最初に会えたのはコサメビタキ(^-^)
出かけるときに小雨だったのですが
車で公園に向かっている間に本降りになりました…
車で公園に向かっている間に本降りになりました…
帰る頃には小雨になり、曇り空になっていました。
渋柿(しぶがき)ややがて帋子(かみこ)の帰り花
足元へいつ来(きた)りしよ蝸牛(かたつぶり)
前文によると、医師の投薬が効き、父の病状が好転した時の作。
(『新訂 一茶俳句集』)
(『新訂 一茶俳句集』)
父は、今まで撮影した画像を真剣に見ています(^。^)
午後から家電量販店に行ってHDMIのケーブルを購入しました。
夕食の時に妹と三人でテレビにデジカメを接続して
夕食の時に妹と三人でテレビにデジカメを接続して
父の画像を見ながら母の好きな花を教えてもらいました(^-^)
第二十一段
万(よろづ)のことは、月見るにこそ、慰(なぐさ)むものなれ、ある人の、
「月ばかり面白(おもしろ)きものはあらじ」と言ひしに、
またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。
折にふれば、何かはあはれならざらん。
月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。
岩に砕(くだ)けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分(わ)かずめでたけれ。
「沅(げん)・湘(しやう)、日夜(にちや)、東(ひんがし)に流れ去る。
愁人(しうじん)のために止(とゞ)まること少時(しばらく)もせず」といへる詩を見侍(みはんべ)りしこそ、あはれなりしか。
嵆康(けいかう)も、「山沢(さんたく)に遊びて、魚鳥(ぎよてい)を見れば、心楽しぶ」と言へり。
人遠く、水草(みづくさ)清き所にさまよひありきたるばかり、心慰(なぐさ)むことはあらじ。
(『新訂 徒然草』)
万(よろづ)のことは、月見るにこそ、慰(なぐさ)むものなれ、ある人の、
「月ばかり面白(おもしろ)きものはあらじ」と言ひしに、
またひとり、「露こそなほあはれなれ」と争ひしこそ、をかしけれ。
折にふれば、何かはあはれならざらん。
月・花はさらなり、風のみこそ、人に心はつくめれ。
岩に砕(くだ)けて清く流るゝ水のけしきこそ、時をも分(わ)かずめでたけれ。
「沅(げん)・湘(しやう)、日夜(にちや)、東(ひんがし)に流れ去る。
愁人(しうじん)のために止(とゞ)まること少時(しばらく)もせず」といへる詩を見侍(みはんべ)りしこそ、あはれなりしか。
嵆康(けいかう)も、「山沢(さんたく)に遊びて、魚鳥(ぎよてい)を見れば、心楽しぶ」と言へり。
人遠く、水草(みづくさ)清き所にさまよひありきたるばかり、心慰(なぐさ)むことはあらじ。
(『新訂 徒然草』)
σ(^_^;の好きな段です。
現代語訳は、「徒然草 第二十一段」等で検索すればヒッとします。
枯るるまで風に従ふ秋桜 西村和子(般若寺)
(『ふるさと大歳時記5 近畿ふるさと大歳時記』)
(『ふるさと大歳時記5 近畿ふるさと大歳時記』)
スズメの目的は柿ではなくて、柿の木の下が田んぼです(^_-)
逢(あ)ひた見たさは飛び立つ如(ごと)く 籠(かご)の鳥かや恨めしや
(略)
これを男の歌とする説もあるが、全体の発想からは、
やはり女の嘆きを伝える歌と解すべきか。
「籠の鳥」は、郭(くるわ)の中に束縛されている遊女とも、
親に自由をおさえられている子女の意にもとれる。
この歌も江戸の延宝(1673-81)頃からの流行小唄として類歌が多く、
近代では大正12年(1923)頃、新作の流行歌「籠の鳥」の原歌となる。
(『山家鳥虫歌 近世諸国民謡集』)
これを男の歌とする説もあるが、全体の発想からは、
やはり女の嘆きを伝える歌と解すべきか。
「籠の鳥」は、郭(くるわ)の中に束縛されている遊女とも、
親に自由をおさえられている子女の意にもとれる。
この歌も江戸の延宝(1673-81)頃からの流行小唄として類歌が多く、
近代では大正12年(1923)頃、新作の流行歌「籠の鳥」の原歌となる。
(『山家鳥虫歌 近世諸国民謡集』)
チカラシバ(イネ科)
巻第十一 2777
畳薦隔編(たたみごもへあ)み、しましま通はさば、道の芝草生ひざらましを
畳薦隔編(たたみごもへあ)み、しましま通はさば、道の芝草生ひざらましを
エゾビタキに会えました。
昨日のコサメビタキの説明で
「飛びながら空中に停まったり、Uターンしたりするのが得意で、
飛んでいる昆虫を上手にキャッチする。」
と転記しましたが、素早い動きにピントを合わせることができませんでしたσ(^◇^;)
「飛びながら空中に停まったり、Uターンしたりするのが得意で、
飛んでいる昆虫を上手にキャッチする。」
と転記しましたが、素早い動きにピントを合わせることができませんでしたσ(^◇^;)
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m