朝出かけるときひんやりとしていました。
散歩から帰ってきたらいつもはクーラーをつけるのに
今日は、扇風機だけ。
でも、このまま涼しくはならないそうです
「気象庁 長期予報 “秋は短く 急に冬を感じる” 見通し」(NHK 9月22日)お彼岸と言えばおはぎ(ぼたもち)ですね(^_-)
外国では、牡丹餅がないので…
開いた口へ牡丹餅(ぼたもち)
努力やなんの苦労もせずに幸運な思いをすることの譬え
【異型】開いた口へ餅 【類義】棚から牡丹餅 【反】棚の牡丹餅も取らねば食えぬ
古くは牡丹餅ではなく「餅」であり、「お萩」とするものもあったが、現代は牡丹餅が主流。
別項の「棚から牡丹餅」より知名度は低いものの幸運なイメージはより鮮明。
江戸中期から見られ、絵の作品も少ないのだが、現代は常用の域に届いていない。
…中略…
(『世界ことわざ比較辞典』 日本ことわざ文化学会編、時田昌瑞、山口政信監修、岩波書店 2020年)フランス 雲雀がこんがりと焼けて<口の中に>降ってくるのを待っている
……
オランダ 焼き鳩、口に飛び込む
……
イタリア 閉ざした口には洋ナシは落ちてこない
……
トルコ 無料の酢は蜂蜜より甘い
……
中国 空から饅頭、犬に思いがけない幸運
……
(『世界ことわざ比較辞典』 日本ことわざ文化学会編、時田昌瑞、山口政信監修、岩波書店 2020年) 南無秋の彼岸の入日赤々と 宮部寸七翁(すなおう)
秋分の日、秋彼岸の中日である。
この日は太陽が真東から出て真西に沈む。
ために西方浄土の方角を知るのに最もよい日であり、赤々と沈む<入り日>によって極楽浄土を観想したか。
<南無(なむ)>は西方にある極楽世界を主宰する阿弥陀(あみだ)への呼びかけの語だ。
心から帰依(きえ)しますという気持ちの表現、ナムアミダブツの信仰心を背景に実相観入の俳句である。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年) 実相観入というのは斎藤茂吉が提唱した歌論。
皮相の写生に止まらず、実相に徹するをもって写生道の要諦(ようてい)とするもの。
俳号の寸七翁から老人と推察する人もいようが、気鋭の新聞人で筆禍事件の責任をとって下獄六カ月。
のち肺患となった大正5年より「ホトトギス」に投句した。
三十八歳で死去。
1887~1926 熊本県生まれ。高浜虚子に師事。没後句集『寸七翁句集』。
(『きょうの一句 名句・秀句365日』村上護 新潮文庫 平成17年)四天王寺では
「四天王寺のお彼岸 夕日の向こうの極楽浄土」(NHKアーカイブス 2015年)
お彼岸ではありませんが伊藤比呂美さんがアメリカ在住の時のことを書かれています。
日 没
わたしは日没を見るのが好きだ。
そう思っていたが、そんなことはない、この頃ずっと見ていないということに、昨日久しぶりに日没を見に行って気がついた。
(『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』伊藤比呂美 朝日新聞出版 2021年) 日没の時刻は日々変わる。
一日に一分、ないしは二日に一分ずつ変わる。
ほんとはきちんと一分ずつ変わりたいのだが、なかなか変われない事情があるとでも言いたそうに、ためらいながら変わっていく。
ただ夏至の前後は、日没の時刻がずっと変わらない。
何日間も八時二分がつづいたが、ある日、八時一分になった(このあたりは日本より日没が遅い)。
この日没は、やっと日没の時刻が変わったと思って、見に行った日没だった。
なんでこんなに長い間、日没を見ないで暮らしてこられたんだろう。 以前は、日没を見ないではいられなかった。
夕方になるとそわそわして外に出ていくので、日没教の礼拝かと家族から笑われたものだ。
三年くらい前の話で、家族とは夫である。
三十近く年上の男で、去年の春に死んだ。
その四年前に父が死んだ。
どっちも、わたしにとって大切な男が死んでいくのを、見つめて伴走するという経験だった。 夕方の主婦は忙しいのだ。
ごはんを作らねばならず、犬の散歩はしなければならない。
その頃夫はもうかなり弱っていて、何もできなくなっていたから、気持ち的にはよけいに忙しかった。
その隙をぬって、何がなんでも外に出て、海に日の沈むところを眺めた。
今なら、そんな息のつまるような介護の日々からちょっとでも抜け出したかったんだろうと思えるけど、あの頃は、ただ日没が見たいだけだと思っていた。 惹かれたのは、日の沈む瞬間だ。
太陽が水平線に近づいていく。
まぶしかった光が鈍くなる。
太陽の下の端が水平線に触れる。
するとそこが一瞬にじむのだ。
にじんだところから太陽全体がゆらゆらふくれ上がる。
ふくれ上がったまま少しずつ沈んでいく。
あと一息というときに、今度は上の端が水平線にひっかかって沈まなくなる。
でもやがて、ただ一本の赤い光の線になる。
そして何かにひっぱられるように、赤い線が消えてなくなる。 父の死んだときもこんなふうだった。
目を閉じて息をする父をみつめていたら、息を一回して、二回して、でも三回目がこなかった。
日没を見ながら、父もこんなふうに何かにひっぱられて向こう側に行った、それが死ぬということだと毎日考えた。 そんな日没が毎日。
でも一日として同じ日没はないのである。
そのときの雲にもよるが、沈んでから後、空の色や雲の色がぐんぐん変化することがある。
こんな写真を撮った。
太陽が沈んだあとの十分間。
すさまじい移り変わりだった。
刻々と移り変わる空の色や海の色が染み出して、色の海や色の空になって、その中に自分が呑みこまれていくようだった。 夫が死んだのが去年の四月、三月くらいまではさかんに日没を見て、撮ってSNSに載せていた。
夫のこともよく知っている古い友人に夫の死を知らせたとき、「この頃SNSで日没ばっかりだったから、ああ、比呂美さんは死について考えているんだな、ご主人があぶないのかなと思っていた」というメールが来た。
自分ではちっともそんなつもりはなかったのだが、なるほど、そうだったのかもしれない。
介護からの息抜きというより、来るべき死をみつめていたのかもしれない。
そしてそれを見ちゃった今は、もう見る必要のなくなった日没だったのである。
(『いつか死ぬ、それまで生きる わたしのお経』伊藤比呂美 朝日新聞出版 2021年)
「伊藤比呂美(いとうひろみ) 詩人」(NHKアーカイブス)今朝の父の一枚です(^^)/
稲穂がたれてきましたね…
母がよく言っていたことわざ
「実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」
朝ドラ「あんぱん」第26週「愛と勇気だけが友達さ」 (127)
八木もやっと語ることができました。
汝(な)が兄にあまた貰(もら)ひし恋文はわが宝ぞと微笑(ほほえ)む老女
島仲芳子(しまなかよしこ)
『黄金森』所収。
これと並ぶ歌に「わが兄をひたすら待ちて老いませる一人のみをみな永(なが)く守らむ」。
作者の二人の兄はフィリピンと沖縄で戦死した。
長兄には婚約者がいた。
彼女はフィリピンで戦死したと伝えられた長兄を待ち続け、そのまま老いた。
妹たる作者は胸も痛くその人を訪ねるが、彼女は微笑んで右のように語るのである。
父は父で戦死の報に「神も仏もない」と叫んで立ち尽くしたとある。
島仲芳子(1932― ) 歌人。
沖縄県生まれ。茶道・舞踊教師。
保護司もつとめる。
(『折々のうた 三六五日 日本短詩型詞華集』大岡信 岩波文庫 2024年)