2022年11月13日日曜日

雨の予報

今朝の天気予報は雨が降ると父に話すと
朝焼けが見えるので雨だろうと言っていました。
いつもより歩く距離を短くして駐車場に戻る頃には、ポツポツと降り出しました。

西~東日本の太平洋側 大気不安定 落雷突風などに十分注意」(NHK)
 俵万智さんのTwitterに

今朝の読売新聞「空想書店」で生まれてバンザイが紹介されています☺️

バンザイの姿勢で眠りいる吾子よ
そうだバンザイ
生まれてバンザイ

記憶には残らぬ今日を生きている
子にふくませる一匙の粥
(かゆ)
 大阪府職労のTwitterに

2025万博特別仕様ナンバープレート
府の各職場の全ての公用車もこのナンバープレートに変更するよう通知が出されている。
しかも、その費用(1台8400円)は各職場の予算で対応しろとのこと。
予算がなく壊れた給湯器が直してもらえない、消耗品も買ってもらえないなどの実態があるというのに。
十、苗字の公称
 
 その波紋


 政府の苗字公称の強制は、しかし各方面に混乱をおこしたらしい。
寺に頼みこんだり、役場総掛りで急に苗字を全部作ったという例もある。
石井研堂著『明治事物起源』を見ると、研堂が11歳のとき、父は当時町の什長というのを勤めていたため、区内細民の請に応じ、苗字を選んでやったことを記録している。
すなわちさまざまの苗字を選びつくして後、煎茶の銘を取り、甲に青柳、乙に喜撰、丙・丁に鷹爪・宇治というように命名し、茶銘が種切れとなってからは、徳川四天王の酒井・榊原・井伊・本多の名まで付けてあたえた。
そのうちの一人が恐る恐る「このようなもったいない苗字を付けましても、お上からおとがめはないでしょうか」といぶかり問うたのに対し、父は「心配しなくてもよい」と諭した、という。
鹿児島の指宿(いぶすき)では、鰻池にちなんで部落中が鰻姓、愛媛にある地方では部落ごとに網具・野菜・魚の名をつけたという。
(『苗字の歴史』豊田武 中公新書 昭和46年)
 しかし実際には、このときでたらめに苗字をつけた例は、想像するほど多くはない。
農村では前に述べたように、村役人や有力な地主は、公称は許されなくても、種々の苗字をもっていた。
苗字をもたなくても、辻とか何の門とかいった通称をもっていたから、それがそのまま苗字となった。
ところが名子(なご)や下人(げにん)となると、こうした通称をもたないものが多い。
その場合、その親方や、その村の有力者である庄屋や名主の苗字をかりた。
 加賀の白山山麓の白峰(しらみね)では、現在親っ様と呼ばれる家に山岸・織田・永井の三軒があるが、明治のはじめ、その家に働く名子(地内子<じなご>という)は親っ様から指図され、山岸の地内子は山下、織田の地内子は小田、永井のそれは永下を、それに今は絶家してないが、木戸口の地内子は木田の姓を名乗るようになった。
このように姓まで統一する形は、この地方のほかの村では絶対にみられなかった。
もちろん今日この姓のものが全部地内子の関係にあるのではなく、土地・家屋等を求めて独立したものや、自力による分家はこの関係から離れている。
白峰ではこのほか同姓がことのほか多く、271所帯のそれぞれについて調べてみると、山下40・織田39・加藤32・小田24・木田14・山田10・永吉9・永下7・永井7の多くを数えるという(清水隆久「白山山麓における地内子の研究」『石川商経研究』第4号)。
 町では営業のために設けていた屋号が、屋の字をとって利用された。
酒田で高砂屋が高砂と名乗っている。
しかし鐙屋(あぶみや)のように屋号をそのまま苗字とする家もあり、町人の地位の高かったことが考えられる。
 僧侶の場合、もともと俗界を超越したものであるだけに、苗字をもたないのが通例であった。
このため、釈・禿氏(とくし)・月光(がっこう)・星宮・修陀羅・無着・波羅蜜など、仏法僧に関しては新しい苗字がつくられた。
なかには珍名に属するものも少なくなかった。
(『苗字の歴史』豊田武 中公新書 昭和46年)

つづく…
今朝の父の一枚です(^^)/
雨が降る予報だったのでレンズが出っ張らないコンデジに変えていました。

蜜柑(みかん)

○ミカンの皮を食べると長生きする(富山・愛知)。
フイゴ祭(11月8日)に鍛冶屋で撒いたミカンを拾って食べると病気にかからず、かかっても軽くすむ(山口県大島郡)。
ミカン湯に入ると風邪にかからない(茨城)。
正月飾りに供えたミカンをしまっておいて食べると風邪をひかない(埼玉)。
花神社の火焚き祭に火の中に投げ入れたミカンを食べる(京都)。
(『日本俗信辞典 植物編』鈴木棠三 角川ソフィア文庫 令和2年)

「花神社」はどこかは?でしたが
【京の花果物語】「火焚き祭」と「みかん」の関係〟(cookadブログ 京都府 2018年11月8日)