何度か書いていますが、この松原橋が元々の五条の橋です。
「五条大橋は実は六条坊門通に架かっています。
天正18年(1590)、豊臣秀吉が方広寺の造営にあたり資材を運ぶために橋を付け替えました。
それに伴い五条通と呼ばれるように。
かつての五条橋は現在の松原橋。
清水寺の参道として栄えました。」
(「京都 鴨川 橋ものがたり」京都鴨川納涼床協同組合)いつも通り過ぎるのだけど、いつか覗いてみたいなぁ……
鴨さんのオススメのお店が
「洛東散歩はハッピー六原『あさの』のパン」(2012年6月6日 水曜日)
清盛で訪れる方が増えている六波羅密寺の近くにあるハッピー六原。
その一角にお店を構えているのがこちら「あさの」さん。
私の学生時代からずーっと変わらぬ店構え。
正しくは「麻野製菓」さんといいますが
パン屋さんなのかお菓子屋さんなのか昔からわかりません。
でもそこは京の下町、庶民の味方?
「おはぎ」やら「あゆ」やらおなじみの和菓子も置いています。
こっちが本筋?
こーゆうお店好きだぜぃ。
ディアマンもあるぜぃ。
クリームパンが美味しくなったんや、と自慢しているぜぃ。
あんぱん137円もおいしかったぜぃ。
・・・ふー、ちょっと疲れます、ワイルドな優子さんのまね。
何はともあれ、東山の異世界?ハッピー六原。
覘いてみてはいかがですか(^_-)8月7~10日の「精霊迎え(六道まいり)」で
ご先祖さまをお迎えするために鐘を撞くのですが、
ご先祖さまが冥土にお帰りになる日に撞きました(^^ゞ
「迎え鐘」の解説に
〝「今昔物語」巻三十一にも同巧異曲(どうこういきょく)でみられる〟
とあるので 巻第三十一
愛宕寺(おたぎでら)に鐘(かね)を鋳(い)る語(こと) 第十九
今は昔、小野篁といった人が愛宕寺を建立し、その寺で使うために鋳もの師に鐘を鋳造させたところ、鋳もの師は、「この鐘はつく人がなくても、十二の時ごとに毎回鳴るようにつくるつもりです。それには、鋳造したあと、土を掘ってうずめ、三年間そのままにしておかなければなりません。今日から、ちょうどまる三年間たった、その翌日、掘り出さなければなりません。しかし日が足りないままに、あるいは、一日でもおそく、掘り出したならば、申しあげたように、つく人もなくて、二時間ごとになることはいたしません。そういう細工がしてあるのです」と言って、鋳もの師はかえっていった。
(『今昔物語集 本朝世俗篇(下)』武石彰夫訳 講談社学術文庫 2016年) こうして土にうずめたのであったが、その後、この寺の別当である法師が、それから二年すぎて、三年目になって、まだ、その当日にもならないのに、待ちきれずに、鋳もの師が言ったことが、うそかほんとうか、とても心配だったので、あさはかにも、その日にならないうちに、掘り出してしまった。
だから、その鐘は、つくものがなくても、十二の時ごとに鳴る鐘ではなく、ごくふつうの、ただの鐘で終わってしまった。
「鋳もの師が言ったように、決められた日に掘り出したなら、つく人がいなくても十二の時ごとに鳴っただろうに。そんな具合に鳴ったなら、鐘の音の聞こえるところでは、時刻も正確にわかり、すばらしかっただろう。じつに、残念なことをしてくれた別当だ」と、当時の人々は、さんざんに非難した。 されば、せっかちで、じっくりしんぼうできぬ人は、きっと、このように失敗するものだ。
心おろかで、約束をまもらないから、このような結果をまねくにいたるのである。
世間の人は、これを聞いて、決して人を信じないようなことがあってはならないと、こう語り伝えたということである。
(『今昔物語集 本朝世俗篇(下)』武石彰夫訳 講談社学術文庫 2016年)愛宕寺 鳥辺野のはずれにあった大寺。京都市東山区小松町に六道珍皇寺として現存。
十二時に 一日を子・丑・寅・卯・辰・巳・午・申・酉・戌・亥の十二時に分けた、その毎時に。現代の時間で、二時間毎に。古事談「六時ニナラサムト」
(『今昔物語集 本朝部 (下)』池上洵一編 岩波文庫 2001年)
ある法師の気持ちがわかるというか私も3年間も守れない人間です(^_^; 六道珍皇寺の裏にまわりました。
ブラタモリ「#69 京都・清水寺~人はなぜ清水を目指す?~」
で、タモリさんが六道珍皇寺の裏に回り、この段差をみていたと思います。八坂通を歩くと八坂の塔(法観寺)が目の前にそのまま行くと右手に「八坂庚申堂」
四天王寺の庚申堂では、少し早かったのですが
こちらは昨日14日が庚申日でした(T_T)
妹は、申年生れなので「くくり猿」のお守をいただきました。
同封されていた解説より くくり猿について
= くくり猿は“心”をコントロールするアイテム! =
あなたの心が「欲」に支配されないように
くくり猿は、お猿さんが手足をくくられ動けない姿を表しています。
お猿さんは、よく動き回る動物ですが、人の心も常に動き回って落ち着かないものです。
経典にも動き回る人の心をお猿さんに譬えて戒めています。
あなたの心が欲につられて動かないように、庚申さん(本尊)の霊力によってくくりつけようとしているのです。
お猿さんが走り回るように心が動き出し、悪心が起りそうなとき、努力を怠りそうなとき、集中力がなくなりそうなとき、庚申さんの怖い顔を思い出して、「罰が当たる」と自身を戒め、“心”をコントロールしてください。
願いを叶える秘訣は、欲を一つ我慢すること、欲を意欲に変えましょう!
…後略…
転記しながら思ったのは、これはσ(^^;)に必要だった…
八坂庚申堂
<由緒>
当寺は大黒山金剛寺八坂庚申堂と号し、大阪四天王寺庚申堂、東京入谷庚申堂(現存せず)と並び日本三庚申の一つで、ご本尊青面金剛(しょうめんこんごう)は、飛鳥時代に秦河勝(はたのかわかつ)が秦氏の守り本尊として招来したのを、浄蔵貴所(じょうぞうきしょ)が一般の人々にもお参りできるようにと、960年に建立した。
千年以上前のことである。
現在のお堂は延宝6年(1679年)の再建である。
「入谷」(「錦絵と写真でめぐる 日本の名所」国立国会図書館)
法観寺(ほうかんじ)・八坂の塔
霊応山(れいおうざん)と号し、臨済宗建仁寺派に属する。
寺伝によれば、聖徳太子が如意輪観音の夢のお告げにより建立し、往時は延期式七ケ寺に一つに数えられ隆盛を極めたが、現在は八坂の塔(五重塔)と太子堂、薬師堂の二宇を残すのみである。
八坂の塔は本瓦葺(ほんかわらぶ)き五層、方6メートル、高さ46メートルの純然たる和様建築で、白鳳時代の建築様式を今に伝えるものである。
創建以来、度々災火により焼失したが、その都度再建され、現在の塔は永享(えいきょう)12年(1440)に足利義教(よしのり)によって再興されたものである。
塔内には本尊五智如来像5体(大日、釈迦、阿閦<あしゅく>、宝生<ほうしょう>、弥陀)を安置し、須弥壇(しゅみだん)の下には古い松香石製の大きな中心礎石があり、中央には舎利器を納めた三重の凹孔が残っている。
寺宝として、塔を中心に当時の社寺を描いた紙本著色(しほんちょくしょく)八坂塔絵図のほか、足利義教画像、法観雑記など貴重な文化財を蔵している。
京都市前から気になっていたのだけど
グレーテルのかまど「竹久夢二のしるこセーキ」(初回放送2025年7月7日)などで紹介されたので並ばないと入れないだろうなぁと我慢していました。
でも、この京都の暑さを乗りきるにはとやってきましたp(^^)q
行列ができていたら諦めようと思ったけど10時頃に到着したので
並ばずに入店できました(店を出た時に何人か並んでいました)。
相席になった方は、私と同じくらいの年齢の男性でぜんざいを頼んでいたようです。
古いデータの本などには開店11時になっていました。
火曜日が定休日。場所は、ちょっとわかりづらいかも知れません。
行列ができていたら諦めようと思ったけど10時頃に到着したので
並ばずに入店できました(店を出た時に何人か並んでいました)。
相席になった方は、私と同じくらいの年齢の男性でぜんざいを頼んでいたようです。
古いデータの本などには開店11時になっていました。
火曜日が定休日。場所は、ちょっとわかりづらいかも知れません。
恋するふたりを優しく包んだ 大正ロマンの面影追って
かさぎ屋
行き交う人たちのにぎやかな声が響く二寧坂。
この場所が静かな穏やかさに包まれていた大正時代、画家・竹久夢二とその恋人・彦乃。
ふたりの住まいの隣にあったかさぎ屋に、人目を忍んで裏口からこっそり訪れては、懐かしの〝関東風〟の汁粉の味を楽しんだとか。
それからおよそ100年が過ぎたが、店の雰囲気も、そして甘味の味も当時のまま。
そのおいしさの源は、店の奥にあるかまどだ。
毎日丹波産の小豆をぷっくり炊いて、艶やかな餡ができあがる。
タイムスリップしたかのような懐かしさにひたりながら味わえば、まさに絵のような、甘く切ない恋物語が目に浮ぶ。
(『京都はいつでも甘味びより』瓜生朋美他 らくたび文庫 2014年)
店内撮影禁止になっていたので諦めました。
志る古セーキは、お店の人に聞くと「いいですよ」と仰った。
私にはちょうどいい甘さでおいしかったです(^_^)v
かき氷などを食べると頭が痛くなるのですが
時々、お茶を含むと冷たさが緩和されました。
土瓶で小さなおちょこでちびりちびりとお酒を飲んでいる気分(^_-)
このあと、すぐそばにある「竹下夢二寓居の跡」を撮すつもりだったのに
次の目的地のことを考えて失念してしまいました(T_T)















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申し訳ありませんが,日本語だけを受けつけますm(_ _)m