2022年7月27日水曜日

咲いていた…

 クサギがまだ咲かないなぁと思ったら
1時間半ほど歩いて帰るときに再び見たら…
夏に咲くクサギの花

花は夏。
枝先に直径10~30cmほどの大きな花序を広げて甘く香り、よくアゲハチョウが訪れる。
小花は直径、花筒の長さとも約2.5cm。
弧を描く白いしべと薄紅を帯びた萼も美しい。
(『身近な植物に発見! 種子(タネ)たちの知恵』多田多恵子 NHK出版 2008年)
ジ~ッとしていても汗が噴き出る蒸し暑さ(^^;
朝から元気なのは蟬たち…

だまれ蟬今髭(ひげ)どのがござるぞよ
(『古典俳文学大系15 一茶集』校注 丸山一彦 小林計一郎 集英社 昭和45年)
帰宅後、昼前にうるさかったのは雷…
雷を恐ろしいと書いているのが

第二七九段
 雷(かみ)の甚(いた)く鳴(な)る折(をり)に、いみじう恐(おそ)ろしけれ。
左右(さう)の大将(だいしやう)、中(ちゆう)・少将(せうしやう)などの、御格子(みかうし)の列(つら)に、候(さぶら)ひ給(たま)ふ、いと、をかし気(げ)なり。
(は)てぬる折(をり)、大将(だいしやう)の仰(おほ)せて、「昇(のぼ)り、下(お)り」と宣(のたま)ふらむ。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)
 訳 これは、立派な華やかさを表す「きらきらしきもの」だが、雷がひどく鳴っている時に設けられる「雷鳴(かんなり)の陣(じん)」は、本当に恐ろしいことである。
けれども、左右の近衛の大将を始め、中将・少将なども皆、清涼殿の孫廂(まごひさし)、つまり御格子(みこうし)の所に伺候(しこう)なさるのは、見るからにたいそう、威儀がある。
雷がすっかり終わった時に、大将がはっきりした声で命令を下(くだ)し、「昇(のぼ)り、下(お)り」(御殿に昇っている者は、ただちに下りよ)とおっしゃるようである。
  評 前段の「煌々(きらきら)しきもの」からの連想で、雷鳴の陣に伺候する人々の威儀を書いたのであろう。
清少納言が雷を恐がっていたことは、前にも書かれていたし、「雷鳴の陣」のことも既出である。
宮廷人は、雷が鳴ると、大宰府で憤死した菅原道真が雷となって祟(たた)り、清涼殿に落雷したという故事を思い出したことだろう。
(『枕草子 下』清少納言著、島内裕子校訂・訳 ちくま学芸文庫 2017年)

雷神に向かう時平」(北野天神縁起絵巻 文化デジタルライブラリー)
 「サル痘 政府は的確な情報発信実施を確認 冷静な対応呼びかけへ」(NHK)

「政府周知の方針」を見ているとエイズ(HIV<ヒト免疫不全ウイルス>)の時のように偏見・差別が広がらないかなと思います。

6 性行為や接触で感染するもの
 2 エイズ・HIV感染症
 感染爆発はなぜおこったか


 前項のHIVの起源とその伝播についての問題は、1992年にアムステルダムで開催された第8回エイズ会議で話題をさらいました。
HIVの種特異的なRNA塩基配列をDNAに変換させて増幅させるRT-PCR法や血清診断法によって、過去に亡くなったヒトでも病気の有無をしらべることができます。
(『現代の感染症』相川正道、永倉貢一 岩波新書 1997年)
 ヨーロッパでのHIVの最初の確認は、59年に「原因不明のウイルス症」で死亡したイギリス人水夫で、この患者の保存組織切片から、90年にRT-PCR法によってHIV遺伝子が検出されました。
2番目の患者は、76年に死亡したノルウェー人水夫で、死因は不明でしたが、保存されていた血清から88年にHIVの抗体が検出されました。
アメリカでは、68年に死亡した15歳の黒人少年の凍結保存されていた血液から、HIVの抗体と抗原が検出されました。
  1977年12月、デンマーク人ラスクが、ふつではあまり例のない3種類の感染症、カリニ肺炎、口と咽頭のカンジダ症、黄色(おうしょく)ブドウ球菌による敗血症で死亡しました。
かれが、死ぬ5年前からザイールで外科医として勤務していたことから、アフリカでHIVに感染したと考えられます。
イギリス人とノルウェー人の水夫はヨーロッパやアフリカ各地を旅行していたことから、ヨーロッパへのウイルスの伝播には船や飛行機の乗員たちがかかわっていたと考えるのが筋でしょう。
 エイズ関連症であるカポシ肉腫を報告したオーストリア人医師カポシは、1868年から1871年まで、5人の患者を診察し、報告しています。
この1世紀前の患者は、あらゆる点でエイズだったように思われます。
内臓にはカポシ肉腫がひろがり、肺には正体不明の病変(おそらくカリニ肺炎)がありました。
また、当時のウィーンは同性愛の中心地として有名でした。
カポシ肉腫の集団発生は1874年から82年のあいだにもありましたし、これ以外にも日和見感染(8章 カリニ肺炎)をともなった症例が散見されます。
それらの症例の多くは、原因不明の感染症として処理されていました。
 HIVは1980年初頭に急にアフリカら移ってきたのではないと思われます。
おそらく、ヨーロッパに入った後、男女の性行為によって急激にひろまったのでしょう。
その背景には、ヨーロッパと北米などの都市に共通した、不特定多数を相手にする売春と同性愛が関与していた思われます。
 1984年にカナダの航空乗務員デュガスが、カポシ肉腫とカリニ肺炎で死亡しました。
82年当時、北米では男性同性愛者のあいだにHIV感染がひろがっていました。
かれは、アメリカ各地、カナダ、フランス、カリブで数十人の男性との出会いを楽しんでいました。
すくなくとも、デュガスが北米中にウイルスをまき散らしたのはたしかなようです。
かれはニューヨーク、ロサンゼルス、その他合衆国の8都市で40件以上のエイズをおこしたといわれています。
それは患者との性行為、あるいはかれと性行為があった男性との性行為としてひろがっていったのです。
かれにHIVをうつされ、確認から漏れた人が北米中にあと何人いるかわかりません。
これはアメリカで広く知られている話です。
一部の男性同性愛者は薬物中毒者でもありました。
薬物中毒者が共有する注射器から感染がひろがりました。
HIV感染が急性症状をしめさず、またその伝播が特殊な性行為や薬物をつうじたものでしたので、そのひろがりはゆっくりとかつ確実なものでした。
(『現代の感染症』相川正道、永倉貢一 岩波新書 1997年)

日本では、
梅毒感染者、昨年最多の7873人…SNS通じ不特定多数との性交渉が増加か」(読売新聞 2月14日)

日本の梅毒症例の動向について (2022年7月6日現在)」(国立感染症研究所)
今朝の父の一枚です(^^)/
クマゼミ(右)とアブラゼミが並んでいる。

 22段 すさまじきもの

…前略…

 修験者(しゅげんじゃ)が、「物(もの)の怪(け)」を調伏(ちょうぶく)するということで、たいへん得意顔で、「憑坐(よりまし)」に独鈷(とこ)や数珠(じゅず)などを持たせて、蟬(せみ)のような声に、声をしぼり出して経を読んで座っているけれど、「物の怪」は少しも退散しそうな様子もなく、「憑坐」に護法童子(ごほうどうじ)もつかないで、一家中集ってじっと祈念して座っているのに、それら一家中の男も女も「変だ」と思ううちに、刻限のかわるまで二時間も読むつづけて疲れて、「いっこうに憑(つ)かない。立ってしまえ」と言って、「憑坐」から数珠を取り返して、「ああひどく効験(こうけん)がないなあ」と言って額(ひたい)から上の方に頭を手でしゃくるようにかき上げて、あくびを自分からして、物に寄りかかって寝てしまうの。
…後略…
(『枕草子[能因本]』松尾 聰、永井 和子訳・注 笠間文庫 2008年)