2017年11月28日火曜日

会えなかったな…(T^T)

今日は、午後からやってきました。
小春日和の暖かさというより暑かったです(^_^;)
キチョウが飛び回っていました(^。^)
でも、小鳥たちには出会えませんでした(T^T)

秋の蝶烈しく飛べり男病む  加藤拝星子(神戸)
(『ふるさと大歳時記5 近畿ふるさと大歳時記』角川書店 平成5年)
青空が広がっていました。
前を行く幼子(二歳位?)はゆっくりゆっくりですがよく歩いていました。
この後、かなり歩いたところで再び出会いました。
夜、妹にその話をすると妹も子育てにベビーカーを利用しなかったそうです。
たまはりし秋ばらの花かめにあふれみ仏のまへ貴(あて)ににほふも   和辻 照
  貴=気高く、優雅に。
(『昭和萬葉集 巻十五 昭和元禄 昭和43年~44年』講談社 昭和55年)
 秋の空馬の千鞍(ちくら)に花かざり我を奪(と)る子は山越えて来ぬ
(『石上露子全集』大谷渡編 東方出版 1998年)

石上露子(いそのかみつゆこ)」(富田林寺内町の探訪)
山家集 中 雑 795
  寄紅葉(紅葉ニ寄スル)懐旧といふことを、
  宝金剛院にて詠みける
いにしへを 恋ふる涙の 色に似て 袂(たもと)に散るは 紅葉(もみぢ)なりけり

昔を恋い慕う血の涙の色にも似て、涙とともに袂に散りかかるのは紅葉であることよ。
いにしへ 待賢門院(たいけんもんいん)は久安元年(1145,西行28歳)崩御。
従ってこの宝金剛院再興の主待賢門院御在世の折を指すと考えられる。
涙の色 亡き女院を偲び申し上げる哀傷の血の涙。
(『山家集』西行著 後藤重郎校注 新潮社 1982年)
拾遺愚草員外雑歌 
みな人の心にしのぶ秋の野をほにいでてなびく花薄哉

人は皆、心の中で秋の夜のあわれさを偲んでいるのに、
穂を出してはっきりと様子をあらわして靡いている花薄よ。
(『藤原定家全歌集 下』久保田淳校訂 ちくま学芸文庫 2017年)
  山を詠む
春は萌え夏は緑に紅の綵色(しみいろに見ゆる秋の山かも(2177)

  歌意
春は草木が萌え出し夏は緑色になり、そして紅に色づいて見える秋の山であるなあ。

(略)

   鑑賞
 この歌は「山を詠む」とあり、山の季節による変化を詠んでいる。
すなわち春になると草木の芽を出してくる状態をうたい、夏になって緑になり、
秋になると紅にもみじする状態を簡明に歌っている。
『万葉集』では「もみぢ」というばあい「黄葉」と書くことが圧倒的に多いが、
この歌では「紅の綵色」とあって、平安時代に多く用いられる「紅葉」と書く出発点がここに見られる。
説明的といえば説明的であるが、
短歌形式の中でまとまってこのように四季の推移を表わしている点に注目すべき価値がある。
もとより次の歌の主題には「詠黄葉」とあって「黄葉」とあるので、
この歌に「紅」とあるのは、特殊のばあいというべきであろう。
(『万葉秀歌(四)』中西進 講談社文庫 1983年)