2021年4月13日火曜日

本降りにならなくてよかった!

雨を覚悟していましたが、青空が見えるほどで、
このあと傘を閉じて歩けました。
今朝のEテレ0655のオープニングで

慶長17年(1612年)の4月13日に、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島(がんりゅうじま)の決闘が行われたと言われています。
巌流島は関門海峡に浮かぶ小さな島で、正式名称を船島といいます。
決闘に負けた、「巌流」佐々木小次郎の名がこの島に残され、巌流島と呼ばれるようになりました。


「佐々木小次郎」でこんなニュースがヒットしました。
のんびりした時代だなぁ(*´▽`*)

ある日の大阪城」(NHKアーカイブス 1950年)
今月の100分de名著「論語と算盤 渋沢栄一」
第2回 『信用』で経済を回せ
の中で、『論語』「顔淵(がんえん)」が紹介されていました。
テキスト「渋沢栄一『論語と算盤』 2021年4月」には、講師の守屋淳さんの現代語訳が載っています。
ここでは、加地伸行氏の書き下し文と現代語訳を転記しますφ(..)
顔淵 第十二 七 

子貢(しこう)(まつりごと)を問う。
子曰(しいわ)く、食(しょく)を足(た)らし、兵を足らし、民(たみ)(これ)を信(しん)ず、と。
子貢曰く、必(かなら)ず已(や)むを得(え)ずして去(さ)らば、斯(こ)の三者(さんしゃ)に於(お)いて、何(なに)をか先(さき)にせん、と。
曰く、兵を去ん、と。
子貢曰く、必ず已むを得ずして去らば、斯の二者(にしゃ)に於て、何をか先にせん、と。
曰く、食を去らん。
(いにしえ)(よ)り皆(みな)死有り。
民、信ずる無(な)くんば立(た)たず、と。
(『論語 増補版』加地伸行 講談社学術文庫 2009年)
現代語訳

 子貢(しこう)が為政者の心構えを質問した。
老先生はこうおっしゃられた。
「民の生活の安定、十分な軍備、そして政権への信頼である」と。
すると子貢は質問した。
「〔食・兵・信の〕三者の内、どうしても棄てなければならないとしましたならば、まずどれでしょうか」と。
老先生は「軍備だ」と答えられた。
子貢はさらに質問した。
「では残った二者の内、どうしても棄てなければならないときは、どれでしょうか」と。
老先生はこう教えられた。
「生活だ。〔もちろん食がなければ死ぬ。しかし〕古来、人間はいつか必ず死ぬ。〔けれども〕もし為政者への信頼がなければ、国家も人も立ちゆかないのだ」と。

  (注)「民無信不立」について諸説あるが、民の為政者への信頼とする(「集注」)。
(『論語 増補版』加地伸行 講談社学術文庫 2009年)
トリチウムなど含む処理水 薄めて海洋放出の方針決定 政府」(NHK)

「風評被害」は、時がくればなくなるかもしれませんが、健康被害はすぐに現われない。
原発事故の後始末を福島などに押しつけ
米軍基地の負担を沖縄などに押しつける政府に「信頼」などない。

望月衣塑子さんのTwitterにあるように

菅政権、無責任の極みである。

漁業者「国も東電も信用できない」 6年前の約束どこへ〟(東京新聞)

相馬市の男性漁師(69)は、東電が2015年に処理水の処分を巡り県漁連に「関係者へ丁寧に説明し、理解無しにはいかなる処分もしない」と約束したことに触れ、「(放出は)約束違反だべ」
4月13日は、石川啄木の命日です。
〝にほんごであそぼ 文楽「はたらけど…」

年譜 明治45年 1912年 27歳
3月7日、母かつ肺結核で死去。享年66歳。
4月9日、土岐哀果の尽力で東雲堂書店と第二歌集の出版を契約、二十円の稿料を受けとる。
4月13日、早朝危篤に陥り、午前9時30分わが子重態の報に室蘭より上京した父一禎、妻節子、友人若山牧水にみとられながら永眠。
病名は母と同じ肺結核。法名啄木居士。
4月15日、浅草松清町の等光寺で葬儀執行、会葬者50名。
翌年3月、遺骨を遺族の住む函館に移し、立待岬に一族の墓地を定めて葬る(現在の墓碑は宮崎郁雨ら有志の手により大正15年8月1日建立)。
この年6月14日、次女房江誕生。
6月20日、第二歌集『悲しき玩具』を東雲堂書店より出版。
書名は土岐哀果の命名による。
  岩城之徳
(『日本の詩歌5 石川啄木』 中公文庫 1974年)
大逆事件
 「時代閉塞の現状」


 だが、大逆事件でさらに大きなショックをうけたのは、上京して『朝日新聞』の校正係をしていた石川啄木である。
かれは事件をきっかけにして、かえって「社会主義に関する書籍雑誌を聚(あつ)」め、読み始めた。
43年を回顧して、かれは日記にこう書いた。
  「思想上に於て重大な年なりき。予はこの年に於て予の性格、趣味、傾向を統一すべき一鎖鑰(さやく)を発見したり。社会主義問題これなり。予は特にこの問題について思考し、読書し、談話すること多かりき。ただ為政者の抑圧非理を極め、予をしてこれを発表する能わざらしめたり」
(『日本の歴史22 大日本帝国の試練』隅谷三喜男 中公文庫 改版2006年)
 実はこの年8月、かれは「時代閉塞の現状」と題する日の目を見なかった一大論文を書いた。
 その直接のきっかけは、かつて藤村操(ふじむらみさお)の死に刺激され、個人主義のチャンピオンとなった魚住影雄(うおずみかげお)が、『朝日新聞』に書いた「自己主張としての自然主義」である。
魚住はそこで当時の流行であった自然主義をとりあげ、「一見矛盾に見える自然主義と自己主張との関係に就いて」論じ、こう主張した。
 「現実的、科学的、従って運命論的な思想が、意志の力をもって自己を拡充せんとする自意識の盛んな思想と結合して居る。此の奇なる結合の名が自然主義である。彼等は結合せんためには共同の怨敵(おんてき)を有(も)って居る。即ちオーソリティである」
 「殊に吾等日本に取っては家族と云うオーソリティが二千年来の歴史の権威と結合して個人の独立と発展とを妨害して居る」(『折蘆遺稿(せつろいこう)』)
 啄木は、運命論的、自己否定的な「純粋自然主義」は、すでに理論上「最後を告げている」と考え、その自然主義は日本ではロマン主義的な自己主張と結びつくことによって、積極的な意味をもったという魚住の主張を認めながら、この奇妙な結合をもたらしたのが国家権力であった、という論点を批判するのである。
 「我々日本の青年は未だ嘗(かつ)て彼の強権に対して何等の確執をも醸(かも)した事がないのである、従って国家が我々に取って怨敵となるべき機会も未だ嘗て無かったのである」
 自然主義はかつて田山花袋(たやまかたい)がいったように、「何事も真相でなければならん、何事も自然でなければならぬ」として、いっさいの虚飾を去ってあるがままの姿を明らかにしようとし、そのためには「世間に対して戦うと共に自己に対しても勇敢に戦」ってはきた。
にもかかわらず、これまで強権を敵と認めることはできなかった自分たちの弱さを、啄木は、大逆事件に触発されて反省するのである。
 「今や我々には、自己主張の強烈な欲求が残っているのみである。自然主義発生当時と同じく、今猶(なお)理想を失い、方向を失い、出口を失った状態に於て、長い間鬱積して来た其自身の力を独りで持て余しているのである。すべて今日の我々青年が有っている内訌的、自滅的傾向は、この理想喪失の悲しむべき状態を極めて明瞭に語っている。――そうしてこれは実に『時代閉塞』の結果なのである」
 「斯くて今や我々青年は、此自滅の状態から脱出する為に、遂に其『敵』の存在を意識しなければならぬ時期に到達しているのである。我々は一斉に起って先ず此時代閉塞の現状に宣戦しなければならぬ。自然主義を捨て、全精神を明日の考察――我々自身の時代に対する組織的考察に傾注しなければならぬのである」
 啄木は樗牛(ちょぎゅう)以来の自然主義を考察しながら、権力を批判し、時代を組織的に考察する立脚点として、社会主義を設定するのである。
 その啄木は大逆事件の判決のあった日、日記にこう書いた。

  「今日程予の頭の昂奮していた日はなかった。二時半過ぎた頃でもあったろうか。『二人だけ生きる生きる』『あとは皆死刑だ』『ああ二十四人!』そういう声が耳に入った。予はそのまま何も考えなかった。ただすぐ家へ帰って寝たいと思った。『日本はダメだ』」
  翌日も新聞を読んで涙がで、「畜生! 駄目だ」という言葉がわれ知らずに口にでた。
その数ヵ月後、かれの作った詩、

 われは知る、テロリストの
 かなしき心を――
 言葉とおこなひとを分ちがたき
 ただひとつの心を、
 奪はれたる言葉のかはりに
 おこなひをもて語らんとする心を、
 われとわがからだを敵に擲(な)げつくる心を
 しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。

 はてしなき議論の後の
 冷めたるココアのひと匙を啜(すす)りて、
 そのうすにがき舌触りに、
 われは知る、テロリストの
 かなしき、かなしき心を。

 その啄木は明治四十五年四月、貧窮のうちに骨と皮ばかりにやせ衰えて死んだ。
(『日本の歴史22 大日本帝国の試練』隅谷三喜男 中公文庫 改版2006年)
今朝の父の一枚です(^_^)v

昨日の番組 ニッポン印象派「東京 春の宵
2019年にBS4Kで放送されたようです。
総合で再放送されたおかげで見ることができました。
梅、桜、月、藤と春の映像も素敵でしたが、春の宵にちなんだ俳句が紹介されていて
こんな句があるんだ!いいなぁと見ていると、その中に

  夜桜の見る人もなく咲き満てり  大道寺将司

彼がこんな句を作っているのにビックリしました。
見逃し配信が4/19(月) 午後2:34 まで

坂本史衣さんのTwitterに

トップがほいっと出す指示を“混乱のない“実運用に落とし込む作業はことのほか大変なんですが…実務担当の方、頑張ってください。
(日常的に指示を出す立場の人には豊かな想像力も必要で。ガラガラポンと言った通りの結果が出てくる仕組みが出来るまでの過程について。)


を読んで、次の記事が頭に浮かびました。

大阪市長“市立総合医療センター 病床を極力コロナ重症用に”」(関西NHK)