2021年4月3日土曜日

牡丹の花も咲き出して

曇り空でした。
蒸し暑かったので明日は雨のようです。
場所にもよるのですが、牡丹の花が咲いていました。
最近、「まんぼう」が話題になるけど、はじめ???だった。
「まんぼう」という言葉を聞いて思い出したのは、北杜夫さんの「どくとるマンボウ」シリーズ。
本棚にありました(^^)v
「どくとるマンボウ青春期」(中央公論社 昭和43年)
当時(1968年)の値段は、360円(消費税などなかった)。
現在、新潮文庫で出ているようですが税込みで649円。

「まん防」という略し方「適切でない」 厚労委で尾身会長が見解〟(毎日新聞 4月2日)
確かに緊張感がない言葉だなと思います。
大阪市の聖火リレー 橋本組織委会長“地元と協議し早期決定”」(関西NHK 4月2日)

島根知事「五輪本体が問題」 吉村知事の発言は「自然」〟(朝日新聞 4月1日)
丸山知事が聖火リレー中止と発言した時に、
大阪知事「中止考えてない」 聖火リレー 島根中止検討に〟(産経新聞 2月17日)
番組を見ていないので無責任な発言ですが
丸山知事が中止検討と発言した時に、
テレビ番組で出演者が、「楽しみにしているのに」などといった発言をしていたようです。
2月18日の山崎雅弘さんTwitter

昨日のワイドショーなどでは吉村知事の発言をどのように紹介していたのでしょうね…
吉村知事は、緊急事態宣言を前倒しで解除したり、聖火リレー中止も大阪市内に限っています。
なんか判断が中途半端だと思いますし、発言も言っていることが分らないことが多いような…

なかのとおるさんが4月1日のTwitterに

う~ん、脇田座長がそんな意味不明のことをおっしゃるとは思えませんが。
誰か、解説してほしいです


吉村洋文(大阪府知事)

何故大阪で感染が急拡大したのか。
NEWS23で脇田座長がコメントしてた緊急事態宣言で大阪は感染を抑えすぎた、結果、変異株が既存株にとって変わる速度が早まり、変異株が急拡大してる説。
逆説的でえっ?と思うが真実をついてるかもしれない。
緊急事態宣言解除時の大阪の陽性者は1日約50人だった。

(さくら)
<朝桜(あさざくら)・夕桜(ゆうざくら)・夜桜(よざくら)・老桜(ろうおう)・里桜(さとざくら)・楊貴妃桜(ようきひざくら)・薄墨桜(うすずみざくら)>晩春 植物

 ◆山桜(やまざくら)晩春 植物

 サクラの原産地はヒマラヤと言われ、北半球に広く分布する。
それと別にネパールから贈られたヒマラヤザクラというのが熱海にあるが、この桜は冬に咲く。
日本で国花のように扱われている。
世界的には花より果実が重視されており、涼しい気候の地で初夏に実る。
サクラは突然変異の頻度が高いということから園芸種が多くできた。
園芸種をまとめて「里桜」と呼ぶことがある。
ボタンザクラ(牡丹桜)は里桜の一つで、花弁は多いが、裏返して重厚な花びらを支えている萼(がく)を見ると、5枚しかないことに気がつく。
(『季語の科学』尾池和夫 淡交社 令和3年)
 一本桜としての伝説や由来を持つ桜が全国にある。
桜の群生には財力が必要で、普通は寺社の境内や領主の庭に植えられた一本の桜で花見が行なわれた。
1922年、福島県の三春滝桜などが天然記念物第一号に指定された。
 山桜の群生の代表である吉野山は「吉野の里にふれる白雪」で知られていたが、江戸時代、人形浄瑠璃の「義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)」の大当たり以来、吉野の桜が不動のものとなった。
 熱海にあるヒマラヤザクラの特徴は、広い三角形の5枚に萼である。
ヒマラヤが起源と考えられており、11月にはつぼみが膨らみ、冬にみごとな花が咲く。
花には蜜が多く、果実は大きく食用になり、幹からガムが採れ、また、種はアクセサリーになっている。
二酸化炭素や窒素酸化物の吸収率が、染井吉野の5倍ほどあり、将来が注目されている。
東京農業大学の染郷正孝『サクラの来た道』(2000年)に詳しい。
 染井吉野の花がよくつくのは樹齢15年から50年、しかも管理が必要である。
切り株から生える芽(蘖<ひこばえ>)から増やすので、全国の染井吉野がクローンで、同じ気候条件で一斉に咲く。
江戸彼岸(えどひがん)をもとに昔京都で生み出された枝垂桜(しだれざくら)は長寿で、全国に名木が多い。
 沖縄ではカンヒザクラ(寒緋桜)の花見を愉しむ。
この花は風雨に負けず長く咲いた後、花ごと落ちる。
沖縄ではカンヒザクラが咲くのに必要な寒さが足りず、寒波の南下を待って咲くので、桜前線が沖縄本島北部から離島へと南下する。

  山又山山桜又山桜  阿波野青畝(あわのせいほ)

(『季語の科学』尾池和夫 淡交社 令和3年)
 岩波書店のTwitterに

夏四月の丙寅の朔戊辰に、皇太子、親ら肇めて憲法十七条作りたまふ――
『日本書紀』によれば、聖徳太子が「憲法十七条」を作ったのは推古天皇12年4月3日のこと。
有名な第一条「和なるを以て貴しとし」をはじめ、官人への道徳的規範を示します。


日本書紀(四)』(岩波文庫)

Eテレ、TVシンポジウム「不比等が造る国のかたち~日本書紀1300年~
藤原不比等のことは、名前だけしか知らない程度だけど、シンポジウムを聞いていて興味深い人物だなと思った。
(「聖徳太子と奈良仏教 ――その普遍的理想の世界 中村 元」より)

 「和」の思想の背景

 聖徳太子は「和」を重んじて、当時の社会生活の基調にしようとしたが、調和を重んずる思想はすでに原始仏教において表明されている。
それはまた中道の理想につながるものである。
(『日本の名著2 聖徳太子』中村元責任編集 中公バックス 昭和58年)
 聖徳太子は、さらに、事を討論する場合に怒りを捨てるといことが、「ともにこれ凡夫のみ」という人間の相対性の自覚によってのみ可能であることを説いている。
「十に曰く、こころのいかり<忿>を絶ち、おもてのいかり<瞋>を棄てて、人の違(たが)うことを怒らざれ。人はみな心あり、心おのおの執(と)るところあり。かれ是(ぜ)なれば、われは非(ひ)とす。われ是とすれば、かれは非とす。われかならずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、詎(たれ)かよく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端なきがごとし。ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆にしたがって同じく挙(おこな)え」(口訳、414ページ <省略>)
  いかりを去って平静に和の気持をもって論ずるならば、事理はおのずから通ずる。
かくしてこそ、会議による決定ということも可能になる。
和の精神というものをもっていなければ、違った意見は決して解決点に到達しない。
果ては狭い範囲で人と人とが、あるいは集団と集団とが深刻に対立するにいたる。
 アショーカ王もまた自己反省の必要を説いている。
「ひとは一般に『われはこの善い事をなしとげた』といって、(自己の)善いことのみを見るのが常である。しかるに『われはこの悪いことを行なった』とか、あるいは『これこそ(われの有する)汚れなるものである』といって、(自己の)悪事を見ることをしない。一方では、このことは実に自省しがたいことではあるが、他方では実にかくのごとく観察しなければならない。すなわち『粗暴・乱暴・憤怒・高慢・嫉妬のような、これらのことがらは、汚れに導くものである。ねがわくは、実にわれわれはこれらのために亡ぼされないように』と」
  ところで、謙虚な反省にもとづく共同体活動の基底には、宗教がなければならぬと考えられた。
だから、聖徳太子は第二条において「篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬え」といい、ソンツェンガンポ王は十六条法の第一条において「三宝に対し信仰と尊敬を生ずること」をいい、第二条では「正法を欣求(ごんぐ)し、成就すること」を教えている。
「正法」とはこの場合仏教を指している。
さらに、もとにさかのぼって、アショーカ王の場合を見ると、一般人民に対して述べた岩石詔勅および石柱詔勅のなかでは、信教の自由を表明していて、とくに仏教だけを尊崇すべきことは教えていないが、仏教教団の人びとに対する詔勅のなかでは、「ブッダと法とサンガ」すなわち三宝に対する帰依を表明している。
「マガダなる温容ある王(アショーカ)は、サンガに敬礼して、その健康と安楽に住することと(の挨拶)を述べる。
 諸大徳よ、卿らは、われが仏と法とサンガに対していかに多くの尊敬と信仰とをなすかを知っているであろう」
 聖武天皇の「三宝の奴(やっこ)」という表現と対比することも、一つの問題であろう。
  聖徳太子における和の観念は、儒教から受けたものであるという解釈もなされている。
しかし、『論語』では、「礼之用、和為貴(礼の用は、和を貴しとなす)」となっていて、主題は「礼」であり、「和」ではない。
したがって、ここに太子が、礼と無関係に真っ先に和を原理として揚げていることは、実は仏教の慈悲の立場を現わしているのだともいえるであろう。
仏典でも「和敬」「和合」などということばは、しばしば用いられている。
これはもとは儒教で使われた語であったとしても、仏教における原理的なものを示すと考えられたので、シナの仏教徒がこの「和」という字を用いて訳したのを、聖徳太子がとり上げて仏教的な精神で生かしたわけなのであろう。
(『日本の名著2 聖徳太子』中村元責任編集 中公バックス 昭和58年)

続く
今朝の父の一枚です(^_^)v
カナリーヤシにサクラが寄生?していました。
今まで、ナンキンハゼがニョキニョキ出ているのは見たことがあるけど、サクラは気がつかなかったなぁ
ニッポンの里山 ふるさとの絶景に出会う旅「神秘のサクラ咲く森 三重県伊勢神宮
室町時代から自然のままという神宮の森には
神秘的な杉の大木があり、幹の途中から山桜の木が生えています。
偶然、杉の洞に落ちた山桜の種が成長したと考えられています。

昨日、父はかかりつけの病院を受診しました。
その時に、ワクチンについて聞いてきました。
というのも先日、ワクチンの接種券が届きました。
父は、主治医の先生に接種してもらいたいと伝えました。
先生もそうだねと言ってくれたそうですが、何時になるかは分からないとのこと。

市のHPを見ると、4月中に大阪府を通じて国から届けられるワクチン数が400未満になっています。
父は、今年90歳になるので4月中に受けることができるようです。
でも、電話で申し込まないといけない。
来週から受付なんだけど、なかなか繋がらないだろうなぁ…