電車から外を見ると一面に雲が覆っていたのですが
一画だけポッカリ四角く抜けているところがありました.
子どもの頃,夜店や紙芝居などで「カタヌキ菓子」というのがあったのですが(*^ー゜)
両親とお墓の掃除に行ってきました.
発病する前に行ったきりです…
コノシメトンボかな?
前回,墓掃除に来たときは黄檗山万福寺を参拝したのですが
両親と別れてJR六地蔵駅にやって来ました.
本当は,京阪六地蔵駅の方が目的地に近かったのですが
霊園への送迎バスを待っているときにJR黄檗駅構内のトイレを使わせてもらったので(*^ー゜)
道標「ひだり ふしみ みち
みぎ 京みち」
境内で工事が行なわれていました…
やって来たのは「大善寺」
法雲山浄妙院(ほううんざんじょうみょういん)と号する浄土宗寺院.
根本(こんぽん)六地蔵の名で知られる.
705(慶雲<けいうん>2)年,藤原鎌足の長子定恵(じょうえ)の創建.
852(仁寿<にんじゅ>2)年,園城寺(おんじょうじ)の僧智証(ちしょう)が入寺し,堂塔を整備した折に天台宗に改められた.
小野篁(おののたかむら)自刻と伝える6体の地蔵尊像を地蔵堂にまつったが,保元(ほうげん)年間(1156~59)に6地蔵を主要な街道筋に分祀(ぶんし)したという.
中世にはいって兵乱により荒廃し寺観もさびれたが,1561(永禄<えいろく>4)年に頓誉琳公(とんよりんこう)が再興.
その際に浄土宗に改宗.
現在の境内には,本堂や地蔵堂・東福門院(とうふくもんいん)が寄進した鐘楼(しょうろう)などがたつ.
地蔵堂に安置される地蔵尊は国重文.
(『京都洛東・洛南散歩24コース』京都史跡見学会編 山川出版社 2004年)
菊の花の瓦
瑞泉寺では,消されていました.
瑞泉寺では,消されていました.
「阿」
「吽」の獅子がいるのは
向拝の上です(*^ー゜)
本堂「浄妙殿」
本尊は丈六の阿弥陀仏
観音堂は,格子の間からのぞいたのですが
厨子の扉が閉まっていたので十一面観音像を拝めませんでした.
厨子の扉が閉まっていたので十一面観音像を拝めませんでした.
かぶり物をされているのだけど…
六地蔵堂の地蔵尊…
宝珠?の持ち方が違いますが…
六地蔵堂の地蔵尊…
宝珠?の持ち方が違いますが…
長年,風雨にさらされて摩耗しているのですが…
なんか穏やかなお顔が浮んできます(*^-^*)
大善寺に来ようと思ったのは「六地蔵堂」
【六地蔵巡り】
六地蔵とは伏見六地蔵の大善寺にあった6体の地蔵尊像を分祀されたという,以下に示すおもな街道筋にある6カ寺の地蔵尊をさす.
小野篁が冥途(めいど)で生身(なまみ)の地蔵尊にあい,その姿を写したものといい,一木から6体の地蔵尊像をつくって安置したという.
保元年間(1156~59)に西光法師(さいこうほうし)が平清盛の命で,七道(しちどう)(東海道・東山道・北陸道・山陰道・南海道・西海道)の辻に6体の地蔵をまつり,巡り地蔵といったと『源平盛衰記(げんぺいじょうすいき)』にある.
大善寺(伏見区六地蔵・奈良街道/根本地蔵)
浄禅寺(じょうぜんじ)(南区上鳥羽<かみとば>・鳥羽街道/鳥羽地蔵)
地蔵寺(西京<にしぎょう>区桂・山陰街道/桂地蔵)
源光寺(げんこうじ)(右京区常盤<ときわ>・周山街道/常盤谷<おとこだに>地蔵・乙子<おとこ>地蔵)
上善寺(じょうぜんじ)(上京区出雲路・鞍馬<くらま>街道/姉子<あねこ>地蔵)
徳林庵(とくりんあん)(山科区四ノ宮<しのみや>・東海道/四ノ宮地蔵)
例年8月22・23日の両日の地蔵盆に上記の6カ寺を巡拝し,家内安全・商売繁盛・無病息災などを祈る「六地蔵巡り」が行われる.
地蔵は道案内の仏として,現世と冥途の境界にあって迷える衆生(しゅじょう)を救うとされた.
そのために,京の出入口である主要な街道口にまつられたのである.
(『京都洛東・洛南散歩24コース』京都史跡見学会編 山川出版社 2004年)
工事中のために鐘楼には近づけませんでした…
もっと回りたかったのですが,天気がよすぎたので
無理をせずに帰ることにしました.
地元に戻って野菜たっぷりの黒酢ラーメンをいただきました.
ラーメンが好きなのですが,発病後,ラーメンを食べた後に体調不良(下痢・嘔吐)になり用心しています.
でも,ここの黒酢ラーメンは大丈夫です(^_^)v