとき……。
聖火が消えかけて、なお尽きず、なお炎の舌を何度かひらめかせる空が、いまは晴れた夜空になって、巨大なハトの翼のような、白い一双の壮麗な雲が、聖火台の上にひろがっているのを見るとき……。
 オリンピックの旗が白い制服の自衛隊員によっておごそかに降ろされ、そこに集中したライトの中で、アンツーカーのあざやかな赤が、その制服と旗の純白に照りはえるとき……。
「蛍の光」の演奏とともに、女子体育大の生徒たちのかかげるトートが大きなだ円をえがいて、ゆるやかな波動をひろげるとき……。
 そういう一瞬一瞬は、忘れがたくパセティックで、スポーツの光栄のはかなさ、青春の光栄のはかなさまで、感じさせる瞬間であった。
 しかし何といっても、閉会式のハイライトは、各国旗手の整然たる入場のあとから、突然セキを切ったように、スクラムを組んでなだれ込んできた選手団の入場の瞬間だ。
開会式のような厳粛な秩序を期待していた観衆の前に(旗手の行進のおごそかさは十分その期待にこたえていただけに)突然、予想外の効果をもって、各国の選手が腕を組み一団となってかけ込んできたときのその無秩序の美しさは比べるものはなかった。
 それは実に人間的な感動であって、開会式でナショナリズムを高揚しながら、閉会式で「世界は一つ」を強調しようとする演出意図を、さらに自然な心情の発露で盛り上げたものであった。
おそらくこのとき、かげで演出者は、一度はこの演出プランの無秩序な破壊に舌打ちしながら、次の瞬間には、ねらった以上のすばらしい効果を発見して、思わず手をたたいたのではなかろうか。
 それからは、競技の圧迫感から解放された選手たちの、思うままの荒っぽい友愛の納会なった。
最後尾の日本の旗手は、旗もろとも、各国に選手にかつぎ上げられる。
ただ一人シャツとパンツで走り出す黒人選手もいれば、雨ガサをひろげてふりまわすのもいる。
ふざけて女の子のピンクの帽子を奪い、それをかぶって逃げまわるものもいる。
またそのそばを、われ関せずで、大手を振ってまじめに行進しているものもいる。
 世界中の人間がこうして手をつなぎ、輪踊りを踊っている感動。
冗談いっぱいの、若者ばかりの国際連合――。
これをいかにもホストらしく、最後から整然と行進してくる日本選手団が静かにながめているのもよかった。
お客たちに思うぞんぶんたのしんでもらったパーティーの、そのホストの満足は八万の観客一人一人にも伝わったのである。
   (10月25日 報知新聞)
(『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』 講談社文芸文庫 2014年)
三島由紀夫の寄稿文を転記しながら、閉会式の時の驚きと感動がよみがえってきました。
三島由紀夫の文章を読んで感動したのは初めて…
ちなみに「蛍の光」を歌うことができなかった時代があります。
卒業式に「蛍の光」復活<みなさんの声>〟(NHKアーカイブス 1946年)

スコットランド民謡の歌詞では、旧友と再会し、思い出話をしつつ酒を酌み交わすといった内容(ウィキペディア)。
イギリスのEU離脱承認がなされたときに歌われましたね。
BBC PoliticsのTwitter(2020年1月30日)
今朝の父の一枚です(^^)/

ツグミ 鶫
 ヒタキ科ツグミ属
 全長:24㎝
 時期:冬鳥

口を「噤(つぐ)む」からツグミ。ツグミは冬鳥。
冬はよく聞こえた鳴き声も、夏になるとまったく聞こえなくなるから。


 ツグミは、種ツグミならびにヒタキ科ツグミ属の鳥の名称。
漢字は鶫が正字で、鶫は国字である。
この国字は、誤ってこのように書いたことから生まれたと教えられた訳ではないが、私は使わない。
しかし、国字と正字を無視して、鶫の字はよく使われている。
もちろん中国の鳥類学書では鶫の字が使われている。
『和名抄(わみょうしょう)』の鶫鳥の項目には「唐韻に云う鶫、音は東。漢語抄に云う鶫鳥、豆久見、『辨色立成(べんしきりゅうじょう)』に云う馬鳥、鳥名なり」とある。
平安時代には、鶫の字は「つぐみ」か「つくみ」と読まれているので、種ツグミあるいはツグミ類が、この名で認識されていた。
…後略…
(『野鳥の名前 名前の由来と語源』文:安部直哉、写真:叶内拓哉 ヤマケイ文庫 2019年)