天気予報では午前中は曇りだったけど…
あと先に人声遠し柿紅葉 暁 台
(『図説俳句大歳時記 秋』角川書店 昭和39年)
(『図説俳句大歳時記 秋』角川書店 昭和39年)
わが傘の影の中こき野菊かな 杉田久女
(『日本の詩歌30 俳句集』 昭和45年)
(『日本の詩歌30 俳句集』 昭和45年)
ミゾソバ(タデ科)
人妻の暁(あかつき)起(おき)や蓼(たで)の雨
郷君(がうぎみ)の暁起や蓼のあめ
○蓼(夏) 小川や沼などの湿地に生ずる一年草。
夏、その葉を採って辛味に賞する。
▼早朝に起き出して家事にいそしむ人妻の姿と、流し元の小溝に自生する蓼に降り注ぐ雨の取り合わせ。
盛夏の雨は農作に不可欠な慈雨として、農家の人々の心を弾ませる。
「郷君」は、漢語「郷君(きょうくん)」、もと貴人の妻で封土を持つ者のこと。
訓読して豪農の内儀の意に用いたか。
(『蕪村全集 第一巻 発句』)
夏、その葉を採って辛味に賞する。
▼早朝に起き出して家事にいそしむ人妻の姿と、流し元の小溝に自生する蓼に降り注ぐ雨の取り合わせ。
盛夏の雨は農作に不可欠な慈雨として、農家の人々の心を弾ませる。
「郷君」は、漢語「郷君(きょうくん)」、もと貴人の妻で封土を持つ者のこと。
訓読して豪農の内儀の意に用いたか。
(『蕪村全集 第一巻 発句』)
ここで詠まれている食用の蓼は、ミゾソバではないと思うのですが(^_-)
重い雲をしょって行く所がない
(『ずぶぬれて犬ころ』住宅顕信 中央公論新社 2002年)
(『ずぶぬれて犬ころ』住宅顕信 中央公論新社 2002年)
薔薇よ薔薇むかし吾が手の哀しくて
(『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 川村蘭太 新潮社 2011年)
(『しづ子 娼婦と呼ばれた俳人を追って』 川村蘭太 新潮社 2011年)
風船をつれコスモスの中帰る 石原八束(やつか)
子供と一緒に遊園地へ遊びに行き、風船を買わされ、コスモスの咲く中を帰るというので、子供とコスモスはよく似合いますね。
私も若いころ、「コスモスの遊園地まで子を送る」とつくったことがあります。
(『私の季語手帖』井本農一 小学館 1998年)
私も若いころ、「コスモスの遊園地まで子を送る」とつくったことがあります。
(『私の季語手帖』井本農一 小学館 1998年)
実南天煩わしきは振り向かず 永津短夜
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)
(『川柳歳時記』奥田白虎編 創元社 昭和58年)
百性も藁(わら)で作つた物でなし 雪曙
武士に対する怒りが出ている。
「下層の人間であっても、熱い血は流れているのだ。あまりばかにするな」と言いたいし、
「一寸の虫にも五分の魂がある」というのである。
藁人形のかわりに、人を斬りたい武士のためし斬りを思わせる。
ただし、この場合は、土下座の頭でもけとばして歩いたのでもあろう。
百性。性は姓に通じて使用。
(『黄表紙 川柳 狂歌』
「下層の人間であっても、熱い血は流れているのだ。あまりばかにするな」と言いたいし、
「一寸の虫にも五分の魂がある」というのである。
藁人形のかわりに、人を斬りたい武士のためし斬りを思わせる。
ただし、この場合は、土下座の頭でもけとばして歩いたのでもあろう。
百性。性は姓に通じて使用。
(『黄表紙 川柳 狂歌』
浜田義一郎 鈴木勝忠 水野稔 校注 小学館 昭和46年)
山家集 中 恋 669
日を経(ふ)れば 袂(たもと)の雨の 脚(あし)そひて 晴るべくもなき わが心かな
日を経(ふ)れば 袂(たもと)の雨の 脚(あし)そひて 晴るべくもなき わが心かな
逢った後、日を経てもなかなか逢えないので、
袖に涙の雨脚が激しくなり、晴れるはずもない自分の心だよ。
◇袂の雨の脚そひて 袂に流れる涙を激しい雨脚にたとていう。
「雨」「晴る」は縁語。
(『山家集』)
袖に涙の雨脚が激しくなり、晴れるはずもない自分の心だよ。
◇袂の雨の脚そひて 袂に流れる涙を激しい雨脚にたとていう。
「雨」「晴る」は縁語。
(『山家集』)
0 件のコメント:
コメントを投稿
申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m