やはり台風の影響で朝から雨
午前中は、父がホームセンターで買い物をしたいと言ったので運転手(^。^)
その後、妹とショッピングセンターで買い物をしました(^-^)
午後からは、ハガキの作成をしました。
昨日録画した「村田諒太 父子でつかんだ世界王座」を見ました。
試合前の村田選手の記事を読んでいると、かなり不調だと書かれていました。
そんな村田選手が調子を取り戻し試合に勝てた理由が分りました。
不調で暗い顔だった村田諒太さんが、一気に笑顔になった。
それは父誠二さん、そして家族への思い(責任感)が
ふっきれたような笑顔に変え、試合に勝てたのだと感動しました。
(試合は、見ていません。誠二さんと同じです)
村田諒太さんが心の支えにしていた本の一冊が
誠二さんが贈ったフランクルの『夜と霧』です。
極限の状態で試合に臨む村田さんだからこその読みがあると思いました。
池田香代子さんの新版から一部抜き書きします。
かつてドストエフスキーはこう言った。
「わたしが恐れるのはただひとつ、わたしがわたしの苦悩に値しない人間になることだ」 (P112)
およそ生きることそのものに意味があるとすれば、
苦しむことにも意味があるはずだ。
苦しむこともまた生きることの一部なら、
運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。
苦悩と、そして死があってこそ、
人間という存在ははじめて完全なものになるのだ。 (P113)
ニーチェの的(まと)を射た格言だろう。
「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」 (P128)
生きることは日々、そして時々刻々、問いかけてくる。
わたしたちはその問いに答えを迫られている。
考えこんだり言辞を弄(ろう)することによってではなく、
ひとえに行動によって、適切な態度によって、正しい答えは出される。
生きるとはつまり、生きることの問いに正しく答える義務、
生きることが各人に課す課題を果たす義務、
時々刻々の要請を充たす義務を引き受けることとにほかならない。 (P130)
自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、
生きることから降りられない。
まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、
ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。 (P134)
(『夜と霧【新版】』池田香代子訳)
新版と旧版の違いについて
これは訳すべきだった、というのが、訳了した感想だ。
なぜなら、霜山氏が準拠した1947年刊の旧版と
このたび訳出した1977年刊の新版では、かなりの異同があったからだ。
この「異同」については、本を手に取ってください。
霜山徳爾訳も読むことができます。
以前、100分de名著「フランクル『夜と霧』」で取り上げられていました。
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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m