しかたがないので眼科→耳鼻科→整骨院と病院巡りをしました。
明日は、台風が近づくので雨がもっとひどくなるのですが…
夕方、妹と姪にショッピングセンターで合流して
父と四人で夕食を食べました。
姪と一緒に食事をするのが父の楽しみです(母も楽しみにしていました)。
沖縄旅行以後、姪とは初めての夕食なので
プリントアウトした写真を見ながら1週間の違いで
台風に遭わずにすんだねと話していました。
これも母のおかげです。
○ ○ ○ ○
今、人前で読むことが出来ない本があります。
以前、紹介もしているのですが
母が亡くなってからは違った思いで読んでいます。
おはやうとわれらめざめてもう二度と目を開くなき君を囲めり 永田和宏
■最期の歌
(略)
もうすぐ死のうとしている人。
死の間際まで、あの楽しい時間の記憶が彼女の心を満たし続けてくれることを祈る。
その記憶が私たち家族だったのだから。
一時間ほども眠ったあと、ベッドの両側から見つめている私たちに気付いたようだ。
不思議そうに眺めて、呟(つぶや)くようにゆっくり、かろうじて聞き取れるほどの小さな声で話し始めた。
「あなたらの気持ちがこんなに…」。
あっ、と思う。
「ちょっと待って」と、すぐに原稿用紙を開く。歌なのである。
「こんなにわかるのに」と、鉛筆を走らせる。
しばらく時間があって、「言い残すことの何ぞ少なき」。
あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
一首ができると、言葉が次々に芋づるのように口にのぼってくるようだ。
十分ほどの間に、数首ができた。
最後の一首は、
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
こんな風にして河野裕子は死の前日まで歌を作った。
生まれながらの歌人だったのだと思う。
翌十二日。やはり苦しさの発作の最後に、「われは忘れず」と呟いた。
「それから?」と促すと、
「うん、もうこれでいい」と言った。
それが歌人河野裕子の歌との別れであった。
(22.9.4)
(『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日』)
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m