2022年11月26日土曜日

曇り空だけど…

 昨日とうって変わって暗い曇り空でした。
それでも風がないので途中で一枚脱ぎました。
一方、来週の天気予報を見ていると

来週は師走寒波が襲来へ、大雪や気温の激変に備えよう」(杉江勇次 Yahoo!ニュース)
 ヒオウギの種子のことを「ぬばたま(うばたま/むばたま)」といいます。

   黒
うばたまや 闇(やみ)のくらきに 天雲(あまぐも)の 八重雲(やへぐも)がくれ 雁(かり)ぞ鳴くなる

月もない上、空に幾重にもたれこめた雲…。
その雲の陰から雁の鳴く声が聞えてくる。

黒をできるだけ強調しようとした歌。
黒一色の中で雁の鳴声が響くというイメージは無気味である。
◇うばたまや 「闇」の枕詞。
◇天雲 空の雲。
◇八重雲がくれ 幾重もの雲に隠れること。
(『新潮日本古典集成<新装版> 金槐和歌集』樋口芳麻呂校注 新潮社 平成28年)
昨日の判決を聞いて地裁は、まっとうな判決が下されると思ったのに

 「財務省公文書改ざん 妻 “夫は法律に守ってもらえなかった”」(NHK 11月25日)

夫は法律に守ってもらえなかったのに佐川さんは守ってもらえるんだと理不尽に感じました
検察が黒幕を追求することができないだけでなく
裁判所が政治家や官僚を守っている国、まるでロシアや中国のようだ。
  さざん花

 戦争が終ってから一年余りの今年の秋は、十戸ほどの私の隣組にもお産が続いて四組もあった。
 四人の産婦のうち最先輩であり最多産である細君は二子を生んだ。
二人とも女の子であったが、片方は半月ほどで死んだ。
乳がよく出てあまって隣家の子供にくれている。
隣家は上に男の子が二人あって今度初めて女の子である。
この子の名は私が頼まれて和子(かずこ)とつけた。
和という字を人の名の場合にカズと読む習わしなどは難音訓の類にはいるまいが、こういう漢字のわずらわしい使用は私もかねて避けたいと思っているし、この子の成長のころにはなお迷惑になるかもしれないと思えるものの、平和にちなんで名づけたのだった。
(『掌の小説』川端康成 新潮文庫 平成23年改版)
 二子が両方とも女であったばかりでなく隣組に五人生れた子供のうち四人までが女の子だった。
新憲法の産物だろうと笑話にもなって、これにも平和の感じがあった。
 五人のうち四人までが女というのは無論私の隣組の偶然だろうし、十戸に五つのお産というのも少し多過ぎる例だろうが、今年の秋は全国的に出産がおびただしいことを私の隣組も証拠立てているのにはちがいなかった。
言うまでもなく平和のたまものである。
戦争中低下していた出産率が一挙に上昇した。
無数の若い男が妻にかえされたのだから当然である。
しかし出産は復員者の家庭にばかり多いのではない。
夫が出てゆかなかった家にも多い。
中年者に思いがけない子供も出来た。
戦争の終った安堵(あんど)が妊娠を誘ったのである。
 平和をこれほど現実に示したものはあるまい。
日本の敗戦も今日の生活苦も将来の人口難も頓着なく、もっと個人のもっと本能の動きである。
(ふさ)がれていた泉が噴き出したようだ。
枯れていた草が萌(も)え立つようだ。
これを生の復活とし生の解放として平和が祝福出来れば幸いである。
動物的なことであるかもしれないが、人間をあわれむ思いも知るだろう。
 また生れた子供は親に戦争中の苦労を忘れさせるだろう。
 しかし五十歳の私には戦争が終っても子供の出来るようなことはもう起らなかった。
年古りた夫婦は戦争のあいだにいよいよ淡泊になってしまって、平和がかえってもその習慣は直りそうになかった。
 戦争から覚めると生の夕暮れが迫っていた。
そんなはずはないと思うものの、敗戦の悲しみは心身の衰えを伴っていた。
自分達の生きていた国と時とはほろんだようであった。
寂寞(せきばく)の孤独に追い帰された私は隣組のお産を他界から生の明りと眺めるかの感じもあった。
 その五人の赤子のうちでただ一人の男の子を産んだのは四人の産婦のうちで最後輩だった。
太って見えるのに案外狭い骨盤で産が長引いたという。
差込ではどうしても尿が出ないので二日目は立って行ったという噂も早速隣組に伝わった。
初産(ういざん)だが前に一度流産したことがある。
 私の家では十六になる娘が隣組の赤子に興味を持ち、気兼ねのない家へ見に行き、話題にもした。
部屋でなにかしていて不意に駈(か)け出して行ったと思うと赤子を見て来ることがあった。
急に見たくなるのかもしれなかった。
(『掌の小説』川端康成 新潮文庫 平成23年改版)

つづく…