2025年9月27日土曜日

彼岸を過ぎて

 昨日が彼岸明け
「暑さ寒さも彼岸まで」というように今朝は肌寒いくらいでした。
それでも日が高くなるとまだまだ暑いです。
イチョウの実が落ちていました。
 朝ドラ「あんぱん」が終りましたね。
エンディングは、のぶと嵩がイチョウ並木を歩いていました。
イチョウは1923年(大正12年)9月に発生した関東大震災の際、
延焼を防いだという事例が多くみられて
街路樹として植えられようになった経緯があります。

 イチョウ イチョウ科 

 …前略…

 イチョウは街路樹として、火災から街を守ることを求められています。
イチョウは燃えにくい木で、都内でも火災から生き延びたイチョウがたちがいます。
街路樹の過酷な剪定や踏まれて乾いた土に耐え、火災にも強いイチョウですが、何より苦手なのは過湿な土です。
池のそばの湿地や水はけの悪い場所はお手上げようで、枝先が枯れています。
元気がない木は黄葉もかなり早く始まります。
 本当に理解が難しい不思議ちゃんですが、ある種天然な古さが好まれ、今再び世界に広く植えられています。
(『散歩が楽しくなる 樹の手帳』岩谷美苗 東京書籍 2017年)

飛木稲荷神社のイチョウ【東京都】」(巨樹 巨木林データベース)
最終回第26週「愛と勇気だけが友達さ」 (130)
嵩が「体にいいと言われたものは全部 片っ端から試そう
と、のぶに伝えます。

 15 絶望のとなりに
 里中満智子のアドバイス
  

 暢の口癖は「私は悪妻かもしれないけど、元気が取り柄よ」で、どんなときも弱音を吐かなかった。
嵩はちょっと風邪をひいても「おれはもうだめだ。きっと悪い病気だ。もうすぐ死ぬ」と大げさにさわぐのに対して、暢は少しくらい体調が悪くても、仕事や家事をこなしているうちに「もう大丈夫」と元気になった。
 暢ががんと診断される前、嵩には白内障と腎臓結石で病院通いが続いた時期があった。
腎臓結石のときは一週間入院したが、暢は動きやすいように自分の髪を切って看病してくれた。
(『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』梯久美子 文春文庫 2025年)
 がんとわかったあとで、
「そういえばあなたが退院するので迎えに行ったとき、熱が三十八度あって気持ちが悪かったの」
 と嵩は聞かされた。
心配されたくないから言わなかったのだという。
 嵩は絶句した。
父と弟が短命だったこともあり、自分が死ぬことはいつも頭の片隅にあったが、暢が死ぬことについては一度も考えたことがなかった。
最期をみとってもらえるものとばかり思っていたのだ。
だから、自分がいなくなったあとのことを考えて、生前贈与もしたし、住んでいるマンションも半分は暢の名義にした。
それなのに……。
 暗い心でいたある日、嵩は所属していた日本漫画家協会の理事会に出席した。
うわの空で会議を終え、早く帰ろうと急いで外に出ると、小走りに追いかけてきた人がいる。
同じ会に出ていた漫画家の里中満智子だった。
「やなせ先生、何かありましたか?」
 暢の病気のことは漫画家仲間にも一切言っていなかった。
会議でもつくり笑いをして周囲に合わせていたつもりだったが、里中はいつもと違う嵩の様子に気づいていたのだ。
「よかったら、私に話してください」
 少女漫画の世界と無縁だった嵩は、里中とは特に親しい間柄というわけではなかった。
顔を合わせれば話はするが、若いときから超のつく売れっ子で、漫画界のマドンナ的存在の里中は、自分とは別世界の人のように思っていた。
 その里中が嵩を気にかけ、わざわざ追いかけてきてくれたのだ。
嵩は妻ががんで余命三か月と言われたこと、そのためにも夜も眠れないことをうちあけた。
すると里中は言った。
「実は私もがんだったの」
「えっ……?」
 嵩は驚いた。
目の前の里中はとても元気そうで、以前と少しも変わらない美しさだった。
 子宮がんだったという里中は、自分の闘病について詳細に教えてくれた。
子宮を温存したくて、いいといわれることは漢方や食事療法などすべて試し、丸山ワクチンを打ち続けたところ、お医者様から「もう大丈夫でしょう」と言われたそうだ。
「できる限りのことをやってみたらいかがですか。どうか元気を出してください」
 別れ際に里中はそう言って、そのあとすぐに自分が試したものをリストにして送ってくれた。
 暢のためにまだやれることがある――そう思うと、嵩は気力がわいてきた。
(『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』梯久美子 文春文庫 2025年)
奇跡が起きたのでしょうか。それから5年間のぶは病気がすっかり治ったかのように元気に暮らしました
というナレーションとともにのぶと嵩とワンちゃんが散歩をしていました。
やなせたかしさんと暢さんは大の愛犬家でした。

 第1章 奥さんのこと
 チャコちゃん
 

 やなせ先生が審査員として出演していた童謡コンクールの放送がその週の日曜日にあった。
奥さんは病室で見たようだった。
 そして、先生が心配した妹の瑛(えい)さんのお見舞いもごく自然にでき、楽しいひと時を過ごすことが叶(かな)った。
その翌日に奥さんは亡くなった。
 1993(平成5)年11月22日。
奥さんは75歳、私の入社から、わずか一年余りのことだった。

 …中略…

(『やなせたかし先生のしっぽ』越尾正子 小学館 2025年)
 書き忘れていたが、奥さんが亡くなった一ヶ月後にチャコちゃんも死んだ。
 奥さんがチャコちゃんを連れていった気がした。
 実を言うと私は子供の頃、秋田犬に追いかけられてとても怖い思いをした経験がある。
だからあまり犬は得意ではなかった。
 母は私が犬嫌いになってはいけないと思って、ことあるごとに「一緒に遊びたかったのよ」と言っていた。
そのためか犬を嫌いにはならなかった。
ただ、大人になっても少し怖かった。
 そんな私の後を、奥さんが亡くなって以降、チャコちゃんはくっついて離れなかった。
「チャコちゃんも寂しいのだな」
 そう思っていた矢先の出来事だった。
 たった一ヶ月だったが、私の後をついてきてくれたチャコちゃん。
チャコちゃんの死は、奥さんが逝ってしまった悲しみをさらに深いものにした。
(『やなせたかし先生のしっぽ』越尾正子 小学館 2025年)
 今朝の父の一枚です(^^)/
ヒタキの仲間のメスかな?

 骨で知る鳥[1]
 大事なことは、みんな骨が教えてくれた

       文・写真 川上和人 他
 
 飛ぶための骨
 断捨離的飛行術


 …前略…

 鳥と爬虫類の骨格を見比べると、リストラ対象があぶりだされる。
爬虫類にあって鳥にないものは、長い尾と複雑な手だ。
鳥に尾があることはまちがいない。
しかし、鳥の尾は羽毛でできており、爬虫類や哺乳類のような骨格はない。
初期の鳥類の代表とも言えるシソチョウ(始祖鳥)には確かに尾椎の連なった尾があり、尾の両側には風切羽のような羽毛が並んでいた。
初期の鳥類には、脚にも風切羽があったことが知られている。
まだ翼が飛行に最適化されておらず、両脚と尾を加えた5枚翼で揚力を得ていたのだろう。
 しかし、代を重ねて飛行に適応し、洗練された翼のみで飛行可能となる。
飛行器官としての重要性の減った尾の骨の数は減少し、尾羽の基部に残った少数の骨が癒合して尾端骨(写真1:省略)となった。
外見上は尾羽を残しながら骨格的には尾を消失し、軽量化に成功したのだ。

 …後略…

(『日本野鳥の会のとっておきの野鳥の授業』日本野鳥の会編、上田 恵介監修 山と渓谷社 2021年)